「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2016年03月21日

「思いやりある保守主義」、IDSの辞任、英国での「福祉」の削減(おまけ:みんな大好き経歴詐称ネタ)

19日・20日の週末の英国政治ニュースといえば、イアン・ダンカン・スミス(IDS)が労働・年金大臣を辞したことだ。理由は、デイヴィッド・キャメロンとジョージ・オズボーンが進めようとしている障碍者手当て削減には賛成できないということだそうだ。

Iain Duncan Smith quits over planned disability benefit changes
http://www.bbc.com/news/uk-politics-35848687


しかし、IDSといえば、Universal Creditに関して、「貧困」についてトチ狂った感覚(それは「パン一斤の小売価格を知らない」とかいった「浮世離れ」とは次元が違う)を露呈して開き直っていた政治家である。詳細は下記参照。
https://en.wikipedia.org/wiki/Iain_Duncan_Smith#Universal_Credit

それが今さら、「弱者の味方」、「政府トップの横暴に黙っていられない良心の持ち主」というわけですか……ということでメディアも裏を読みまくり、「英国の欧州連合残留or離脱」に関する事情があるのでは、などといった報道がどっと出た(IDSは「離脱」派)。

そこに至るまでの、キャメロン&オズボーンの「福祉(の削減)」政策について、十分にニュースで情報を得ていたらわけがわからなくなることもなかったのかもしれないが、私はそこまでニュースを追っているわけではなく、IDSの突然の「弱者の味方」っぷりには、「なにこれ、わけわかんないんですけど」と思うよりなく、「福祉は建前で、本音としてはEUだよ」といった説明にも、釈然としないものを覚えていた。保守党にとっては部外者のメディアであるガーディアンの報道は、「言われていることを全部1ヶ所にまとめておきました」的なトーンのBBCの記事よりはわかりやすかったが、それでもよくわからなかった。




今日月曜日、週末を挟んで英国の政治ニュースが動き出し、識者が「なんだかよくわからないことが起きていますね」的に解説しているのを読んで、ようやく少し腑に落ちてきた。IDSに特に関心はないのだが、そのことをメモっておこう。

キーワードは「思いやりある保守主義 compassionate conservatism」だ。

ここでの「思いやり」とは「支援ばかりしていては支援を受ける人のためにならないので、自立できるように支援を減らすのが思いやり」という意味で、日本での「障碍者の自立を支援しましょう」というナラティヴも同じ思想に立脚している。「思いやりある保守主義」は特に新しい概念ではなく、1980年代初頭の米レーガン政権で打ち出されたものだ。2000年大統領選挙でGWBがスローガンとして掲げていたことで知った人もいるかもしれないが、あのときは日本の報道は「思いやり」を文字通りに受け取って解釈してみせていて、「ええと……」と思ってしまうようなことを解説してたりした。当時は欧州の中道左派の「第三の道」などが流行してたので、それを踏まえていたのだろうし、「目前に迫った21世紀への展望」的な楽観ムードが基調にあって、お気楽な語り方がされていたのかもしれない。GWBについて「バーで一緒になったら楽しそうだ」とかいう有権者の印象が、大真面目にワシントンから報告されてたのだ(なお、GWBは酒は飲まない)。

ともあれ、「思いやりある保守主義」に関しては、ウィキペディアにある程度まとまっている。
https://en.wikipedia.org/wiki/Compassionate_conservatism

下記のようなまとめかたもわかりやすい。




comcon.pngさて、先ほど、TwitterでこのワードがTrendsに入っていた。リンクはこちら

私がログインした状態で(私のフィルター・バブルの中で)見ると、"Compassionate conservatism is an oxymoron" という、怒りを表す言葉、もしくはツッコミが多いのだが、保守党支持者が読む新聞、デイリー・テレグラフの社説を書いてる(論説委員)ティム・スタンレーさんによると 'when many Cameron Tories signed up to "compassionate conservatism" they thought it just meant social liberalism' だそうだ。何言ってんのって感じだけど、政治家とジャーゴン(「思いやりある保守主義」はシンクタンクが使うようなジャーゴンだ)の関係はそんなものだろう。「第三の道」のトニー・ブレアだって、あとから「ぶっちゃけ、あれって何のことなんですか」と質問されて「わからない」と応えていた(あと「多文化主義」についても、ブレアは同じようなことを、あとから言っていたね)。

