Twitterで検索すると、報道は日本時間で今朝の6時台からある。
検索結果には、例によって、真贋がすぐにはわからないような話も出ている。すなわち、写真・映像つきで「事件に歓喜するパレスチナ人」がいるという非難が、ソース(となるURL)なしで投稿されている。あるいはソースとなるURLが「それもん」だという場合もあるだろう。
そういうのは、見ないことにしている。いわゆる「デマ」の可能性があるような話は、自分が普段見ているメディアが検証を加えて記事にするまでは、ないものと見なすことにしている。
一方で、見てしまった以上「ないもの」とは扱えないような言葉も、Twitterのような場では飛び交う。
例えばこれ。"I'm tired of Jews dying." 発言主はユダヤ教の宗教家(ラビ)で、この人はこの人のコンテクストで発言している。しかし、この発言は(部分的にはJews/Jewishの多義性にもよって)断片として解釈され、「一人歩き」をし始める発言だ。それを冷静に意識している活動家のような人であれば、そのような「一人歩き」をさせないような言葉遣いをし、明確化を試みるだろう。だが、「わたしたちの1人」である無辜の市民が4人も、「レストランでの銃乱射」という卑劣極まりないかたちで殺されたときに、Twitterのような「そのときの感情を出すメディア」でなされる発言に、「冷静」を期待することはできない。それでも、である。
こういうとき、「ジューズ(ジューイッシュ・ピープル)」であって、「シヴィリアンズ」とか「イノセント・ピープル」ではない、というナラティヴが当たり前のものとしてそこにある限り、「暴力の連鎖」は断ち切られない。 pic.twitter.com/D9AonPDUDu
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) June 9, 2016
てか、このナラティヴがその「暴力の連鎖」(いわゆる)を正当化する機能を持っている。そしてそれを冷笑的に見ている外野が「終わらない」などという表現で事態を矮小化する。いつものことだ。
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) June 9, 2016
昨日、たまたま少し読み返していたのだが、北アイルランド紛争が「暴力の連鎖」といわれた局面で、実際に現場でどういうことが行なわれていたかを以前書いた。
http://nofrills.seesaa.net/article/40732470.html
UVFに加わって戦闘訓練は受けていたものの、特に実際に活動することもなく、彼はだんだんと組織から遠のいていった。ほかの多くのメンバーもそんな感じだった。ビリーは仕事をし、時々は職場の友人を家に連れてきてお茶を飲んだりビデオを見たりもしていた。特にセクタリアンな考え方の持ち主ではなく、その友人はカトリックだった。
だがあるとき、教会の日曜学校の女性の先生(暴力には無縁)が、リパブリカンによっていきなり後頭部に1発ぶちこまれるという形で殺される。この事件でビリーはUVFに戻った。ほかにもそういうメンバーが何人もいた。時期は1980年代、81年のリパブリカンのハンストで、IRAが勢いを得ていたころだった。
UVF は、日曜学校の先生の射殺の報復を計画する。報復なのだから、殺された先生と同じように、暴力には無縁のカトリックを殺さねばならない。話し合った末、ビリーたちUVFの活動家はターゲットを決めた――ビリーが時々自宅に招いていた、職場のカトリックの友人がターゲットに選ばれた。
計画を練っていたとき、ロイヤリストの大物がINLAによって射殺された。その報復を一刻も早くせねばならない、とUVFの指導部は決めた。ビリーたちの報復の予定は繰り上げられた。
ビリーは職場の友人を、いつものように、車に乗せた。そして車をしばらく走らせて、そして、彼の後頭部に銃弾を1発撃ちこんだ。「その瞬間、自分の一部が死んだ」とビリーは後に獄中でジャーナリストに語った。職場の友人の妻は、ビリーが彼を娘の見舞いのため病院に送っていってくれたのだと信じていた。夫が殺されたことを知ったとき、彼女は「お願いだから、もうこんなふうに人を殺すのはやめにして」と泣いた。
これが「暴力の連鎖」の "実相" だ。
先日亡くなったモハメド・アリを追悼する記事で、1972年7月(よりによって7月!)にアイルランド共和国のダブリンで試合を行なった時の様子を回顧したものがある。ちなみにモハメド・アリは先祖の誰かがアイルランド人なので、「アイリッシュ」、「アイルランドの息子」である。
BBC News - When Ali thrilled Ireland: How 'the Greatest' shook up Dublin https://t.co/sWJisxYHhR 1972年、モハメド・アリがアイルランドで試合を行なったときの映像とこぼれ話。
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) June 7, 2016
モハメド・アリはアイリッシュに共感を示していた。RTEのカハル・オシャノンのインタビューで、北アイルランドのトラブルズ(北アイルランド紛争)を、米国の公民権闘争になぞらえていた。それはアメリカで波紋を引き起こした。
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) June 7, 2016
「当時の米国の報道人には、モハメド・アリがダブリンにいることで北には1週間の間平穏がもたらされるという絵を描こうとしていた者もいた」という。実際には「北アイルランドでは最悪の流血が見られた週」だった。アリ本人は北アイルランドで何が起きているかをよく知っていた。
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) June 7, 2016
https://t.co/ec4khLoAxY モハメド・アリがダブリンのクローク・パークでアルヴィン・ルイスと試合したのが1972年7月19日。11日にアイルランド入りしていた。その期間、北アイルランドでは毎日数人が撃ち殺されてる。https://t.co/VSa6lsQJu2
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) June 7, 2016
そして19日の試合の2日後、21日の金曜日は、「ブラディ・フライデー」だ。https://t.co/SToAPaM2oj のログの22:10以降参照。
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) June 7, 2016
この「毎日数人が撃ち殺されて」いた状況は、上に引用した「ビリー」と「職場の友人」の実例のような、「報復殺人」だった。「あちら側がこちら側の民間人を殺したので、こちら側はあちら側の民間人を殺す」ことがパターン化していた。その暴力の中で、人心は無感覚になっていき、その状況を正当化する《物語》が、それぞれの側で語られ、強化された。
【以下、非常に大雑把な用語法をあえてしています。正確性を犠牲にして、わかりやすい《物語》を伝えることが目的です。】
今日のテルアビブでの銃撃事件に際しても、イスラエル(ユダヤ人)の側が「パレスチナ(アラブ人)が大喜びしている」と言えば、パレスチナ(アラブ人)の側が「イスラエル(ユダヤ人)はガザ地区の無辜の市民が爆撃されるのを見て喜んでいた」と言う。
外野から見れば、「どっちもどっち」だろう。実際に、ニュースを見て「思ったこと」を言葉にして表現すれば関心は別のことに移ってしまうという立場では、「どっちもどっちだ」、「永遠にやってろ」と言いたくもなる。
でも、それを言っちゃぁ、おしめぇよ。
nofrills / nofrills/新着更新通知・RTのみ
RT @JShahryar: 1st, I'll send prayers to the victims of the attack in Tel Aviv. 2nd, I will pray that this does not result in another bombi… at 06/09 12:18
※この記事は
2016年06月09日
にアップロードしました。
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