「ウェブログ」と呼ばれていたものが「ブログ」というより短い名称で定着した「Web 2.0」の時代、英語圏では(日本語圏のことは私はよく知らない)、新聞社のサイトの各記事のページにも、一般に広く使われている「ブログ」(当時は英語圏ではBlogger, WordPress, Live Journalなどが広く使われていたし、MySpaceも「ブログ」として使うことはできた)と同じような「コメント欄」が設置されるようになった。記事を書いた人に、記事を読んだ人が直接、簡単に「感想(反応)」の言葉を(公開した形で)送信できるようになったことで、「編集」を介さず即時的な情報共有が行なわれ、「集合知」(および、もう少しあとの時代に「クラウドソース」と呼ばれていくもの)により、ただ単に新聞社の記事がそこにあるだけより、全体として、よりよいものができていくのではないか、という期待が、2000年代半ばにはとても高かったし、実際に「コメント欄」で有益な情報を得るという体験は、私も多くしていた。北アイルランドに関してはSlugger O'Tooleのコメント欄では、それがなかったら知ることができなかったであろうことをたくさん知った(「紛争地」のウェブ媒体では、「誰彼構わず、おまえの言っていることが気に食わないと殴りかかっていく」ようなスタイルを取る人はまずいなかったし、議論がヒートアップしたときに「プレイヤーではなくボールに行け」とイエロー・カードやレッド・カードを出す管理者のモデレーションがすばらしかった)。
あのころは、そのような「充実した情報空間」がそのまま維持され、定着し、発展していくと思われていた。私もそう思っていた。いわゆる "civil" な態度(日本の感覚でいうと「適切に丁寧語・敬語を使う」といったこと)は、知らない人と話をする場合にはリアルであれネットであれ大前提だったし、ときどき現れる「荒らし」は「相手にしない」という鉄則でたいがいは対応できた(自分のブログにも「荒らし」は出現して、げんなりするようなことはあったけれども)。「荒らし」のようなのは例外だ、ということは広く了解され、共有されていたと思う。
しかし実際にはどうだったか。
その点について、先週から英ガーディアンが意欲的なシリーズを始めている。
The Web We Want
https://www.theguardian.com/technology/series/the-web-we-want

新聞社のサイトが記事にコメント欄をつけるようになった時代(がっさりと、今から約10年前)、ガーディアンはそれについて先進的でなおかつ徹底的な取り組みをしたメディアだった。ガーディアンのコメント欄では、多くの場合、有益な情報交換がなされていた。それは、例えばCIAの拷問について国際人道法という立場から批判的に検討している記事に対し「テロリストをかばうのか」などと噛み付いてくる人が(あまり)いない、というような、知的にある程度均質な読者層を抱えていたから、という事情もあっただろう。そういうのを読んでいると、私も自分にできる情報提供はしようと思ったし、そう思ったのは私だけじゃないだろう。ガーディアンのコメント欄は、その「議論の場」にいることで何かを得られる場だったし、何かを得たそれぞれの人が何かを提供するという「情報のエコ・システム」が機能していた。
ガーディアンに限らず、他のサイトでも、そのような「エコ・システム」が機能しているところはあったけれど、最も広範・非限定的な読者・閲覧者を抱えていたのは、私が見ていたサイトの中ではガーディアンだった。コメント欄は、投稿したあとでモデレーションが入ることはあるけれども(意味のない罵倒、茶化すだけの投稿の類は非表示にされる)、BBCのサイトのコメント欄と違って「モデレーターがチェックするまでは投稿は非公開」というふうにもなっていなかったし、オープンで風通しのよい雰囲気はあった。
だがいつしか、そのガーディアンのコメント欄も「荒れ」るようになった。元々「荒れ」やすいトピックというのはあったが、そうでないところでも、屁理屈、あげ足とり、どうでもいいまぜっかえしが行なわれ、陰謀論者が陰謀論を書き捨てていくようなことが多くなった。論説・意見のページ(Comment is Free)では、書かれていることの内容にではなく、書いた人に「意見」されることが目立つようになり、やがて、「コメント欄なんか見ても、何も有益なものはない」状態になった。一応、「よい」と思われたコメントはup voteできるようになってはいたが、私が見るようなトピック(国際ニュース)では、「組織票」めいた動きがはっきりしていることが多く、見るだけでげんなり、うんざりすることが増えて、やがては「コメント欄なんか見たってしょうがない」と言わざるを得なくなった。今自分のログを見ると、2014年夏にはそういうことを明確に書いている(その前も書いてるかもしれないが、自分のログを自分でさかのぼってて気分が重くなるので、それ以上先には行かない。ガーディアンのコメ欄がアレなことになったのは、2011年のリビア軍事介入が潮目かもね)。過去の発言をいくつか貼り付けておこう。
