「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2016年04月02日

50年以上も生きてるシャチと、北アイルランド紛争期のデリーの子供たちの話を、4月1日に聞いた(でもエイプリル・フールではない)。

2016年4月1日、これは「あれ」じゃないというお話を追っていたら、北アイルランド紛争真っ只中のデリーに迷い込んで、当時小学生だった人たちの思い出話などを読んでいた件。
順を追って話そう。

英国のメディアの「エイプリル・フール」の嘘記事の基本形は、「とにかくもっともらしい」というものである。多かれ少なかれ衝撃的な見出し(それは記事で伝えられる話題の内容である場合も、「本紙独占」という派手な文言である場合もある)に、もっともらしい記述が続き、やがて読んでる人が「あれ……?」と思うように話が流れ、にやにやし始めたところで「嘘記事」であることが明らかになるような文言があり、最後に「今日の日付」について改めて強調する、といった形だ。

映像ニュースの場合も同様で、現場の記者が真顔でもっともらしくレポートし、関係者のインタビューで関係者がもっともらしく答えていたりする。あるいは関係者が真顔でもっともらしく語っている映像に乗せて「新奇な発明」などが紹介される。日本でも毎年Googleが作っている「ニセものの新機軸」の映像などが同様の形式だが(今年のは「もっともらしさ」が新次元に到達していた)、原型はBBCの「今年もイタリアでは、スパゲッティの収穫が最盛期を迎えています」(1957年)で、細部は時代に合わせたかたちになっているものの、この基本形に乗っ取った「大真面目なレポート(のように見える何か)」で4月1日をお祝いするという風習は、現在も続いている。これこそまさにフォークロア、伝統芸能と言えよう。

そんな日に、これを見たのだ。「スコットランド沖で、1970年代のキラー・ホエールを発見」。

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「キラー・ホエール」は日本語にすれば「シャチ」で、何ということもない動物の名称(俗称)なのだが、独特の語感がある(いかにも「小学生が大喜び」しそうな感じ)。しかもそのシャチにつけられている名前が、Dopey Dick。ひどい名前だ。 「キラー・ホエール(人殺しクジラ)」→メルヴィルのMoby Dick……という連想だろうか。

このシャチが話題になったのは1970年代というから約40年前の話だ。当時夢中になった子供が40代後半から50代のいい大人になっているくらい昔の話。
ウェブ検索してみると、1957年にDopey Dick the Pink Whaleという作品がテレビ漫画でおなじみの「ウッドペッカー」シリーズで製作されているが、それは関係なさそうだ(ちなみに「ウッドペッカー」のこのエピソードは、題名のとおり、メルヴィルの『白鯨』のパロディのようだ)。また、1930年代から70年代初めにかけて活躍していたアメリカのお笑いトリオ、「三ばか大将 the Three Stooges」にもDopey Dicksという短編作品(1950年)があるそうだが、これもスコットランドのシャチとは無関係だろう(こちらもメルヴィルの『白鯨』のパロディ)。

kwsctlnd2.pngさらに、今日のBBCのビデオには「真顔のBBC記者」も出てくる。「専門家」も出てくる。「もっともらしい解説の画像」も出てくる。つまり、4月1日に「疑わしいニュース映像」に見える要素が揃っている。

「ううむ」と思いながらビデオを見る。

クリップはまず、スコットランド沖での「ホエール・ウォッチング」の映像で始まる。海の表面に、泳いでいくシャチの背中や背びれが見える。スコットランドの西海岸で行なわれている観光ツアーだろう。小さな港町を訪れているデイヴィッド・ミラー記者は、その埠頭で台本どおりの「ニュースの導入」をまじめな顔をしてカメラに向かって語る。次のカットでは港に浮かぶ一隻の船。"Scotland's unique population of killer whales" についてより詳しいことを調べている鯨類保護の活動をしている団体の調査船だ。乗っているのは赤毛(ジンジャー)のひげがすてきなコナー・ライアン博士。パソコンの画面をBBC記者に見せて何かを説明している。


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何でも、これらのスコットランド西海岸のシャチたちは、それぞれの背びれの特徴で個体識別をしているそうだ。背びれがぐにゅっと曲がっているのは「フロッピー・フィン」。メスにしては大きな背びれをしている「マネーペニー」。根元に切れ込みがあるのはオスの「ジョン・コー」。

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もっともらしい。 (・_・)

