「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2016年05月04日

「ヒメウズ」という小さな花の実と種

先日、「ヒメウズ(姫烏頭)」という小さな花について書いたときに、「この草、花が終わったあとの実もおもしろい。……これが熟すとどうなるかというと……というのはまだ季節になっていないので、またその季節になったら、Flickrにアップしようと思っている」と書いた。

そしてその季節になり、晴れて強風か、曇りで強風か、雨、という天候の中でも比較的ゆるい強風の日にヒメウズが群生しているところに行けたので、写真を撮ってきた。

himeuzu-seed.jpg


群生している区画から一歩離れたところには、単独の株がまだ花をつけていたりするのだが:

Seeding season


群生地はもう、あらかた、熟した実のカラがふわふわきらきらしているだけとなっている。この風情もなかなかにかわいらしい。

Seeding season


Seeding season


細く繊細な茎がほとんど絡まりあっている空間に、まだはじけていない実と、はじけたあとのカラが混在している。

Seeding season


Seeding season


小さきものたちの影。

Seeding season




3年前、2013年の今くらいに作成したページの閲覧数が増える時期である。

【野に咲く花の植物図鑑】この花、何て花? どういう花?……を調べてみた。
http://matome.naver.jp/odai/2136789393488983501


今、そこらで見かける花々もだいたい同じだ。ただ、アメリカフウロは、2013年に知ってから葉の形を認識したことでいくつか群生地(砂利を敷き詰めた駐車場の脇、歩行者しか通れない狭い道の自動販売機の影、など)を見つけていたのだが、今年の季節が来る前に、駐車場はアスファストで固められ、自動販売機の周囲は除草されていた(除草しないと蚊が湧く)。昨年、建物が取り壊されて更地になっていたところを数日前に通りかかったら、アメリカフウロの葉っぱが見えていたのだが、近寄ると、もう花期が終わって実になっていた。把握していた群生地ではない道端でも花を何度か見かけていたが、とにかく強風ばかりで、直径5ミリの花をマクロでまともに撮影できるような条件に恵まれた日は、今年はなかった。見返してみて、見るに耐えるような写真があれば、またアップしようと思う。
タグ:flickr 写真

※この記事は

2016年05月04日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 21:00 | TrackBack(0) | 雑多に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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