「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2016年03月20日

3月20日に/イスタンブールでの自爆




13年前、米軍がバグダードに対する攻撃を開始した(イラク戦争)。

23年前、IRAがイングランドの小都市ウォリントンの歩行者専用の商店街のゴミ箱に仕掛けた爆発物で、3歳の子と12歳の子が殺された。

それが3月20日という日付だ。

昨日、2016年3月19日トルコのイスタンブールで男が自爆した。Twitter上を流れていた監視カメラの映像は、ウォリントンの商店街によく似ているように見えた(もっとアップマーケットかもしれないが)。



↑↑ジョン・ウィリアムズさんがツイートしているこの映像は、まだ衝撃が低いほうの映像だが、慣れていない人はあまり見ないほうがいい。現場の通りの様子を紹介したいのでエンベッドしておく。(この映像ではなく、爆発した地点の目の前の監視カメラの映像もTwitter上を回っていて、それは非常に衝撃的である。誰かを待ってでもいる様子でカメラの正面に立っていた男が、通りを渡ろうと歩き出し、そして爆発する。男はブルージーンズに、普通のパーカーかフードのついたジャケットで、特にもこもこした服装だったり、動き方が目立ってぎこちなかったりするわけではない。完全に、街の中に埋没してしまうような風体だ。)






爆発で殺された人数は、当初3人(その後増えている)、イスラエル人とイラン人だ。当初はISISかもしれないしPKK(を含むクルド武装組織)かもしれない、どちらかわからないと言われていたが、翌日になり、ISISということでトルコ当局が確定しているようだ。






そしてこの自爆攻撃のあと、Twitterは「トルコのための祈り」にあふれた。




しかしその「祈り」のハッシュタグの画面は、昨年11月のパリ同時多発テロのときの「なぜパリばかり世界のメディアは大騒ぎするのか」という怒りに満ちていた。「偽善だ」、「偽善だ」という叫び声。

まるで、トルコには行ったことがないが、フランスには行ったことがあるので、フランスのほうにトルコよりもある種の「親しみ」というか「知識」を持っている私が偽善者だといわれているような気分になる。

そういうちょっとした食い違い、亀裂のようなものは、たいへんに利用しがいがあるものなので、それを利用しようとする者に気をつけなければならない。

実際、3月19日のイスタンブールでの自爆テロに関する言葉に、昨年の、もっと暖かい季節(道行く人の服装が長袖ではなく、半袖だったりノースリーヴだったりするような)の爆弾テロの写真が添えられて、Twitterでぐるぐる回っていた。

その写真は、今日の写真ではないですよ、と言おうとして、やめた。

きりがないし、それに、「特別高い関心を持っている人だ」と思われたら面倒な絡まれ方をするかもしれない。

2016年3月21日は、Twitterの最初の「つぶやき」から10年の記念日でもある。@Jackが使っていた twttr というスペルは、2000年代半ばに流行った「母音抜き」で、flickr (flickerの母音抜き) ユーザーにはおなじみの流行だ(flickr.comでは、写真の管理機能のorganizerは "organizr" と呼ばれるなどしていた)。




で、今「トルコのために祈りを」と絶叫している人々は、イエメンのために祈ってたりするんですかね。





もう、こういうの、疲れた。

※この記事は

2016年03月20日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:00 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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