映像はここで画質が変わる。語り手の声も変わる。「1970年代」のニュース映像だ。ロンドンデリー(原文ママ)のフォイル川の河口のところに現れたシャチ。それを見るために集まった人々。1977年のことだそうだ。

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このあまりにスタンダードすぎる服装からはいつの時代の映像かがわからないが、背景を走っていく車から「70年代」は見て取れる。

今回のBBCの映像の中ではコナー・ライアン博士が記者に説明している。「最近になってFacebookにアップされた写真が、背びれの形からDopey Dick(現在はCometと呼ばれている)と思われるのです」。ライアン博士は実に嬉しそうな顔をして「少なくとも50歳にはなっているということですよね」。

そう語るライアン博士はまだ若い。30歳前後だろう。

kwsctlnd6.pngBBCのカメラはここで博士のかぶっているニットキャップの縫い取りを大きく写す。"Hebridean Whale and Dolphin Trust." 「ヘブリディーズ諸島鯨・イルカ類トラスト」。

実はこの映像、再生ボタンを押す前に「ショッキングと感じられる可能性のある映像が含まれています」という警告が示されているのだが、そのパートはここからである。

少し前、ヘブリディーズ諸島のひとつであるタイリー島に、シャチの死骸が打ち上げられていた。「ルールー」として知られるこのメスのシャチは、ライアン博士たちが保護活動をしているコミュニティに属する一頭で、これにより、元々ごくわずかな数しか確認されていないこの海域のシャチがまた減ってしまったことになる。遺骸に残された傷跡から、魚網に絡まってしまったようだ。

このルールーのことは、検索すると詳しい記事が出てくる。1月6日付けのBBCや、より詳しい1月9日付けのIBTなど。また、ライアン博士たちが保護活動に取り組んでいるこの海域のシャチについては、インディペンデント記事より:
The so-called West Coast Community – an isolated population of killer whales, whose members are slightly bigger than other orcas thanks to hundreds of thousands of years of evolution – is now down to eight members; Nicola, Moneypenny, Floppy Fin, John Coe, Comet, Aquarius, Puffin and Occasus.

... The pod has been in long-term decline, producing not a single calf since monitoring began – although whether this is because the females are too old to reproduce, their food supplies are dwindling or pollution is taking its toll, is unclear said Dr Ryan.


このような状況だからこそ、今回「ドーピー・ディック」と思われる個体が確認されたことは、嬉しいニュースとなっている。

BBCの映像は、スコットランドの西の洋上でホエール・ウォッチングに興じる観光客の映像に重ね、記者が「ここのシャチたちは、私たちが生きている間に絶滅してしまうかもしれません」と述べて結んでいる。

さて。

この映像を見終わった私は、9割がた「エイプリル・フールではない」と思っていたが、まだ最後の確証がほしかった。つまり「実際に70年代に北アイルランドで、アゴヒゲアザラシのたまちゃんみたいなことがあったのか」という点。そういう場合、見るところは決まっている。「北アイルランド」のリストだ。

そしたらすぐに確証が得られた。







マイケルさんもディーンさんもBBCの記者である。GMUはGood Morning Ulsterという朝のラジオ番組。









デリー・ジャーナルが大喜びしている。




ベルファスト・テレグラフも。




「学校で見学に行った」っていう人もいる。




デリー・ジャーナルの記事を読むと、保護活動をしている人たちが「コメット」と呼んでいるオスの個体と、1970年代のフォイル川に迷い込んだオスの個体が同一の特徴を持っていることに気づいた、ということのようだ。シャチの寿命は30年程度とされるが、ドーピー・ディック/コメットはその倍近くも生きていることになる。

Killer whale expert Andy Foote and Hebridean Whale & Dolphin Trust Science Officer Dr Conor Ryan in Scotland have compared old photographs and footage uploaded onto Facebook to confirm the match, and have said he is now at least 58 years old- almost twice the 30-year life expectancy for a killer whale.

Sightings Officer of the Irish Whale and Dolphin Group Pádraig Whooley said: “This match places Comet very much at the upper limits of the typical life expectancy of male killer whales.”

...

