この「4人の男たち」で最も有名になったのが、「ジハーディ・ジョン」というあだ名で報道記事で言及されていたモハメド(ムハンマド)・エムワジだった(2015年11月、ラッカで米国のドローン攻撃で死亡)。ルーツのあるクウェートを幼少期に離れて英国に渡ってからロンドン西部で育った彼は、大学(元ポリテクの実務系の大学)に進んでIT系の技能を身につけるという「まっとう」なルートを進んでいた青年だが、どこかの時点で「過激化」されていた。
その「過激化」の過程については、エムワジを標的としたドローン攻撃のことが報じられた2015年11月13日付けのBBCの「プロフィール」の記事(記事が出た時点で死亡が確定していたら「オビチュアリー」だったに違いない記事)にも、同じ日付のデイリー・テレグラフの人物紹介記事にもはっきりとは書かれていない。
だが、そのときにはもう、エムワジの「過激化」に大きな役割を果たした人物(の1人)が誰かはわかっていた(詳細後述)。その名前を、1つ前のエントリで扱った「イギリスのしゃべり方をする4人の男たち」の4人目の身元が、エル・シャフィ・エルシャイク(あるいはエルシェイク)という、スーダンにルーツのあるロンドナーだと特定されたという2016年5月の報道で見ることになった。
つまり、エムワジの過激化に関わっている人物は、エムワジの仲間の過激化にも関わっている。というか、彼ら西ロンドンのジハディストたち(「ロンドン・ボーイズ」と呼ばれる)は完全に別々に過激化(「教化」と言ってもよいかもしれない)されたわけではない。その点、フランスのジャーナリストが「カモ」になりすまして行なった潜入取材(下記書籍)や、アメリカのジャーナリストが勧誘対象者の自宅などで行なった密着取材で明らかにされたような、いわば「一本釣り」の手口とは異なる。
![]() | ジハーディストのベールをかぶった私 アンナ・エレル 本田 沙世 日経BP社 2015-05-20 by G-Tools |
人質たちによって「ビートルズ」と呼ばれていたイギリス流の話し方をする4人組の「4人目」と特定されたエル・シャフィ・エルシャイクがどのように過激化されていったかについて、母親は次のように述べている。機械いじりがすきなエル・シャフィが裏庭の作業小屋にこもっているときに、彼を訪ねてきていた若者が「ジハード」について語り聞かせているのを耳にした母親が、「そういう話をするなら、うちには二度と来ないでちょうだい」と怒ってその若者を追い返したあとのことだ。
... it was just a few days later that she found her son with his friend listening to radical Islamist teachings down by the summerhouse. “I found him with him there in the back garden listening to a CD and I could tell something was happening, because when I go to him, he pulls out the headphones and hides,” she says. “I said, ‘Shafee, give me that one, I need to see him.’ He passes me the CD and it is a man who working in a mosque in the high road.”
The CD contained sermons recorded by Hani al-Sibai...
