「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2016年05月23日

今年のカンヌ国際映画祭、パルムドールは(またもや)ケン・ローチの作品に。

https://twitter.com/nofrills前回は『麦の穂をゆらす風』。これが2006年だったので、10年ぶり2度目ですね。受賞のニュースがあり、UKのTwitterではもちろん、Trendsに入っています(キャプチャ via kwout)。生涯で2度、パルムドールを受賞したのは、the British Film Instituteによると、ケン・ローチで8人目……ってけっこう多くないですか。

現行のパルムドールは1975年に始まった賞で(その前はカンヌの最高賞は別の名前だった)、一覧で調べてみると、二度受賞しているのはデンマークのBille August,ユーゴスラヴィア/セルビア・モンテネグロのEmir Kusturica,ベルギーのJean-Pierre Dardenne and Luc Dardenne,オーストリアのMichael Haneke,日本のShohei Imamura,そして英国のKen Loach……6人(6組)ですね(ダルデンヌ兄弟を別々に数えると7人)。現行の賞になる前の時代を入れると、スウェーデンのAlf Sjöbergが2度受賞しているので、ダルデンヌ兄弟を2人で数えて、これで8人になります。

ともあれ、今回パルムドールを受賞したケン・ローチの "I, Daniel Blake" の映画評はこちら(ガーディアン、ピーター・ブラッドショー記者)。ケン・ローチは前作 "Jimmy's Hall" を撮ったときに「よる年波には勝てず、目もよく見えないし、体も悪くなってきているし、いろいろ限界を感じているので長編劇映画はこれで終わり」というつもりだったそうです。実際、この映画はケン・ローチの(暖かい系の)映画の集大成という感じで、私は映画館でエンドロールを眺めながら「これで最後なら、納得できる(最後というのは残念すぎるけれど)」と思ったものでした。

しかし、やはりそんなふうには引退できなかったのか、引退させてもらえなかったのかはわかりませんが、『ジミー』のあとでもう1本、今度も相棒のポール・ラヴァティの脚本で作ったのが、"I, Daniel Blake". 昨今の「福祉切り捨て」政策下の英国の実情を、切り捨てられる側の立場から物語った映画のようです。ただしまだ具体的なことはわかりません。ガーディアンのピーター・ブラッドショーは、"Many are happy to concede the value of films like this set in the developing world, showing sympathetic people trying to retain their dignity while being hungry. But the same thing set in modern Britain gets dismissed with an embarrassed shrug as strident or hectoring, as if going hungry is impossible for British non-shirkers." (多くの人は、このような映画は発展途上国での物語、空腹を抱えながら人間の尊厳を保つ優しい人々の物語と前提しているだろう。しかし同じ物語が、現代の英国を舞台にすると、まるで受け入れられないのである。あたかも、怠惰な人間でなければ英国人が飢えるはずはないといわんばかりに)といった文章でこの映画を紹介しています。

カンヌでプレミア上映されたこの映画、まだ予告編も見当たらず、YouTubeで検索してもフランス語字幕つきの抜粋が出てくるだけ。



概略を読んだだけですが、90年代の『リフ・ラフ』や『レディバード・レディバード』、『レイニング・ストーンズ』の流れの上にある映画だろうなと思います。見ていてくつろげる質ではないような映画。

そういう映画は、昨今ではなかなか日本での公開は難しいようですが、まあ、ケン・ローチだから公開されないということはないだろうと思っていました。そこにきてパルムドールなので、公開確定でしょう。その意味でもうれしいことです。

実はジャームッシュの映画が何か受賞するかなと思って実況を見てたのですが、ジャームッシュの名前は全然出ず、代わりに最後の最後でケン・ローチ、という展開。眠いけどおきててよかった。

















"I, Daniel Blake" は、仕事中に心臓発作を起こし、ドクターから労働を止められている大工のダニエルが主人公です。現在の英国では、失業保険は「就労したいという気持ち」を役人に認められないと受給することができず、その「気持ち」を認めてもらうにはあれこれ大変です。ダニエルは肉体労働者ですが、「仕事をしてはいけない体」になってしまっていて、「就労したい気持ち」を示そうとすれば自分の命が危うくなる、という境遇。

物語はフィクションですが、こういうことがあるというのは、今の英国では絵空事ではありません。身体が麻痺している人にまで「就労可能性がないとは認められない」という決定が出されてニュースになったりしています。「出す」ことを前提とした政策から、「出さない」ことを前提とした政策に切り替わり、お役所仕事の四角四面のはざまで、支援の必要な人々がたくさんの理不尽にさらされている。数日前には、アフガニスタンでボムにやられて両足を切断している元兵士が議員に当選したはいいが、「身体障碍を証明」しないと議場での介護などをカバーする身体障碍者手当てが出ないとかいう記事の見出しを見ました(見ればわかるんですが……両足がなくて、車椅子を使っているので)。それで思い出しましたが、退役軍人が放置されているということについては、ケン・ローチは既に『ルート・アイリッシュ』で扱っています(こういうことになっているので、レッド・ポピーの在郷軍人会が、資金集めにやっきになっているとも聞きます。そして資金集めをするために最も効率がよいのが「ナショナリズムをあおること」)。

かつて「ゆりかごから墓場まで」と言われた福祉国家、英国のかたちを変えたのは、言うまでもなくマーガレット・サッチャーの新自由主義ですが、労働党のトニー・ブレア政権は「ゆりかごから墓場まで」を守ろうとはしませんでした。それでも超えない最後の一線があったのですが、そこも簡単に踏み越えているのが現在のデイヴィッド・キャメロンの政権です。2012年ロンドン五輪の開会式でダニー・ボイルが描き出した「すばらしい英国」像は、キャメロンのそのような政策に対するとても雄弁でやかましい抗議でした。デモも、UK Uncutなど「新しい」流れが作られ、何度も行なわれました。

でも、そんなものでは、止められないんですよ。今の保守党が獲得する議席の数に影響を与えなければ、この状況を変えることはできないんです。



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※『レディバード、レディバード』は、ケン・ローチのこういう系統の映画の中でも、ちょっときつい映画だと思います。救いがないということを救いがないかたちで描いてる。

※この記事は

2016年05月23日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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