kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2016年03月24日

ISISに入ろうとしたという日本人男性の件

今日(2016年3月24日)、大きなニュースになっている表題の件、英語で読める報道記事(それぞれ第一報)をリンク集としてまとめてあります。

イスイス団(ISIS)に入ろうとした日本人がトルコで拘束されたとの件(報道リンク集)
http://matome.naver.jp/odai/2145879858636568301


トルコの英語メディア(アナドル通信、ドアン通信など)も、国際メディア(ロイター、AP、AFP)も、ざっと見たところ、あまり詳しいことは書かれていませんでした。日本の報道機関が第一報で記事に書いていることと情報量にほとんど違いはないと思います(日本の新聞記事にない情報もありますが……当該の男性が「M.M」という名前であること、拘束時の男性の写真など)。

なお、「NAVERまとめ」では非表示にされてしまう日本の報道機関の記事(朝日新聞、毎日新聞)を含めた記事のクリップは、はてブにあります。Turkeyのタグで管理していますので、必要な方はご参照ください。
http://b.hatena.ne.jp/nofrills/Turkey/

時間が経過すると、このタグでは記事が流れてしまうかもしれません。その場合は下記からどうぞ。少しは絞り込まれます。
http://b.hatena.ne.jp/nofrills/Turkey/jihadi

あるいは単に今日の日付で見る、という方法もあります。
http://b.hatena.ne.jp/nofrills/20160324

明日もニュースが続くようなら、明日もはてブにクリップします。その場合は:
http://b.hatena.ne.jp/nofrills/20160325

この件は、Twitterであまり触れないようにしています。人々の関心が飛びぬけて高い話題についてTwitterでRTしたり言及したりすると、アルゴリズム的に、「この人はこのトピックに関心が高い」ということで非常に目立ってしまうので……この件は、私としては「ニュースがあるからメモっとくか」という程度の関心で、今私が一番見たいのはアイルランドなんですが、アイルランドよりイスイス団に高い関心を抱いているかのように扱われかねないので……。「気にすんな」って言われるかもしれないけど、そういうの、いやなんですよね。何となく。『虐殺器官』の冒頭的な感じで。

4150309841虐殺器官 (ハヤカワ文庫JA)
伊藤 計劃
早川書房 2010-02-10

by G-Tools



※この記事は

2016年03月24日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 20:00 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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