「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2016年05月08日

ロンドン市長選は、イスラモフォビアとの対決でもあった。

あのですね、「ロンドン市長選で、労働党のサディク・カーンが当選した」っていうヘッドラインがあったって、サディク・カーンがどういう人なのかも知らなければ、記事を読もうとは思わないでしょ? 記事を書く側としては、人々に記事を読んでもらうためには、何らかの「つかみ」が必要でしょ? そこに「ロンドンで、初めて、イスラム教徒が市長に当選した」という《語り口》が出てくるんです。

でもそうすると、ヘッドラインしか見ない人が、今度は「イスラム教徒だから当選したのかー」とかいう頓珍漢なことを言い出す。

そして、記事を読みもしないでぽっと思いついた《感想》を「つぶやく」のはとても簡単なことで、そういうのがTwitterのような場に大量発生することになる。大量発生した結果、大勢がぎゃーぎゃー「騒いで」るように見えるようになる(そういう人たちの何割が、報道記事を読んでるんでしょう。自分のツイートならstatsが確認できるから「リンクのクリックはよくて1パーセントだな」などというのがわかるんだけど、新聞社のフィードなんかだとどうなのでしょうね)。

そういう「ネットで話題」みたいなのは見ててもしょうがないので、見なければいいんですよ。

……というのが前提なんですが、サディク・カーンの当選は、「G7のひとつに数えられる先進国の筆頭格である国の首都で、民主的に行なわれた選挙において、『茶色い肌』をしたイスラム教徒が選ばれた」、「肌の色、宗教的バックグラウンドが、候補者の当選を妨げなかった」という点からも、適正に評価することが必要なことです。

そしてそれは、今回の選挙戦を見てきた人ならわかると思うけれど、高く評価してしかるべきことです。(私は毎日ガーディアンとBBCをチェックしているなかでロンドン市長選の経過は追ってはいました。外国のことについていちいちツイートすると、日本のニュースは見てもいないにも関わらず「この人は外国の選挙に関心が高いので、日本の選挙にも関心が高いに違いない」などと勝手に思い込まれるということがよ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜くわかっていたので、いちいちツイートしたりはしていないけど。)

当ブログで、既に、「サディク・カーンを当選させたロンドンの有権者は、彼が『ムスリムだから選んだ』わけではなく、『選びたい人を、ムスリムだからという理由で、選ばないということをしなかった』のだと思う」と書いた通りで、それは現在の――特に米国でドナルド・トランプなどというピエロが「共和党から大統領選に出る意向を示している人物のひとり」でしかなかったころから、極端な発言をすれば必ずメディアがヘッドラインを仕立てて派手に「ニュース」にしてくれ、「まともに取り合うべき政治家」であるかのように扱いだしたあとの――大衆煽動・恐怖煽動のclimateの中では、特に注目されるべきことです。

というわけで、ロンドン市長選の選挙戦について、イスラモフォビアという点から少し書いておこうと思います。

が、まだちゃんとまとまっていないので、この下はあとでアップします。「具体的な話、細かいこと」には興味はないという人には、この下はたぶん用はないでしょう。

なお、ロンドンにおいては「イスラム教徒」視されるサディク・カーンは、宗教的バックグラウンドは確かにイスラム教だし、モスクにも通っているということで信仰を持っている人であることは確かであるにせよ、彼を「過激派の味方だ」などと言い募っている右翼連中の言いがかりとは間逆で、(北アイルランドの「デモクラティック・ユニオニスト」を自認するキリスト教原理主義者とは違って)同性結婚を支持するなど「リベラル」な立場をとってきた人です。

一方で、彼のルーツであるパキスタンで支配的な宗教保守(マララさん襲撃は正しいことだ、などと言い募っている連中)から見れば「西洋化されたダメな奴」ということになり、そんなサディク・カーンを讃え、彼を当選させた西洋の民主主義社会を讃える人は暴力の対象にしてもいいと考えるような犯罪者が出てきもするのです。

ロンドン市長として、正式な就任のセレモニーはサザーク大聖堂(イングランド国教会)で行なわれました。各宗教の代表者が集まってますね。





最初の公務のひとつが、ユダヤ教のコミュニティでの行事(ホロコースト記念)への列席ですね。



※書きかけ

※この記事は

2016年05月08日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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