「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2016年05月19日

東京の道路の制限速度の写真が、北アイルランドの紛争後社会の説明にちょっとだけ役立った件。#flickr #CreativeCommons

2004年10月にFlickrを使い始めてから1年が経過したころの写真がある。何の変哲もない、道路の路面の写真だ。11年近くも前のことで、どこで撮影したのかも思い出せない。

50-50

むしろ、こんな写真をアップしていたことも忘れていた。先ほど、Recent Activityのページにこの写真がひょこっと出てくるまでは。

flcusntc.png


……お茶ふいた。 (・_・)


だって「ミスター・アルスター」なんですもの。「このページで使わせてもらいました」って貼り付けてあるURLが「ファクト・チェック・ノーザン・アイルランド」で、Northern Ireland workfor... 最後まで言わなくてもわかります。Workforceですね。

撮影者も忘れていた東京の道路の制限速度の写真が、北アイルランドの紛争後社会における雇用の平等に関する記事のアイキャッチャーになった。もちろん先方は、「アイキャッチに使いやすい50-50の写真」の撮影者が、よく訓練されたNIウォッチャーだということは知らない(flickrでの私は、東京で身の回りをコンデジで撮影しているお散歩カメラの主でしかない)。

これがmade my day級の出来事でなくて何だというのか。朝6時だというのに今日はもう終わった。幸せな気分で、おやすみなさい。15分前に起きたところだけど。

……ということになったのである。

ほんと、世界つながってて楽しいよ。Flickrやってると、ふと気づくとストックホルムのお花畑を眺めていたり、リオデジャネイロの光と影と色に見入っていたりするんだけど、自分の写真をCreative Commonsのライセンスでアップしておくとときどき、「使わせてもらいました」っていうこういう連絡が入る。それにしても、北アイルランドのプロテスタントとカトリックの雇用格差に関する記事で、自分の写真を見ることになるとは。

記事は、実は密かに気になっていたことで、読むと頭が整理され、非常に勉強になります。
Is the Northern Ireland workforce 50-50 Protestant-Catholic?
http://www.factcheckni.org/facts/is-the-northern-ireland-workforce-50-50-protestant-catholic

記念撮影 (;▽;)

※キャプチャ画像はクリックで原寸。


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※Flickrにアップしている私の写真はほとんどすべてCreative Commons BY-NCのライセンスで、「非商用(非営利)目的なら加工含めご自由にご利用ください(撮影者名は表示してください)」です。
https://www.flickr.com/photos/nofrills/
タグ:flickr

※この記事は

2016年05月19日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 07:30 | TrackBack(0) | todays news from uk/northern ireland | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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