「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2016年05月08日

「チラシの裏に書いとけ、な?」

あのですね。リアルな生活の中で、「こんなこと言い出したら、相手はドン引きするだろうな」っていうことは、それを口にしても相手がドン引きしないような間柄だったりする場合は別として、たとえ喉まで出掛かっていても、口にはしませんよね。

「新しく車買ったんだ」っていう人に、「事故起こして人を怪我させなければいいけど」なんて言えるのは、お互い、よほど分かり合ってる場合だけですよね。

定食屋で焼き魚定食を注文した人に、「ヘルシーだね。魚は健康にいいからね」と言うことはあっても、「魚のコゲを食べるとガンになる」とか、言わないですよね。その人とあなたが親しくて、「食の安全」的なトピックについて話が合うということが確認されている場合は別ですけど……。

ネットで、どこの誰でどんな人なのか知らないような人と言葉を交わそうとするとき……というより、そういう人に自分の言葉を投げかけようとするときも、同じですよね。相手がドン引きするようなことは、そうやたらとは言わないですよね。

しかし実際には、「今日はいい天気で、夕方の雲がきれいでした」っていう写真について、「地震雲」がなんちゃらと言い出す人、そう言って絡んでくる人がネットにいたりする。「大雨が降って気温が急に高くなり、季節の変わり目を感じた」というブログに、「気象兵器」がどうたらこうたらというコメントを書く人だっている。

別に何を思っても自由だし、何をメモったっていいんですけど、「きれいな雲」の写真をアップしてる人に直接「地震雲だ」と言ってみせる必要性も意味もありません。「季節の変わり目」のことを文章で書いている人に、「気象兵器」の話をしたって、相手はドン引きするか、そうでなければ「はあ?」となるだけです。

chirashi.jpg「地震雲の可能性がある」とか、「気象兵器じゃないか」と思ったことを書いておきたければそうすればいいけど、それ、「チラシの裏」でいいですよね。

「選挙があって、こんな人が当選したよ。嬉しい。よかった」っていうトピックでブログ書いて、Twitterにフィードした人に、「暗殺されなければいいんですけど」なんて、言わないですよね。

てか、どっかで選挙があって誰それが当選したという新聞の一面を見て、いちいち「暗殺されなければいいですけどね」とかいう会話を、世間話としてやってる人たちがこの世の中には多いんでしょうか。

私にはわかりませんが、少なくとも私は、人が死ぬとか殺されるとかいったことを、そういうふうに取りざたするような無神経さは持ち合わせていません(私は私なりに無神経ではあるけれど)。

また、人が亡くなったときに、何はさておき「暗殺」とか「怪死」と騒ぐ、という界隈には、リアルでもネット上でも、接点を持っていません。以前、福島第一原発事故の影響についての心配が世間を覆っていたころに「急性心不全」か何かがネット上でやたらと騒がれ、それによって私は個人的に非常に、本当に心的トラウマを負うほどに嫌な思いをしたのですが、当ブログは、そういうことを《世間話》として盛り上がる世界には属していません。

当ブログ管理人は、そういう話に巻き込まれることを拒否します。

以下、記録。

chirashi2.png
※画像はクリックで原寸表示







あのね、あなたは知らないかもしれないけど、サディク・カーンっていう人は脅迫されてるんですよ、実際に。国会議員として、同性結婚に賛成したりしている人ですから。(当ブログで名前を出すなどしている人たちの中には、実際に脅迫を受けてる人は少なくないです。当ブログで言及していようとしていまいと、政治的にあやうい条件下で発言している人たちの多くが、何らかの脅迫を受けています。)

あなたの無神経な「世間話」は、リアルに、シャレにならないんです。

なお、サディク・カーンについて「暗殺」がどうのこうのと言ってきた人はプロフィール欄で「クソリプ男」で「ミュート推奨」とか言ってますが、人に「俺の発言はミュートしろ」と要求する前に、自分から人に呼びかけることをやめるという発想はないのでしょうか。

知り合いでも何でもない他人にわざわざ@を使って呼びかけて発言しておいて、「俺の言ってることはクソだから、おまえは俺のいうことを聞くな」とは実に腹立たしい態度です。どうしてそこまでずうずうしく傲慢に振る舞うことができるのか……当方の理解の範疇を超えています。

クソの投げ込み先は肥溜めです。他人のリプライ欄ではありません。利用可能な肥溜めを持っていないのなら、水洗トイレに流してください。他人に投げつけるのではなく。

※この記事は

2016年05月08日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 05:00 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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