で、http://t.co/TEHiPLwtWv この記事のコメント欄は、いったい何の巣窟ですかね。Comment is free, but facts are sacred. を旨とするガーディアンのサイトのコメント欄はいつの間にかこんなふうになってしまった。
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) August 4, 2014
今のツイートにもこういうリプライがすぐについている。STWCoalition連中の盲目的な「反帝国主義」とアメウヨ陰謀論(連邦政府悪玉論)がものすごい轟音を奏でているガーディアンのコメント欄のようだ。もう本当にTwitteオワタと思う pic.twitter.com/Y0zdPfuBUD
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) August 12, 2014
承前。"スノーデン−NSA物語について、米国人の86%もが個人的に議論したがっているのだが、ソーシャルメディアに投稿したいと答えた人はフェイスブックやツイッター・ユーザーの42%しかいなかった。つまり自己主張したくても、ソーシャルメディアでの投稿を遠慮している人が半数近くいる"
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) August 30, 2014
承前。"約75%前後の人が、リアルな環境(会食時)で家族や友人となら議論したい…一方でFBやTwの場の議論に加わりたいと答えた人は約40%…。ソーシャルがリアルの代替になりえていない"。「ソーシャルネット」とやらはWeb2.0時代でいう「YouTubeコメント欄」化してるからなあ
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) August 30, 2014
ガーディアンだから「こんな明らかな私利私欲の犯罪よりチェルシー・マニングの方が刑が重いのかよ!」というコメントがあるかと予期していたが、「またFBIか!」、「極右勢力の背後に政府ですか」みたいのばっかり。この新聞で「コメント欄の死」を見届けなければならないなんて (´・_・`)
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) September 8, 2014
コメント欄がまともに機能しているのは、閲覧先の少数になってしまった(例えばSO。ここは「エントリとコメント欄」というより「掲示板の議論スレッド」の運営でモデレーションががっちりしているけれど)。もう一般的にはコメント欄は「感想の書き捨て」が多すぎて使う気がしないことがほとんど。
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) September 8, 2014
Astonishing. Galloway now shilling for the Chinese govt and accusing Obama of terrible crime of promoting democracy pic.twitter.com/mlcWgFEe4E
— Sunny Hundal (@sunny_hundal) October 3, 2014
1つ前RT、ギャロウェイの発言には驚かないけれど、192RTsって・・・ああいうのが、オンラインではウケるんだ。ガーディアンのコメント欄がああなった世の中。そして保守党はECHRを抜けるとか言ってるしEUは極右の伸張がシャレになってない。ものすごいディストピア。
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) October 3, 2014
'Am I being catfished?' An author confronts her number one online critic http://t.co/LRkKcDW6Ie オンラインで好き放題書かれることについての文なので読みたいんだけど、いつ話が始まるんだ…
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) October 19, 2014
7パラグラフまで読んで、飽き飽きして、この先どのくらいあるのかなとページ全体を見たら100パラグラフ以上続いてるらしいので、読むのやめた。まさにtoo long, didn't read (TL; DR) なのだけど、これ、小説家の文章なのか、ほんとに?
