「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2016年04月02日

Twitterの「カード」などで表示されている当ブログの「見出し画像」について。

当ブログがお借りしているSeesaaさんでは、昨年11月半ばから「見出し画像を設定・表示する機能」が提供されている。ブログのエントリ内に入っている画像を、そのエントリの「見出し画像」として、ブログ閲覧時などに表示させることができるという機能だ。この「見出し画像」は、ブログからTwitterにフィードしたときの「Twitterカード」の画像としてもそのまま利用される。

とても便利な機能なのだが、留意点がある。

まず、普通の画像(写真など)の場合は(「ファイルのアップロード」の機能を使って)Seesaaにアップロードして当該のエントリに入れ込んでいる画像のみが対象で、外部のサイトにあるものは「見出し画像」として表示されない。TwitterやFlickrのエンベッド機能を使ってブログ上に表示させている画像は「見出し画像」とすることができない。

一方で「動画(映像)」の場合は、私はYouTubeしかエンベッドしていないと思うのだが、外部のサイトからエンベッド機能を使って表示させているだけでも、その映像のサムネイルがブログ・エントリの「見出し画像」になる。

1つのエントリに複数の画像がある場合、「見出し画像」は複数の候補から選ぶことができるようになっている(Seesaaさん「お知らせ」ブログでの「利用方法」の説明を参照)。ただしいったん記事をアップロードしたあとでないとその設定ができず、最初は「一番先頭の画像」がデフォルトで「見出し画像」として選択される。そしてTwitterのカードの画像は、最初にフィードしたときのものを後から変更することは(たぶん)できない。(普通に使っていて、Seesaaブログの「設定」のところでもTwitterの側でも、それについての「変更」のボタンは、探しても見当たらない。)

なので、例えば「新宿でおいしいレストランを見つけた」というエントリで、1枚目に新宿駅の写真を使い、2枚目にそのレストランの看板の写真を使った場合、本来の意図としては「レストランの看板」をTwitterのカードに表示させる「見出し画像」にしたかったのに、「新宿駅」の写真が表示されてしまう、ということがある。その場合、変更ができない。(駅の写真が「Twitterカード」に表示されているツイートを削除し、Seesaaのほうで新たにレストランの看板の写真を「見出し画像」に選んで改めて「Twitterに投稿」しても、エントリのURLが同じならたぶん、「Twitterカード」の画像も最初のもののままだと思う。)

imgssadf2.pngそのくらいのことなら、「まあ、いいか。まるで関連がないわけではないし」と流せばよいのだが、問題は、まったく意図せぬような画像が「見出し画像」になってしまう場合があるということだ。

先に述べたように、YouTubeの映像は、YTで提供されているエンベッドの機能を使ってコードを埋め込んだだけのものもSeesaaブログのほうで「見出し画像」という扱いを受けることになっている。それは便利なのだが、困るのは、「本文には関係ないので、エンベッドせず、リンクだけしておいた」映像でも、その映像のサムネイルが「見出し画像」の候補に入ってきてしまうということだ。

例えば1つ前のエントリ(エイプリル・フールの日に、エイプリル・フールかと思ったけど実はそうではなかったトピックについて読んだ、という話)では、私の意図としてはブログ本文で最初に埋め込んである画像(BBCのスクリーンショット)を「見出し画像」および「Twitterカードの画像」として表示させたかったのだが、筆の流れ(っていうほどかっこいいものではないけど)で、その画像より前に、「今年のエイプリル・フールの実例」に言及したときにハイパーリンクをはるだけはったYouTubeの映像があり、そっちが「見出し画像」および「Twitterカードの画像」として扱われてしまっているのだ。

このような事情で、北アイルランドについてのエントリで、なぜか今年のGoogle日本語入力チームの画像が「見出し画像」として表示されている、という状態になっている。

imgssadf.png


同じことは先日もあったし(本文内でWalk Like An Egyptianという曲名を出さずにそのフレーズを示唆した際、バングルスのビデオにリンクしたため、エントリ全体の「見出し画像」がバングルスの画像になってしまった。でもエントリ自体はバングルスにはまったくカスりもしていなかった)、これからもあると思う。こういうのを回避するように投稿することは不可能ではないのだが、正直、とてもめんどくさい。一度「非公開」で投稿しておいて、それから「見出し画像」を選び、それから「Twitterに投稿」するようにしなければならない。タイマー設定でアップロードするようにしている場合など、どんな順番で何をどうしたらどうなるのか、考えるのもめんどくさい。

「見出し画像」が違っていたって内容的には致命的なエラーにはならないので、変なケースがあったとしても、笑って流していただければと思う。

※この記事は

2016年04月02日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