Dr Foote said: “When I saw the photos on Facebook, I noticed that the white eye patch of Dopey Dick sloped backwards in a really distinctive fashion. This is a trait we see in all the West Coast Community whales, but it’s not that common in other killer whale populations. The photographs were all quite grainy, but it was still possible to see some of the distinctive features unique to Comet. I couldn’t believe it – he was already a full grown male back in 1977, when I was just five-years old!”

http://www.derryjournal.com/news/dopey-dick-has-retired-to-scotland-1-7307581


ちなみに、1977年にフォイル川に迷い込んできたのは、魚の群れを追いかけてきた結果のようだ。フォイル川は、河口のあたりは汽水湖になっている。「入り口」が狭いので、海の生物にとっては、入りやすいが出て行きづらい。このときは軍隊が投入されて、牛の半身をぶら下げた船で鯨笛を吹いて誘導したという。

Dopey Dick is believed to have been chasing a dinner of fish up the Foyle and the army was brought in along with officials who tried to lure him back out using a side of beef and whale whistles.

http://www.derryjournal.com/news/dopey-dick-has-retired-to-scotland-1-7307581


1977年。シャチがデリーに来たのは11月のことだとウィキペディアに、何年も前のBBC Radio Foyleのページをソースとして記載されている (The city was visited by a killer whale in November 1977 at the height of the Troubles; it was dubbed Dopey Dick by the thousands who came from miles around to see him)。この個体に変な名前をつけたのはデリーの人々だ。きっと「キラー・ホエール」の「ホエール」からMody Dickを連想したのだろうが、フォイル川を泳ぐばかりで外海に出て行けない様子がdopeyだということで、Dopey Dickなんていう名前にされてしまったそうだ。

こんな「平和的」な任務に借り出された英軍兵士たちは、きっとほっとしただろう。

年表を見てみると、1977年10月には「ピース・ピープル」のノーベル平和賞受賞がアナウンスされている。
http://cain.ulst.ac.uk/othelem/chron/ch77.htm

1972年の「ブラディ・サンデー」から5年後、1979年のマウントバッテン卿暗殺などでIRAが「爆弾魔」化していく前の時期。そこはどんなふうだっただろう。

デリーでの当時の報道については、2015年10月のデリー・ジャーナルの記事がある。
http://www.derryjournal.com/news/dopey-dick-s-derry-visit-on-bbc-1-7014072

‘Huge Whale in the Foyle’, the front page of the ‘Journal’ of November 8, 1977, exclaimed.

“Golfers at City of Derry Golf Club couldn’t believe their eyes when they saw what seemed to be a whale swimming in the Foyle, the ‘Journal’ report continued before adding that officials from the Foyle Fisheries Commission “confirmed yesterday that it was, in fact, a whale of over 20 feet in length.”

Little at this stage was known about the strange visitor to the Foyle. “What type the whale is is not yet known,” the ‘Journal’ story continued. “How the whale arrived in the River Foyle so far upstream is baffling marine experts,” it reports.

Dr Richard Briggs, of the Fisheries’ research lab in Coleraine, said he had never heard of such an incident in the Foyle. By the following Friday, November 11, the ‘Journal’ front page included the headline: ‘Operation Rescue launched but Dopey Dick stays put in the Foyle’.

By now, the city had taken to the strange visitor - identified as a killer whale - and bestowed upon him the moniker, ‘Dopey Dick’.


BBC Radio Foyleのページに、視聴者の思い出が掲載されている。ざっと数えて18人分。
http://www.bbc.co.uk/northernireland/radiofoyle/dopeydick/memories.shtml

Name: Chris
Location: Aberdeen
Memories: Although I was only born 6 months earlier and obviously have no recollection of the event itself, I remember the stories and everytime we crossed the Craigavon Bridge, looking to see if Dopey had returned (Not knowing he had died). My wife looks at me like I'm Dopey when I tell her of Dopey Dick so I'm glad others are remembering the tale.


Name: Louise
Location: Belfast
My Memories: I was a pupil at the Nazareth House Primary School on Bishop Street and was about 8 at the time. I remember our class was taken to a balcony at the back of the school where we had a fantastic clear view of the river. I saw the whale very clearly and it's huge dorsal fin sticking out of the water. There was an army boat close to it with what I think was a big lump of meat. They were obviously trying to coax it back up the river and out to sea. The Craigavon bridge was packed with buses and people cheering every time they saw it. I also remember crying when I heard it had died a couple of days later.