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) October 19, 2014
ああ、これマーケティングだ。コメント欄の絶賛の嵐の文言が同じ(very interestingばっかり)。コメ欄ではこのスレッドにつきる。 http://t.co/H8imkWU0oQ この書き手をけなすとめんどくさいことになる予感。
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) October 19, 2014
Photographs of Sellafield nuclear plant prompt fears over radioactive risk http://t.co/GmggZrl4mD via @guardian 燃料棒入ったまま「廃墟化」して鳥ちゃんが水浴びしている…
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) November 1, 2014
んで、この記事のコメント欄のしょっぱなにこういうのがついてるんだよね。 http://t.co/bkasBbaDgv おっかないおっかない。この記事見たら真っ先に「嘆かわしい!」みたいなのがあっておかしくないのに、いきなりこれだもん。
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) November 1, 2014
この同じ人が、コメント欄で、「21世紀のクリーン・エネルギーで地球温暖化に立ち向かおう」の言説をつけてまわっている。 http://t.co/TF5A5TETBQ (すっごい見覚えのある光景)
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) November 1, 2014
そしてこのgo fund meのページも、コメント欄がなあ…もうコメント欄なんかなくていいよ。昨日もガーディアンが掲載しているロイターかAPの配信記事のコメント欄が実にひどくてな(陰謀論者が暴れていた)。
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) November 29, 2014
Time to lift veil on Saudi Arabia’s hijacking of Islam http://t.co/zqNU6P78Cv "two words that apparently must not be spoken: Saudi Arabia"
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) January 14, 2015
アイリッシュ・タイムズはコメント欄がまとも (civil, constructive, etc) だ。Quote: "(Variations of) Religions and irrationality often go hand-in-hand."
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) January 14, 2015
「俺は何もしないし読みもしないけど、俺の思ったことだけ書かせろ」っていうコメント欄依存(Togetterであれはてブであれ)、何なんだろね。すでに発言のツールも場もたっくさん持ってるor常に入手できるときに、give me moreでgreed is goodみたいになるの。
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) February 6, 2015
コメント欄に「どっちもどっち」論に丸め込もうとしてるのが来てる。 / “Ukrainian bloggers use social media to track Russian soldiers fighting in east …” http://t.co/pykiOEklRL
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) June 3, 2015
なんとなくスクロールダウンしてみたら、コメント欄のすさまじい「クソリプ」の応酬が目に入った。 http://t.co/UrhOqMeFdB http://t.co/mz5azg0C5H
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) July 30, 2015
「みんな」がインターネットを使うようになれば、こういう世界が日常になるはずだったのに(多くの人々が「集合知」とまじめに言ってた時代があった)、実際には「(2006年とか2007年の)YouTubeのコメント欄」が日常になった。
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) December 13, 2015
Gary Neville's hotel for the homeless closes its doors https://t.co/Uj4IYQChmM マンチェスターでホームレスの人々を滞在させていたガリー・ネヴィルとライアン・ギグズの会社所有の物件が工事本格化でクローズ。
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) January 29, 2016
そしてコメント欄は、最近の日本語圏のスラングでいう「地獄の様相」。マンチェスターの労働者階級で、成功してスーパースターになったネヴィルの篤志家としての活動を、「とにかく批判することに意義がある」とばかりに悪目立ちした者勝ち。ガーディアンはなぜコメント欄を廃止しないのか、ほんと謎。
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) January 29, 2016
「コメント欄」が意味と機能を持っていたのは「Web 2.0」の時代で過去の話だ。ガーディアンは、どういう基準なのかわからないが(←ここがポイント)、コメント欄をつけてる記事とつけてない記事がある。そしてコメント欄をつけてる記事のコメ欄は、デイリー・メイルのそれを少し薄めた感じだ。
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) January 29, 2016
コメント欄をつけてる記事とつけてない記事があるということは、そこに「編集」的な判断や意図がはたらいているということだ。その判断や意図についての説明は、見て分かる範囲では、なされていない。
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) January 29, 2016
そして、そのガーディアンがコメント欄を大幅に縮小したことをはっきりと述べたのは、2016年1月末のことだった。
Online comments: we want to be responsible hosts
