「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2016年05月21日

BBCの記者さん、北朝鮮でlost in translationの結果、10時間拘束の件

4月下旬、ピョンヤンで北朝鮮労働党(労働者党)の党大会が開かれた。私は北朝鮮には別に興味はないのでBBCでヘッドラインとリード文を見ただけで詳しく知らないのだが、何でも、北朝鮮労働党の党大会というのは珍しいらしい。

そういう「珍しい」機会を設けるのは、国内的にも「引き締め」などの意味はあるのだろうが、対外的に「宣伝」したいこと、伝えたいことがあるという意味もあろう。北朝鮮は英国とは国交があり、BBCは何度か取材に行っている(2013年に、ちょっとアレなことがあったが)。APは支局を置いている。特別の機会には、他のメディアも来させる。そういった国際メディアに党大会を取材させ、自分たちの見せたい姿を外に見せるわけだ。2014年には平壌科学技術大学にBBCのカメラが入り、学生にインタビューをしていた。一般のツーリストにも、ガイド(という名目の監視役)がついて、「すばらしい北朝鮮」を見せていることは広く知られている通りだ。

で、BBCは東京特派員のRupert Wingfield-Hayesさんたち取材班がピョンヤンに行った。そして、5月9日に「報道をめぐり、国外退去処分となった」という報道があった。このときは党大会を取材にいったBBC取材班が人々の生活に焦点を当てた取材をしたら国外退去に、という流れが説明されていた

そして5月20日付で、北朝鮮で何があったのかをRupert Wingfield-Hayesさん自身が詳しく説明する記事が出た。これが、分量が相当あるので読むのに時間はかかるが、必読の記事だ。

Detained and interrogated for 10 hours in North Korea
http://www.bbc.com/news/magazine-36200530


この記事を読むと、人それぞれ、うっとくる「ツボ」があると思うが、私の場合はあれだ、lost in translationの部分。

"Do you think Korean people are ugly?" the older man asked.

"No," I answered.

"Do you think Korean people have voices like dogs?"

"No," I answered again.

"Then why do you write these things?!" he shouted.

I was confused. What could they mean? One of the articles was presented to me, the offending passage circled in black marker pen:

"The grim-faced customs officer is wearing one of those slightly ridiculous oversized military caps that they were so fond of in the Soviet Union. It makes the slightly built North Korean in his baggy uniform comically top heavy. "Open," he grunts, pointing at my mobile phone. I dutifully punch in the passcode. He grabs it back and goes immediately to photos. He scrolls through pictures of my children skiing, Japanese cherry blossom, the Hong Kong skyline. Apparently satisfied he turns to my suitcase. "Books?" he barks. No, no books. "Movies?" No, no movies. I am sent off to another desk where a much less gruff lady is already looking through my laptop."

"Are they serious?" I thought. ...


北朝鮮の役人は、この記事のgrim-facedを「不細工な」と解釈し(実際には「暗い表情をした」という意味)、he barksを文字通りに受け取って「犬扱いしている」と解釈していたそうだ(いったい、北朝鮮の言葉では「吠える」を比喩的に使うということはないのだろうか。日本語では普通にありますよね)。

そして、記者が「そんな解釈はめちゃくちゃだ」として正しい意味を説明すると、誤読・誤解した北朝鮮の役人は「私は英文学を専攻した。その私の知識が間違っているのか」と絡んでくる……って、笑い話みたいだけど、ありがちありがち。日本でもあるよね、自分より目上の人が珍解釈してて(以下略






※この記事は

2016年05月21日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:58 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