「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2016年03月26日

イスイス団は、子供に、子供を殺させる。

今日、イラクでイスイス団の自爆攻撃があった。いや、今日*も*、イラクでイスイス団の自爆攻撃があった。BBCなど国際メディアも1本記事を立てるレベルで報じている(きっと国際メディアがろくに報じない自爆攻撃は、イラクではいくつもある)。標的とされたのは「サッカーの試合」で、「29人」が殺されたと文字にされている。

Iraq violence: 'IS suicide attack' kills 29 in football match
http://www.bbc.com/news/world-middle-east-35901358

The bomber detonated the explosives at the end of a football match, wounding more than 60 others, according to police and medical sources.

...

A local police captain said the suicide bomber blew himself up in the crowd as the trophy was being handed to the winners, AFP news agency reported.


実際には、この言葉から想像されるよりももっとsinisterなことが行なわれた。標的とされた「サッカーの試合」は少年サッカー。殺された「29人」は多くが子供たちだ。

子供の中で自爆したイスイス団戦闘員も、子供だ。

イラクは「サカバカ」(サッカー馬鹿)の国だ。サダム・フセインは民衆に不満を抱かせないよう「パンとサーカス」は提供していたが、その「サーカス」がサッカーだったという。イングランドの人たちもサッカーというと熱くなるが、イラク人もそうで、イラク戦争のときはBBCなどイギリス人の取材クルーが「ベッカムは止まっているボールがあるときにはいい選手だ」などと話しかけられたといったことが、「こぼれ話」的なところで書かれていることがあった。

しかし競技スポーツは、ある者たちにとっては侮蔑すべきものであり、そればかりか力で破壊しなければならないものである。サッカーの試合を村人がテレビで観戦していた村のカフェが攻撃対象とされるということは、アフリカでも中東でも起きている。

イラク戦争での「大規模戦闘終結宣言」から、イラクが宗派間紛争(セクタリアン・コンフリクト)にすべり落ちていくまでの間にイラクについて不安視されていたのが、シーア派の「原理主義」者たちだった(一般のニュースの用語としての「イスラム原理主義」は1979年のイラン革命で現代史に登場したといってよいようだ。文献は今手元にない)。そのころも、「サッカー」は締め付けの対象になっていると報告されていた。私も、ムクタダ・サドルのマフディ軍などが、宗教的な締め付け(同性愛者の迫害、キリスト教徒の迫害などを含む)を強めると同時に、娯楽やテレビでのサッカー観戦などに目を光らせている様子を、英語から日本語にしてブログに書いていると思う。ただし、マフディ軍はサッカー観戦などの行為そのものを標的として大量殺人を行なうようなことはしていなかったはずだ。

現在、一般市民の生活の場で自爆などの暴力を行使しているのは、スンニ派の「原理主義者」たちだ。それについて、私は私が英語を通じて知ったことを日本語で書くと「デマを流している」と言われることになるので、それ以上詳しくは書かない。カギカッコを用いて「原理主義者」と述べていることにはご留意いただきたい(報道でよく使われる用語を引用しているのであり、私自身の言葉ではない)。

さて、土曜日に自爆が行なわれたのは、首都バグダードの南(つまり、イスイス団が支配しているのとは反対の方角)にあるイスカンダリヤという街である。ここはイラク戦争のときから報道によく名前が出てくる土地だ。

子供たちのサッカーのトーナメントの決勝戦だったようだ。グラウンドに集まった選手たちの前で、机に置かれたトロフィーが輝いている。そこに……という映像が、現地で記録されている。きっと、優勝したチームがトロフィーを受け取るところを撮影しようとしていたのだろう。撮影者は誰だろう。親御さんか、兄弟か……。

※映像は、あんまりうっかり見ない方がいいので、URLをクリックしないと再生しないようにしてあります。







下記は写真。あまりにひどいのでURLをクリックしないと見られないようにしてある。血を流して倒れているのは、少年サッカーの子供たちだ。





上で非表示にした写真(何点かのコラージュ)には、ぐにゃりと曲がったゴールポストや血を浴びたサッカーボール(使い込まれている)も含まれている。



"The suicide bomber cut through the crowd to approach the centre of the gathering and blew himself up as the mayor was presenting awards to the players," Ali Nashmi, an 18-year-old eyewitness, told the AFP news agency.

The mayor, Ahmed Shaker, was among the dead.

"I was maybe 50 metres from the spot. The blast was extremely loud," Haidar Kadhem, a 20-year-old who survived the explosion, said.

"Most of the crowd were young people, I could see them strewn across the field, some dead, others wounded asking for help. It was just chaos."