http://www.theguardian.com/media/2016/jan/31/comments-audience-censorship-criticism
Online comments: we want to be responsible hosts https://t.co/7xrxvzNuV9 ガーディアンがコメント欄を大幅に縮小したことの説明。すばらしかったころのコメ欄が思い出される。中東紛争での激論も乗り越えたんだよな。
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) February 1, 2016
ある「訃報」――「ネットの匿名性」の向こうに https://t.co/nVXOwMZC53 "「議論は平行線」になる「イスラエル/パレスチナ」のトピックのコメント欄で、相互の共有点を探していこうという取り組みを最も熱心に行なっていたひとりがLennyStoneだったと彼は書く"
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) February 1, 2016
あと、ガーディアンのコメント欄というと2009年5月のこれを忘れちゃいけない。> ガーディアン(ウェブ版)、Neal's Yard Remediesに逃亡される https://t.co/NTBz8H7WGM Gdnの定期企画で「企業の担当者に直接質問」にNYRが登場したが…爆笑
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) February 1, 2016
同じタイミングで、音楽誌のQuietusもコメント欄撤廃を宣言した。
Online comments: is the space below the line too toxic or can they be fixed? https://t.co/2YTLEe8dOR Quietusもコメント欄消したか。その辺りの「報道機関の中の人の葛藤」まとめ
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) February 1, 2016
現行のThe Web We Want (WWW) という特集は、実は発端は1月末の「コメント欄大幅縮小」の記事にある。
ウェブでの情報交換/対話/議論といったものについて、関心が少しでもおありのかたは、このガーディアンの特集を見てみるとよいのではないかと思う。(ちなみに、TwitterであれFacebookであれ、そのほかのサイトであれ、アメリカに拠点がありアメリカで開発されているSNSは、ポリシーを策定しているのはアメリカの事例を前提にしているアメリカ人、それもほとんどが白人の男性だ、ということは、知っておいて損はない。別に悪意はないだろうけれど、彼らはアメリカの、というか広くても英語圏のことにしか目が届かないというのを前提としておくべきだ。)
シリーズThe Web We Wantが始まったときの私の連続投稿:
The dark side of Guardian comments https://t.co/uWyHgI8aSw ガーディアンが2006年以降投稿された7000万件のコメントを調査、最も暴言の対象となった10人の書き手のうち8人が女性、2人の男性は黒人。うち3人に話を聞く。
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) April 12, 2016
記事ページでは、2006年以降の大量のコメントの分析結果をヴィジュアライズして見せてくれる。
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) April 12, 2016
大量のコメントをどのように分析したかについての説明: How we analysed 70m comments on the Guardian website https://t.co/6atKqIx3DW 分析対象はガーディアンのサイトに投稿されたもののみ(FBなどは含まず)
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) April 12, 2016
記事ページ中に "What do we mean by ‘abuse’?" という欄がある。「毎日出勤すると100人が並んで口々に『頭が悪い』『どうしようもない』『こんなの書いてお金がもらえるんだからいいですね』などという言葉を投げつけてくる中を歩いて行かねばならないような状況」
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) April 12, 2016
ガーディアンのコメント欄は近年あまりにひどくなり(暴言と陰謀論者のプロパガンダ)、最近大幅に縮小されたけど、昔はすばらしく有益で質が高かった。そのことについて書いた2008年の拙ブログ> ある「訃報」――「ネットの匿名性」の向こうに https://t.co/nVXOwMZC53
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) April 12, 2016
The women abandoned to their online abusers https://t.co/Ci38jbAC7m #OnlineAbuse 極右のヘイトスピーチに対するカウンター言論がきっかけで、極右メンバーから脅されポルノ画像を送られるようになった女性や…
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) April 12, 2016
…アメリカのBlack Lives MatterのFBページの担当者で毎朝暴言コメントを削除したり暴言ユーザーをブロックしたりしている人、知らない人から一方的にひどいメッセージを送りつけられ続ける女性や、ネットで知り合って友人となり後に恋人となった男からネットで罵倒され続ける女性
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) April 12, 2016
Black Lives MatterのFBページ担当者が "The executives who are creating the policies [for social media platforms] are almost always white men" と指摘している
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) April 12, 2016
The Guardian view on online abuse: building the web we want | Editorial https://t.co/I8UPoxV912 記事を読んだ人が発言できるようにして風通しのよい言論の場を作ってから10年後の方向性。
