kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2016年03月18日

セント・パトリックス・デー補遺。WHに入れなかったアダムズと、デリーのプロテスタントの件

アイルランド成分濃度が高すぎて、次から次へといろんなものが出てくるから、エントリが書き終わらない。17日は水とお茶とコーヒーしか飲んでいないのに、目にする成分のため頭がぐるぐるしていて、追記するとわけわかんなくなるので、別記事を立てることにした。

迎え成分補給しながら(テンポ速い):



まず、ホワイトハウスのいつものイベントに招待されていったら、入り口でセキュリティに止められて90分も待たされているうちにイベントがほとんど終わってしまい、そのまま立ち去ったジェリー・アダムズについて。

アダムズは、事後出したステートメントで、"Sinn Fein will not sit at the back of the bus for anyone." と黒人公民権運動のローザ・パークスを引き合いに出して、あてこすっているのだが(アイルランド政治系クラスタとしてはここは真顔)、
1. これがアメリカをざわつかせ……
2. その後のイベントでのスピーチで、アダムズが「シン・フェインだけ他の政治家と扱いが違う」として、パークスを再度引き合いに出し……
3. さらに「私はローザ・パークスさんとはお会いしたことがありますが、何か」と証拠を提示したら……
4. 即座にツッコミが入る
……という、変則的な4コマまんがみたいなことになっている。






(実際には3コマ目のYouTubeの映像の前に、マーティン・マクギネスからの助け舟がある。2人とも同じ場所にいるので、2人で話をしてたのかもしれない)

4コマ目の「ツッコミ」の主、イアン・ジェイムズ・パースリーさんは北アイルランドの政治系ブロガーで、政党としてはアライアンスのスタンスの人である。「シン・フェインは絶対的な敵」という傾きがある人ではない。

なお、4コマ目は、30年前(推定)の写真だし、カラーじゃないのでわからないかもしれないが、この人↓である(キヨサキ氏じゃないほう)。
4480863818あなたに金持ちになってほしい
ドナルド・ トランプ ロバート・キヨサキ
筑摩書房 2008-01-23

by G-Tools



次。北アイルランドのセクタリアン・ディヴァイドとセント・パトリックス・デーについて。NYTのリーアム・スタック記者がこんなことをツイートしていた。



つまり、スタックさんが把握している限り、ニューヨーク市ではプロテスタントのグループは、セント・パトリックス・デーのパレードをしていない。

「プロテスタントのアイリッシュ」といえば、もちろん国教会系の人もいるだろうけれど、「プロテスタント」といえばやはり非国教会系のプロテスタント(メソジスト、バプテストなど)だろうか。この辺は用語が複雑で、私は英国での用語しか知らないのでよくわからない。

国教会(イングランド国教会)系のアイリッシュは「アングロ・アイリッシュ」と呼ばれ、アイルランド島の外への移住を余儀なくされるアイリッシュが非常に多くいた時代には、宗主国(英国)系でいい生活をしていたミドルクラス以上の人が多い(地主とか裁判官とか)。非国教会系プロテスタントのアイルランド人もいたけれど、数として多かったのはイングランド国教会とは別の宗派(教派)を国教にもつスコットランドからアイルランドに移住した「アルスター・スコッツ」だ。……って、ここで「国教」が2つの別のものを指しているので(すなわち「イングランド国教会」、つまりアングリカンと、「スコットランド国教会」、すなわちプレスビテリアン)、書いててもわけわかんなくなるし、読んでる人にもややこしいだけだろうから、これはここで打ち止めにしよう。もっと落ち着いてて頭がすっきりしているときじゃないと無理だ。

それから、北アイルランドでの「プロテスタント」の側のセント・パトリックス・デー。ベルファスト、アーマー、デリーなど北アイルランドの各都市の聖パトリックの日のパレードのことはBBCが既にコンパクトな記事にしているが、デリーでは「プロテスタント」の側の組織であるアプレンティス・ボーイズ・オヴ・デリーが、デリー市が主催する聖パトリックの日のパレードとは別に、パレードを行なっている。




The No Surrender Parent Club marched around the war memorial in the city before attending a service in St Columb's Church of Ireland Cathedral.

The march is held separately from the main St Patrick's Day parade in Derry.

A club spokesperson said it was a "possibility" that they could join the main event in future years, and said they would "consider" any invitation.

...

The club decided to march this year after the success of their demonstration 12 months ago which marked their 150th anniversary.

After the parade, club spokesman Gordon Porter said: "St Patrick's Day, as you know, throughout the world is a celebration of the whole of Ireland.

"A major part of that story is the siege of Derry, which is what the association of the Apprentice Boys is all about, so it's only right that we are parading today.

"We can tell our story once again within the city of Londonderry, and it only bodes well for the city that two cultures can walk along beside each other."

http://www.bbc.com/news/uk-northern-ireland-35834536



アプレンティス・ボーイズ・オヴ・デリーの人たちが「語りたい物語」は、聖パトリックではなく、「デリー包囲」なのだということを、組織の人は説明している。

しかしなぜ3月17日にその物語を語るパレードをしたいのかは、わからない。(デリー包囲は4月18日から7月28日だ。)



本稿は先行2エントリの補遺。

2016年03月17日
アイルランドに「春」を告げる、セント・パトリックス・デーの光景
http://nofrills.seesaa.net/article/435068395.html

2016年03月18日
ワシントンDCなどでの「セント・パトリックス・デー外交」と、招待されてたのにセキュリティに止められたジェリー・アダムズ
http://nofrills.seesaa.net/article/435097185.html

※この記事は

2016年03月18日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