「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2016年05月07日

イスラム教徒がロンドン市長に当選した。あるいは、移民のバス運転手の息子が、イートン校に通った富豪の息子に勝った。

5月5日に投票が行なわれたロンドン市長選挙の結果が出た。最終的な公式の告知は遅れに遅れているが(だから現時点ではウィキペディアの記事はまだ更新されていない。票の数え直しなどが起きているらしい)、当選者はわかっている。事前の世論調査が当てにならない昨今だが、この選挙に関しては、事前の世論調査が示していた通りの結果だ。



ロンドン市長選について、少しまとめておこう。

英国の首都ロンドンに、現在の「市議会 assembly」と「市長 mayor」が導入されたのは、2000年のことである。この2つをまとめてThe Greater London Authority (GLA) という。議会は市長を監視する役目を負うという点で、制度導入時は「アメリカ型」と説明されていた(米大統領と議会の関係)。
https://en.wikipedia.org/wiki/Greater_London_Authority

この制度が導入される前は、それはそれでいろいろあったのだが、書いてると先に進めないので、関心のある方は下記など参照。
https://en.wikipedia.org/wiki/Greater_London_Council

2000年に実施された初回のロンドン市長選挙では、GLC時代に勇名を馳せたケン・リヴィングストンが、当時のブレアの労働党からは離れて無所属として立候補し、57%以上を得票して当選した。4年の任期を終えたリヴィグストンは、2004年にも再度当選したが、その次の2008年の選挙では保守党のスター、ボリス・ジョンソンが53%を得票、リヴィングストンは落選した。2012年にも再度当選したジョンソンは2015年総選挙で国会に復帰し、2016年のロンドン市長選には出馬しない。
https://en.wikipedia.org/wiki/Mayor_of_London

ロンドン市長から退くジョンソンに代わって保守党から出るのが、ザック・ゴールドスミス。ロンドン西部の富裕層の多いリッチモンドを地元とする、大金持ちの実業家の息子である。1975年生まれ。イートン校で学んだが薬物関連で放校処分となり、大学には行っていない。最近の富裕層には珍しくないが、「環境保護に関心が高い」人で、選挙戦でもそれをアピールしている。現在は英国会の下院議員。
https://en.wikipedia.org/wiki/Zac_Goldsmith

ザックの姉のジェマイマは、かつてパキスタンのクリケット代表選手、イムラン・カーン(現在は政治家)と結婚していて、「ジェマイマ・カーン」という名前で人権活動などを行なっている。彼女は2010年にウィキリークスのジュリアン・アサンジの保釈金を用意したサポーターのひとりだが、その後、ウィキリークスとは切れている。

一方、労働党は、南ロンドンの「移民街」(Asianの多い町)であるトゥーティング出身のサディク・カーンをロンドン市長候補に選んだ。1970年に、パキスタンからの移民の家の子としてロンドンに生まれ、法律を学び、弁護士として活動してきた。彼も英国会の下院議員をつとめているが、ロンドン市長に当選したら下院の議席は返上するとしている(兼職も違法ではない。2015年に下院議員に復帰したボリス・ジョンソンは、現在、兼職している)。
https://en.wikipedia.org/wiki/Sadiq_Khan

今年のロンドン市長選挙について、読んだ文章のなかで最も明確だったのが、70年代にウガンダのイディ・アミンの圧制を逃れて英国に渡ったYasmin Alibhai-Brownさんの文章。
http://www.theguardian.com/commentisfree/2016/may/03/sadiq-khan-mayor-london-terrorists-worst-nightmare

英国の政界には、「移民(の子供)」や「キリスト教以外の宗教を信仰する人」は珍しくない(イングランド国教会というものがある英国について「キリスト教」でまとめて語るのも雑な話だが)。しかし、アジア系(英国でAsianといえば南アジア系である)の政治家たちは、「移民は差別されており、貧しく……」というナラティヴでは無視される。「イスラム過激派」と呼ばれる人々は、そのナラティヴを使って、実際に大変な思いをしている(と本人が思っている)人たちに接近する。「差別され、無視され、貧しく、苦しい立場の我々」にとっての「正義」の実現、という《物語》を、彼らは語る。