https://www.buzzfeed.com/janebradley/my-son-the-isis-executioner
Hani al-Sibaiという名前でウェブ検索をすると、ウィキペディアのエントリが一番上に表示されると思う。あまり詳しい記事ではないが、最小限の情報はある。(このエントリのhistoryからoldestを見ると、ページが作られたのは8 February 2007で、ページ作成者はウィキペディアでは数学のことと、イスラミストのことを書いているというユーザーで、その時点で既に、最小限の情報がまとめられて記載されていたことが確認できる。)
2007年2月の時点でウィキペディアに書けるくらいはっきりわかっていた事実として、このハニ・アル=シバイという人物は「政治的難民のステータスでロンドンに住んでいる」。出身はエジプトだが、「エジプト当局は彼をテロ容疑で起訴し、被告人不在のまま、有罪の判決が出されている」(エジプトは拷問を行なうので、「拷問を行なう国からの保護」ということで政治難民の申請が通る……というか、通っていた)。また、2005年9月に国連の制裁対象者(テロ支援が理由)のリストに加えられた7人のエジプト人の1人で、エジプトの組織「イスラミック・ジハード」の評議会メンバー14人の1人ともいわれている。
その後、現在(2016年5月)までの間にウィキペディアのエントリからは消えてしまっているが、シバイは、Muntasir al-Zayyatという人が書いたアイマン・ザワヒリについての本に解説を寄せており、またシバイの文章はマクディシの組織が運営するウェブサイトにアップされているという。つまり、ド直球でアルカイダのイデオローグだ。
Muntasir al-Zayyatは弁護士だが、ハニ・アル=シバイも弁護士で、エジプトでイスラミストの被告を担当していた(ソース)。
シバイがエジプトで被告人不在のまま有罪判決を受けたのはこの裁判で、そこまで立ち入っているとこのエントリが全然書き終わらないので飛ばすが、シバイと同じように英国にいて、この裁判で不在のまま有罪判決を受けたエジプト人の過激派がいる。ひところ「ジハーディ・ジョン」ではないかと取りざたされていた(そしてネット上の日本語圏では今もまだ「この男がジハーディ・ジョンだ」という誤った情報が検索上位に示されることも多い)「元ラッパー」のイスイス団戦闘員、アブデル=マジド・アブデル・バリーの父親、Adel Abdel Bari (Adel Abdel Bary) である。
ロンドンが「ロンドニスタン」と批判・揶揄されるのは、そもそもは、こういう人たちを「政治難民」として受け入れてきたことによる。ちなみにバリー(父)が英国で政治的庇護を申請したのは1991年で、認められたのは1993年。シバイの政治亡命申請は1994年(却下はされたが、一時的滞在許可は得た)。いずれも保守党のジョン・メイジャーの政権下でのことだ。(「ロンドニスタン」を声高に非難する人々には「労働党のリベラルがー」と騒ぎたがる人が多いのだが、バリーとシバイの事例からわかるように、労働党云々の問題ではない。)ちなみに、バリー(父)はケニアの米大使館爆破などの容疑者として米国から身柄送致の要請があり、何年もの法廷闘争を経て2012年10月に米国に送られた。裁判は時間をかけて行なわれ、2015年2月に有罪で禁固25年の判決が出されている。
そのようにしてロンドンに拠点を作ったエジプト人の「イスラム過激派」は、エジプト以外から来た同じような思想の持ち主たちとつながって、自分たちの思想・主義主張への共感者を増やそうと活動した。そういった拠点のひとつが、2000年代前半に大ニュースになっていたアブ・ハムザ・アル=マスリ(現在は米国での犯罪で裁かれ、保釈の可能性のない終身刑で刑務所の中)がイマームをつとめていた時期の北ロンドンのフィンズベリー・パーク・モスクで、ここには「靴爆弾」男のリチャード・リード(改宗者)や、米911事件に関与して起訴され、保釈の可能性のない終身刑で刑務所の中にいるザカリアス・ムサウィ(←彼についての日本語のウィキペディア、単に古いだけじゃなくちょっと変なので、ご注意ください)といった活動家が通っていた。フィンズベリー・パーク・モスクは、アブ・ハムザが逮捕されたあとは「ジハード主義」の色を払拭しているが、このように「過激派の拠点となっているモスク」は、西ロンドンにもあった(ある)わけだ。2000年代を通じてメディアは北ロンドンや東ロンドンについてはかなり熱心に伝えてきたが、西ロンドンが「イスラム主義者を次々と生み出している」ということは、「ジハーディ・ジョン」と呼ばれた男と西ロンドンの関係がクローズアップされるまでは、あまり注目されていなかったと思う。
エル・シャフィ・エルシャイクの「過激化」のキーパーソンであるハニ・アル=シバイは、既に少し述べたとおり、「ジハーディ・ジョン」ことモハメド・エムワジについての報道記事で名前を見ることはあまりなかった。エムワジがドローン攻撃の標的とされ死んだあとのオビチュアリー的な記事でも名前を見ることはなかった。
しかし実際には、2015年2月26日にエムワジのことが報道された2ヶ月後には、ハニ・アル=シバイのことは大きく報道されていた。同年4月26日(日)の紙面に掲載されたサンデー・テレグラフの記事だ。
Free to walk London’s streets, the extremist preacher and 'mentor' of Jihadi John
By Robert Mendick, and Robert Verkaik
8:20PM BST 25 Apr 2015
http://www.telegraph.co.uk/news/worldnews/islamic-state/11563712/Free-to-walk-Londons-streets-the-extremist-preacher-and-mentor-of-Jihadi-John.html
Free to stroll through Britain’s cities, this is the al-Qaeda cleric suspected of radicalising “Jihadi John”.