このように、当時、川に迷い込んだドーピー・ディック/コメットは死んだとされていたケースがあるようだ。

一方で、脱出したと聞かされた人たちもいるらしい。

Name: Mary Josephine Devlin
Location: Co. Donegal
My Memories: Thank you for reviving the memory of Dopey Dick. He certainly was the talk of the town and many people from Co.Donegal made the pilgrimage to see this great star, in November 1977.

It may be silly to say now, we were on talking terms with Dopey Dick but he responded to voices, twisting now and again, and then finally swimming off in triumph. It was a lovely memory. ...


Name: Kevin
Location: Dublin
My Memories: I was at St Columbs and we had a great view from the huts. If we got bored during class, someone would shout, there he is and the whole class would jump up and spend 10 minutes waiting to see dopey Dick again. I remember the day he left there was a boat race on and he swam away himself, not so dopey after all.


……と思ったら、いなくなったあと死んだとも言われていたのか。

Name: Niall Gormley
Location: New York
My Memories: how could i ever forget, it was one of the highlights of my time at rosemount primary school. I was in primary 6 and Mr Martin, who was always trying differant ways to educate us by doing things outside the classroom decided he would take us all down to the foyle for a look at Dopey Dick. So of we all went, heading down to the foyle in a single file from rosemount and were delighted to see him surface from the water as if he was doing it especially for us. Of course after a while when we got bored looking at him, we all decided that in good derry fashion that we would start throwing stones at him and a few days later when he left we claimed the glory for getting him to leave because he was afraid of the stones. Then , when we found out he was dead we were all very sad and wondered if it was our fault. A very fond memory indeed.


彼がフォイル川にいたのは1週間ほどだったようだ。

Name: William
Location: Londonderry
Memories: The killer whale was fist spotted above Craigavon Bridge on Sunday 6th November 1977, and was soon became known as Dopy Dick. Foyle Fisheries Commission staff monitored his movements (from the size and shape of its tail it was a male). He remained in the River until the 14th November and was last seen in Lough Foyle by a fisherman near the Coal Pier at Moville the following day.


「ドーピー・ディック」で検索して得られたページに、こんなことが書いてあった。
The whale disappeared as mysteriously as it arrived. No carcase was every found so it is assumed it made its way safely back into the North Atlantic. He was nicknamed Dopey Dick because of his initial inability to find his way back to sea.

http://www.rareirishstuff.com/blog/dopey-dick.5624.html


「1977年11月にふと現れた彼は、約1週間後に来たときと同じようにいつの間にかいなくなっていた。遺骸も見つからず、無事に北大西洋に戻ったと思われる」。

そして実際にそうだったことがわかったと伝えられたが、2016年4月1日だったのだ。

よく指摘されることだが、「紛争地」では「紛争」だけが起きているかのように部外者は思いがちである。しかし実際には、「紛争地」であろうとも、子供たちは学校に行くし、大人たちは仕事に行くし(失業していなければ、だが)、買い物をしてご飯を作るし、デートもするし、犬の散歩にだって行く。そんな日常の中に割って入ってくるのが「爆弾テロ」だったり「銃撃」だったり、「テロ組織のリクルート活動」だったり「治安当局のスパイ活動」だったりする(IRAに誘われたり、報酬ははずむからMI5のスパイにならないかと誘われたりする)。そして、広く語られるのは「テロ」だったり「組織の活動」だったりして、「学校に行く」とか「買い物をする」とかいった日常的なことはほとんど語られない。

キラー・ホエールのドーピー・ディックは、約40年のときを超えて、そういうことを語る機会をまたもたらしているのではないかと思う。当時デリーにいた人々が、今もデリーにいるとは限らないということが、先に参照したBBC Radio Foyleのページからも明らかだ。今頃はきっと、世界のいろいろなところで「元・子供たち」が「あのシャチ」のことを思い出して、家族や友人たちに語っていることだろう。



この件についてYouTubeで検索したら、変なのが出てきた(笑)。マクギネスさん、何してるんですか。2013/05/22の日付でアップされているビデオ(「フォイル湖にネッシー出現?」だそうだ)。




コメント欄より:
Real or fake? They are film students, so you've got the answer....

I couldn't understand 90% of what was said in this video. God damn it, I really was interested in this.




なお、ヘブリディーズ諸島のシャチの群れについては:
http://www.whaledolphintrust.co.uk/research-photo-identification-gallery.asp?gallery_id=14
(コナー・ライアン博士が属している保護団体のサイト)

※この記事は

2016年04月02日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