その手法を封じるために最も効果的なのは、イスラム教徒が「誰もが知っているような政治家」になることだ。「産業大臣」とか「下院なんとか委員会委員長」とかは「政治オタク」しか知らないかもしれないが、「ロンドン市長」なら誰もが知ってる存在だ。

イスラム教徒がロンドン市長になるということには、そういう意味(効果)もある。

だが、サディク・カーンを当選させたロンドンの有権者は、彼が「ムスリムだから選んだ」わけではなく、「選びたい人を、ムスリムだからという理由で、選ばないということをしなかった」のだと思う。

しかし、この結果を、「ロンドンがイスラム教徒に乗っ取られた」と騒ぎたい人たちいるし、その人たちがそう騒げば耳を傾ける人たちもいる。









「どう計算しても、結果はサディク・カーンの当選だ」ということになってから、正式な結果のアナウンスがあるまで異様に時間がかかっていて、ある時点で「深夜0時にアナウンスを行なう」ということが告げられるまでの間、Twitterでは何度も「もうすぐアナウンスがある」という情報が流れ、それをモニターのこちらで今か今かと待っていた私は、選挙管理委員会による正式な結果布告ではなく、イスラモフォビアのユーラビア脅威論者が騒いでいるのや、それに対する「ねーねー、どんな気持ち? どんな気持ち?」的な発言を眺めているハメになった。

消耗した。うんざりした。北アイルランドの自治議会選挙の開票も大変に時間がかかっていて、マーティン・マクギネス(選挙区をミッド・アルスターからフォイルに変えた)の当選が一向に告知されないというおもしろスリル満点の事態になっているので、そちらも同時進行で見ていたのだが、こちらも全然進まない。というわけで先日購入しためっぽうおもしろい書籍のページをめくりながらだらだらと見ていて、いろいろと重なる部分があるなあと思った。




4166609874サッカーと人種差別 (文春新書)
陣野 俊史
文藝春秋 2014-07-18

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そんなこんなで異様に時間がかかっていたのだが、日本時間で7日の8時20分過ぎ(現地で0時20分過ぎ)にようやくのことで結果が告知された。

















写真を見ると、サディク・カーンは小柄な人である。ザック・ゴールドスミスと並ぶと、身長185センチ(ザック)と165センチ(サディク)というくらいに見える。

その小柄な人が、これから4年、ロンドン市のトップとして、あの複雑な大都市を引っ張っていく。















※このあとに結果が出るまでのツイートを貼り付けるつもりだが、今は気力が尽きた。→別ページにします。いろいろ、要素が多いので。



宗教・宗派間の対話を通じて、平和を促進し、とコミュニティの一体感を醸成し、紛争を解決するために活動している英国の団体、Faith Mattersプレジデントはあのサイモン・ヒューズだ)のアカウントが、次のように述べている。




「英国ではイスラム教徒には未来などないのだ、と不満を鬱積させるナラティヴに与する人々もいるが、サディク・カーンがロンドン市長に当選したことは、その《神話》を打ち砕く」という内容のメッセージだ。

それは、本エントリの上のほうで見たYasmin Alibhai-Brownの文章と響きあう。

‘The whole universe may be found in a grain of London life,” wrote Peter Ackroyd. Sadiq Khan knows the grainy, multifarious life of the capital intimately. He is a real Londoner, and that is why he is the best choice for mayor. It matters more than his race, religion or class. Khan’s Pakistan-born father was a bus driver, his mother a seamstress. They had eight children, seven of them boys. The parents saved up to buy a home, and sent all their children to university. Khan has lived in public housing, used public transport, known deprivation, and epitomises urban aspiration.

...

Let us imagine what it would mean if Khan does manage to overcome the foul prejudice he has endured during this campaign. For him to become mayor would be a hammer blow to those who fear and loathe him, simply because he is, as they presumably see it, the uppity son of Pakistani Muslims. We are living in times when to be a Muslim, especially one with pride and ambition, is to risk being seen as the enemy within.