Security services are understood to be investigating links between Hani al-Sibai and his influence on the west London terror network in which Jihadi John - unmasked as Mohammed Emwazi - operated.
It is claimed that al-Sibai, a charismatic preacher, had “captivated” a number of young Muslim men who subsequently went abroad to fight jihad.
In a court case last year, he was accused of having “provided material support to al-Qaeda and conspired to commit terrorist acts”, an allegation he denies.
Despite being officially identified as an affiliate of the notorious terror network, al-Sibai, citing his human rights, has thwarted government attempts to deport him for more than 15 years.
Instead, the Egyptian-born cleric lives in a leafy street in fashionable west London in the same neighbourhood where Emwazi and his fellow jihadists in the London Boys terror cell hung out.
……とまあ、非常に詳しい記事である。ちなみに彼が住んでいる "a leafy street in fashionable west London" はハマースミスである。
サンデー・テレグラフのこの記事には、シバイの英国滞在の経緯についても詳しく書かれている。1994年に最初に難民申請をしたとき、エジプトでイスラミストの集団の弁護士をつとめた、ムスリム同胞団とつながっているとされたために拷問を受けた、と述べた(MBじゃなくてガマア・イスラミアじゃないのかなあ、とは思う)。この申請は、国家保安上の理由により却下され、彼は1998年に収容された。滞在許可が出なかったので収容された人は、通常、その後すぐに元いた場所に送り返されるのだが、シバイの場合は「拷問や殺害の可能性がある国」に送り返すことはできないという人権法により、エジプトには返せない。このような事情で英国に一時的滞在許可を得ている彼は、2005年にアルカイダ関係者として国連の制裁対象者のリストに加えられたにも関わらず、英国に滞在し続けている。
モハメド・エムワジとシバイの間に直接の関係があったかどうかはわからない(確認が取れていない)が、シバイはエムワジとの関係を否定していないという。
「英国内のイスラム過激派」について(独特の視点から)非常に細かく報道しているデイリー・メイルは、テレグラフの報道を引きながら(というより、ほぼコピペしながら)、次のような見出しで報じている。
Revealed, extremist preacher who 'mentored Jihadi John' lives in leafy west London street and can not be deported because of his human rights
By KHALEDA RAHMAN FOR MAILONLINE
PUBLISHED: 12:45 GMT, 26 April 2015 | UPDATED: 17:25 GMT, 26 April 2015
http://www.dailymail.co.uk/news/article-3056061/Extremist-preacher-mentored-Jihadi-John-Imam-accused-having-links-al-Qaeda.html
「『ジハディ・ジョン』のメンターだった過激派の説法師が、西ロンドンの閑静な住宅街に住んでいる。しかも、人権が理由で国外退去にすることができない」という見出し(メイルの見出しが長ったらしいのは仕様)。
※昨今の(というか、2016年5月時点から見て「ほんの少し前まで」の)英国の右翼(「極右」ではない)は「人権」を敵視していたのだが(日本での「行き過ぎた人権」論とほとんど同じ)、2015年4月のメイルのこの記事のトーンも、基本的にその主張である(なお、保守党キャメロン政権の公然たる「人権」敵視は、つい最近、表看板から下ろされた。ただし閣僚の中には「人権は害悪」という姿勢を貫いている人もいるし、EU残留/離脱のレファレンダムを前に極右・右翼の「離脱」派が「欧州の人権の理念が英国をダメにする」論を喧伝し続けてはいる)。
※書きかけだけど、アップしないと塩漬けにしてしまうのでアップしておきます。この後の部分を書き上げたらTwitterでフィードします。
※この記事は
2016年05月25日
にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。
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