というわけで、Twitter上には「『思いやりある保守主義』とかいうオクシモロンをしばらく黙ってまじめな顔をして見つめてみてください」と言う人とか、「キャメロンが『思いやりある保守主義』に全身全霊をかけて取り組んでいくとか言ってるのでお茶ふいた」と言う人とかが大勢いたのだが、その中に、尊敬するスザンヌ・ムーアさんの記事のフィードがあった。ムーアさんはガーディアンで論説(コラム)を書いている書き手のひとりである(また個人的に、この人が書いてるものは読んでみようかなと思っている書き手である)。






で、相変わらずこの記事は読むとすっきりわかるので読む価値がおおありだと思うのだが、書き出しがまたすごかった。
Are we to accept that awful croaker, Iain Duncan Smith, as some new martyr in the fight against austerity? Clearly the man who lied extensively on his CV is still in the business of self–delusion. His sudden realisation that the government was bearing down on the weakest in society, those who were never going to vote Tory anyway, has woken him from his slumber.

http://www.theguardian.com/commentisfree/2016/mar/21/iain-duncan-smith-empty-truth-compassionate-conservatism


あったわー。忘れてたわー。IDSの経歴詐称。2002年12月だ。
http://www.bbc.co.uk/pressoffice/pressreleases/stories/2002/12_december/19/newsnight_ids_cv.shtml

Iain Duncan Smith's biography on the Conservative Party website, his entry in Who's Who, and various other places, state that he went to the Universita di Perugia in Italy.

This is not true: his office now admit that he went to the Universita per Stranieri, which is also in Perugia.

The Universita per Stranieri - or University for Foreigners - was founded in 1921 and is a totally separate institution to the medieval Universita di Perugia, founded by the Pope in 1308.


というわけで、こういう「経歴詐称」は別に「日本だけ」でもないということで。

でも、経歴から「南カリフォルニア大に2年間留学」をさくっと削除できてしまうとかいうような詐称が行なわれるかどうかは、このケースではわからないか。

ともあれ、スザンヌ・ムーアの文は一読の価値がある。めんどくさいことがらを実にあざやかに整理している。
Where, I wonder, does this leave the creed of Cameronism itself? For a while it has seemed little more than an extension of Thatcherism with some gay rights thrown in. This is we are told is “compassionate conservatism”. I once followed William Hague around America (a young Osborne was there too) as he was learning compassionate conservatism from people like George Bush and Henry Kissinger. One of its key tenets is decentralisation from the state alongside the idea that only markets can generate wealth and freedom.

Yet this is not what Osborne has done at all. He is centralising power like crazy. Why is he interfering in school days, taking power away from local authorities, ending parent governors? This is a power grab and increasingly it exposes the end of any compassion that may have existed within the party leadership. Austerity no longer makes sense even in terms of his own logic. This is an ideology of callousness. And it is brazen.

Cruelty as George Eliot said requires no motive outside itself. “It only requires opportunity.” This is the legacy of Cameron.

http://www.theguardian.com/commentisfree/2016/mar/21/iain-duncan-smith-empty-truth-compassionate-conservatism


あと、この文には「ジョージ・オズボーンは、この先何世代にもわたって保守党の票を固めたいと思っている (Osborne, the arch-strategist whose dream is to lock in the Tory vote for generations)」ともあり、ここ数年の保守党の「政治的自由主義と相容れない政策を行い、連立相手のLibDemsを骨抜きに」とか、「ナショナリズムを煽り、地域ナショナリズムとは微妙な関係である労働党に大打撃を」とかいった戦術が、「政権交代を前提とした二大政党制」から「保守党の安定長期政権」(選挙で選ばれた民主的な一党支配……日本の自民党のような)を目指して行なわれているということが改めて見えてくるだろう。

※この記事は

2016年03月21日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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