A Khan victory would also demolish the extremists’ anti-western narrative. If a Muslim can be elected by millions of voters of all backgrounds to take charge of the world’s greatest city, how would the jihadis – how could they – carry on believing and arguing that we Muslims have no future in Europe, or that westerners hate us? This victory could do more to combat radicalisation than any number of government strategies – most of which are in any case unjust and counterproductive.

More crucially, how would a Khan victory feel to the majority of Londoners? It would indicate an audacious break from the present hold of posh, white men: a coup even, a seismic political and cultural shift. ...


私が個人的に知ってるロンドンは、世界地図だった。角の酒屋はシークのおじさんが切り盛りしている(頭のターバンが特徴)。その向かいはハレ・クリシュナのテイクアウェイ(ヴェジタリアンの味方)、並びはアイリッシュ・パブとトルコ人のやってるケバブ・ハウス。バス停横のケミスト(薬局)の店番をしているのは額に丸いしるしをつけたヒンズー教徒の若い女の子で、たぶんこの店の店主の娘さん(親に言われて退屈な店番をさせられているといった風情)。郵便局の窓口は私には「白人」としか認識できないが聞き取りに苦労しない英語を話す中年女性で、スーパーのレジの体格のよいお姉さんはアフリカンかカリビアン。露天を立ててる八百屋はコックニーのおっちゃんで、"three pound" が "free pound" になる。駅前のニューズ・エイジェントは……と、こういう街は、ロンドンでは珍しくない。これがdiversity(ダイバーシティ)だ。

それを称して、80年代から、日本人の間では(日本で出ている出版物などでも)「ロンドンは移民ばかりだ」と見下したような言説も見られた。そう言ってる日本人は、ロンドンでは当時「JJ Town」と呼ばれていたフィンチリーからゴールダーズ・グリーンに住んでることが多かったのだが、その「JJ」は「ジューイッシュ&ジャパニーズ」で、そこもまた、超高級住宅街ではあるけれど、ある意味「移民街」だった(当時はゴールダーズ・グリーンに日本人学校があったため、好況下で英国にもがんがん進出していた日本企業の駐在員の家族が多くあの辺りに住んでいた)。それ以前に、「ロンドンの日本人」は「移民 migrant」か「外人 ex-pat」で、「パキスタンからの移民」や「ケニアからの留学生」と同じように、「白人の社会」に存在することでdiversityを構成する側だったのだが。

ロンドンのこのdiversityを体現する「パキスタンからの移民の子」で、なおかつ「庶民」としか言いようのない育ち(バス運転手とお針子の息子で、カウンシル・フラットで育ち、公立学校で学んで特にエリート校でもない大学に進み、法律を学んでソリシターとなった)の人が、新たにロンドンの「顔」となったことを、"London's Obama moment" としている発言も多く見た。






オバマは、今ではいろいろと「残念」な面が目立っているけれども、来年の今頃はきっと懐かしく思い出されているであろうような大統領で、そうしたときに「懐かしく思い出される」場面は、やはり2008年の当選時や09年の就任時の熱狂だろう。「黒人」の大統領とファーストレディ、そして10代の女の子2人が「ホワイトハウスのあるじ」となったときの、あの熱。

サディク・カーンにもそういう「瞬間」の写真がある。当選がほぼ決まり、選挙管理委員会からの結果告知を受けるためにシティ・ホールに向かうときのものだ。







中央がご本人、右のサングラスに白っぽいストールの女性が夫人で、左の膝上10センチのミニ・ワンピにデニムの女の子が娘さん(娘さんはもう一人いるが、この写真でどの人なのかが私にはわからない)。後ろを並んで歩いてくるのはスタッフだ(みんな、若い)。


ブロガーのサニー・ハンダル(Asianの英国人のひとりだが、ムスリムではない)はこんなツイートをしていた。





そして、先ほどのYasminの記事の論点に戻るが、「サディク・カーン市長」の誕生は、こういうことでもある。






補記:



※この記事は

2016年05月07日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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