An apparent escalation of large bombings in areas outside ISIL's control suggests that Iraqi government forces may be stretched thin after recent gains against the group in the western and northern provinces. ...

http://www.aljazeera.com/news/2016/03/suicide-attack-kills-dozens-football-stadium-iraq-160325181900028.html



自爆したのはこの人物だと、イスイス団は声明を出した。





このニュースを受けて、Twitterでは #PrayForIraq というハッシュタグがトレンドしていた。

しかしそれは、先日のブリュッセルでの連続爆破のときに純粋に「現地に思いを」というような形で出てきたばかりではなかった。「なぜ、イラクでの自爆では、メディアは静かなのか」という英語圏の不満が凝縮されてもいた。

さらに、「今日はイエメンでもひどいことがあったのだが」というのもあった。

ひとつのことを取り上げると、「なぜこっちは無視するのか」と言われる(必ずしも「非難」でなくとも)。よくあることだ。イラク戦争について書いているときに「ダルフールを無視するおまえはただの反米バカだ」ということを言われたことがあるが、そのように明確に政治的な発言(公開の場で私を「反米バカ」と位置づけたい政治的な意図のある発言)でなくとも、シリアのことを書いていたらイエメンのこともとか、DRCのこともとか、そりゃもうそこらへんにあふれている。私自身、2009年にイランの選挙後抗議行動への弾圧で「人権侵害反対」と声を上げていた人たちが言う「人権侵害」が「イランにおける人権侵害」に限られていたので完全に冷めたこともある(2009年9月にギニアのスタジアムで一度に150人が殺されるなどしたときに、イランに関して「人権、人権」と騒いでいた人たちは、イランに直接のかかわりがある人もない人も、沈黙していた。イラン人・イラン系の人たちが「よその国の出来事どころではない」と言うのはわかるが、「普遍的人権」を掲げてアメリカ人に働きかけようとしていた人たちの「一度に150人も殺される」事態への沈黙は、理解できない)。

しかし「なぜ○○ばかり取り上げるのか」という言説は、当たり前のフラストレーションの表明であるばかりでなく、もう、「次に何かあったときに関心をそこに集中させないための言論装置」になりつつあるのではないかと感じている。

昨年11月の「なぜパリばかり」の言説の大流行が残したものの分析が、そろそろなされるかもしれないが、現状、私は見かけていない。そこまで見ていないといったほうがよいが。





今日の#PrayForIraq というハッシュタグからいくつか。















自爆した人物は、少年サッカー大会の表彰式のグラウンドにいても違和感のない年頃の子供だ。下記、URLクリックで画像(とイスイス団の声明のスクリーンショット)。声明で出された写真では「戦闘員としての正装」をしているようだが、ジャージ姿なら目立たないだろう。




先日のイスタンブールでの自爆(ISISが犯行声明)で、通りに並ぶ店の監視カメラに記録されていた自爆者の映像を見ると(リンクはしない)、自爆者は「ぶかぶかの服装」ではなく、普通に脚にフィットしたストレートのジーンズに、ウエストまでの丈のパーカーかジャンパーを着ていた。映像を見る限り、中肉というより細身に近い体格で、バッグなどを持っていたわけでもない。つまり、自爆装備は目立たない。

イスイス団が18歳以下の子供を戦闘員にしていることは、以前から伝えられている通りだが、最近、その規模が今まで言われていたのをさらに上回るとの報道が出ている。

Isis sending children to die at unprecedented rate, report warns
Shiv Malik
Friday 19 February 2016 10.21 GMT
http://www.theguardian.com/world/2016/feb/19/isis-sending-children-die-unprecedented-rate-report-child-soldiers
Examining Isis death notices of 89 children and youths on Twitter and the encrypted communications app Telegram, a study by Georgia State University found that the minors came from at least 14 nationalities, with just under two-thirds aged between 12 and 16.

According to the analysis, which ran from the start of 2015 until the end of January this year, the death rate has doubled for those aged 18 and under being used by Isis. Overall, 39% of them were used to drive cars or trucks laden with explosives at the enemy. A further 33% died as foot soldiers.

There were three times as many suicide operations involving children and youth in January 2016 as the previous January, the researchers found.


15歳を過ぎれば、見た目も力も大人と変わりない人たちはいるだろう。英国出身のイスイス団メンバーで、英国出身者としては最年少の自爆者となった人物は17歳だが、ひげを蓄えた顔写真(上記ガーディアン記事の端っこに示されている)は「子供」というより「若者」に見える。

しかし実際には、もっと幼い風貌の戦闘員たちも、爆薬を積んだ車の運転という形で自爆攻撃を行なっている。オーストラリアの高校ドロップアウトで、「ジハディ・ジェイク」と呼ばれた白人少年はその1人だ。

ただ車での自爆をやらされるのは、(免許は別にいらないにしても)車が運転できる体格の子供に限られる。爆発物を身につけての自爆は、そうではない。

イスカンダリヤのサッカー大会への自爆攻撃で、イスイス団は、多くの邪悪なメッセージを出していると思う。

追記:血染めのサッカーボールの写真が単独でツイートされていた。


※この記事は

2016年03月26日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:59 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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