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) April 12, 2016
Create the web we want(私たちがほしいと思うウェブを私たちが作る)というコンセプトには強く共感する。が、「ネット上の発言」が今のようになった経緯は「デスクトップ端末からポケットのスマホへ」のデバイスの変化のほかに(その変化の前に)あったのではないか。
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) April 12, 2016
先日、レヴェソン・インクワイアリ後も責任ある報道のための取り組みが全然進展していないとして報道被害者を代表してマデリーン・マッカンの親が公の場で発言したときのTwitterを見て、あの事件のとき「ネットはニュースで見たことについて罵詈雑言と陰謀論を書き込む場」になったんだよなあと
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) April 12, 2016
むろんその前も「罵詈雑言と陰謀論」はネットのアダ花ではあったが…// https://t.co/Wxp14uo6mp "Twttr, 1 y o when Madeleine went missing, was the source of much of the vitriol"
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) April 12, 2016
マデリーン・マッカンというのは、2007年に3歳で行方不明になった女の子の名前。マデリーンが行方不明になったのは、「いい仕事をして高収入を得ている」一家がポルトガルで休暇を楽しんでいるときのことだった。英国では「誰かがつきっきりで面倒をみていて当たり前」の存在である3歳の幼児がいなくなるということは、「親が怠慢だから」という非難に直結する。実際、マデリーンが姿を消したのは両親がディナーを楽しんでいる間だったということで、「親が悪い」という大合唱が起きた。それもしつこく、何年にもわたって。
程度・範囲ということで言えば、あの「大合唱」のさまは、日本語圏での、例えば「暑いから冷蔵庫入ったwwwww」とかいって写真をアップしているアレな若者への非難と同じような感じだった。さらに、現地ポルトガルの警察官が、捜査に進展がみられないなか、英国のタブロイドを舞台にあることないこと語ってたというしょーもないおまけもついている。両親が、娘を見つけるためにかなりの費用をかけてキャンペーンを展開するなどしていたことも、「反感」をかき立て、ネット(というか「ネット世論」)的には、「両親が極悪人」ということになった。そういった「被害者バッシング」の言説のエコー・チャンバーになったのが、YouTubeのコメント欄とTwitterだった。YTのコメント欄なんかまじめに受け取ってる人は誰もいなかったかもしれないが、Twitterはそうではなかった。タブロイドを読んだ人が「感想」を言いあい、「絶対怪しいって」と口々に噂しあうエコー・チャンバーのなかで、憎悪は増幅された。
The McCanns were subjected to intense scrutiny and false allegations of involvement in their daughter's death, particularly in the tabloid press and on Twitter. They received damages and front-page apologies in 2008 from Express Newspapers, and in 2011 they testified before the Leveson Inquiry into British press misconduct, lending support to those arguing for tighter press regulation.
https://en.wikipedia.org/wiki/Disappearance_of_Madeleine_McCann
Nicola Rehling writes that the narrative around the disappearance was shaped by social media. Twitter, one year old when Madeleine went missing, was the source of much of the vitriol. Social media's attacks on the McCanns reportedly included threats to kidnap one of their twins, and when Scotland Yard and Crimewatch staged their reconstruction in 2013, there was talk of phoning in with false information to sabotage the appeal.
One man who ran a website devoted to criticizing the couple received a three-month suspended sentence in 2013 after leafleting their village with his allegations, and the following year a Twitter user was found dead from a helium overdose after Sky News confronted her about her McCann tweets. Eilis O'Hanlon wrote that the disappearance "could almost stand as a metaphor for the rise of social media as the predominant mode of public discourse."
https://en.wikipedia.org/wiki/Disappearance_of_Madeleine_McCann#Social_media
ガーディアンは、現在のThe Web We Wantの特集で、"toxic web" という強烈な言葉で現状認識を語っているが、webがtoxicになりうるということを英国で最初にまざまざと示したのは、マデリーン・マッカン失踪事件に関する「ネットの反応」だったと思うし、それはガーディアンのコメント欄が一番充実していた時期(2000年代後半)から始まっていた。
そのことをこの「インテリしか読まない媒体」はどう考えるのだろう、というかどう位置づけるのだろう、ということにも、私は関心がある。
※この記事は
2016年04月19日
にアップロードしました。
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