「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2016年03月18日

ワシントンDCなどでの「セント・パトリックス・デー外交」と、招待されてたのにセキュリティに止められたジェリー・アダムズ

1つ前のエントリで、北アイルランドでも緑色一色に染まっていることについて少し書いたが、その北アイルランドの自治政府2トップ(正副ファースト・ミニスター)は毎年恒例の「アメリカ詣で」に行っている。「セント・パトリックス・デー外交」である。

「セント・パトリックス・デー外交」は、アイルランドの政治トップ(首相)がワシントンDCのホワイトハウスを訪問し、米大統領にシャムロックの鉢を手渡すという儀式(?)を核にしており、発端は1952年、米トルーマン政権時の駐米アイルランド大使の思いつきだったそうだ。詳細は2015年にホワイトハウスがまとめた記事と、アイルランド大使館が制作したビデオ(下記)に詳しい。
https://blogs.state.gov/stories/2015/03/17/united-states-and-ireland-celebrating-st-patricks-day-and-90-years-diplomacy



去年は北アイルランドの正副ファースト・ミニスターは、ストーモントの議会での福祉法案をめぐるすったもんだのために、ホワイトハウス訪問を取りやめていた。(そしてその福祉法案をめぐるシン・フェインのUターンが、昨年のストーモントでのドタバタの第一章にすぎなかったことは、そのときは知る由もなかった……)今年は正副ファースト・ミニスターとジョー・バイデン副大統領が会談中にオバマ大統領が顔を出し、「北アイルランド和平プロセス、がんぱってくださいねー」というやり取りをしたと報じられている(ちょっとよく意味がわからないんだけど、任期を終えようとしているオバマ大統領のこのレセプションは今回が最後。就任当初は母方の「アイルランドとのつながり」を強調し、「北アイルランド和平はすばらしい」という発言も多かったオバマさんだが……ということかな)。

オバマ大統領との面会について、写真がね、マーティン・マクギネスからは出てるんだけど、アーリーン・フォスターからは出てないんだよね。




※フォスターのTwitterのキャプチャは:
http://f.hatena.ne.jp/nofrills/20160317235943
(画像サイズが900kb近くあるので、読み込みに時間がかかるかもしれません)


1つ前のエントリでも少し述べたとおり、米国とアイルランドは(「大英帝国」が支配していた時代においては「反英闘争」という文脈で結ばれてもいた)「特別な関係」にあり、「アイリッシュ・アメリカン」は米国社会の大きな一部である(なお、ナラティヴによっては、「アイリッシュ・アメリカン」にはケネディ家のような「アイリッシュ」だけでなく、セオドア・ロウズヴェルトのような「スコッチ・アイリッシュ」、つまり「アルスター・スコッツ」の人々を含む場合もあるようだ。私にはよくわからない)。アイルランド共和国は、いろいろあって軍事的には中立ということになっており、米国とは「軍事的同盟国としてのつながりで云々」という関係にはないということになっているが(シャロン空港を見ないことにすれば、の話だが)、米国と1対1での「特別な関係」の構築と維持・強化には非常に熱心である。

そんなことを書いてるといつまで経っても書き終わらないので先に行く。

現在、この「ホワイトハウス詣で」をしているのはアイルランド共和国と北アイルランドの政治トップをはじめとする政治家たちである。アイルランド共和国は、2月の総選挙の結果、どの党も、可能な範囲でのどの連立も過半数を取れていないという結果になり、実際、議会での首相指名選挙でも誰も過半数を取らず、今は首相がいない。現状、次が決まるまでは前職のエンダ・ケニーが……て、ウィキペディアン、自重wwwww
As caretaker Kenny went to Washington for Saint Patrick's Day. There he was reported as having told the Irish Embassy: "Bejaysus, I wish I didn't have to go back and face what I have to face".[112] He also met Barack Obama.[113]

https://en.wikipedia.org/wiki/Enda_Kenny#2016


北アイルランドの代表団は毎年3月にセント・パトリックス・デーで渡米するついでに米国内のいくつかの都市を訪問し、ビジネス・リーダーたちと会って「北アイルランドへの投資」を促進するための活動を行なっている。去年だったかおととしだったか、テレビの連続ドラマ、Game of Thrones(多くが北アイルランドで撮影されている)のイベント用のパネルとピーター・ロビンソンとマーティン・マクギネスという奇妙な写真が流れてきたことがあったが、ピーターが引退してアーリーン・フォスターがファースト・ミニスターになって初めての今年の「セント・パトリックス・デー外交」は、北アイルランドの分断のあちらとこちらから1人ずつ選出されている正副ファースト・ミニスターの「良好な関係」を過剰にアピールするような写真が流れてこない。もうそういう局面でもないのだろう。現在の北アイルランド自治議会・自治政府が2007年5月に復活してから9年だ。その後、自治議会がストップしかけたことは何度かあったが、その背景にあったのは正副ファーストミニスターの関係がよいとか悪いとかいった表面的なイメージ戦略でどうにかなるようなものではなかった。

ともあれ、北アイルランドご一行様は今回、最初にニューヨークに入ったようだ。





ここであのジョージ・ミッチェル元上院議員(「グッド・フライデー合意」と一般に呼ばれている1998年の和平合意の尽力者)との写真がある。ミッチェル元上院議員は、発足当初「やる気」を見せていたオバマ政権の「やる気見せ人事」の最たるポスト(中東特使)に指名されたが、何もできずに退任。その後、特にニュースになることはなかったが、お元気そうで何より。




続いてワシントンDCで米議会(キャピトル・ヒル)と大統領(ホワイトハウス)での行事があったのだが、ここで、ええと、もう「北アイルランドの人」じゃなくなってるんだけど、北アイルランドと切っても切れないあの人(アイルランドの政治家としてこの「外交」に来ている)に、とんでもないハプニングが……





(・_・)






(・_・)








(・_・) タスケテ……イスカラオチソウ










As he tried to check in to the event, he was told a security issue had arisen.

His party colleagues, Martin McGuinness and Mary-Lou McDonald had already entered the celebrations.

"He (Mr Adams) stood to one side and he waited around, he waited around and he waited for something like between 80 and 90 minutes," said BBC News NI economics editor, John Campbell, who is covering events in Washington.

"By that stage I think people inside the room texted him to say President Obama had started speaking and at that point Gerry Adams decided that, well, he was going to leave.

"He wasn't technically refused entry but he was left hanging around for the best part of an hour and a half and then decided it wasn't worth his while staying any more, so he left."

http://www.bbc.com/news/uk-northern-ireland-35824298











(・_・) 大根船……じゃない、大混戦






(・_・) ああ、これでこの人、また(アメリカでの)人気を上げた。

アイルランド基準で見てると、もうね、「(笑)」としかかかかかかもん・えべばでぃ(エディ・コクラン)




なお、「ジェリー・アダムズがホワイトハウスでセキュリティに止められて中に入れなかった」ことが報じられると、すぐに、「顔パスで入れると思って行ったら、招待状がないと入れませんと言われたんじゃないの?」などの指摘(?)があったが、実際には招待状はあったということでご本人がツイートしている。"Just saying" と言いながら。








ホワイトハウスの後なのかな、議会のランチがあり、ここには(なぜか)リチャード・ギア(俳優)も来ていたというのだけど:





(・_・) シニードさん、おだてすぎりょうたろう。(ピアース・ブロスナン云々については過去記事参照

そして2枚目の写真で、オバマさんがいるのにジェリーさんがいないのがとても気になる。

いずれにせよ、なぜホワイトハウスがレセプションへの招待状を持っていたジェリー・アダムズを通さなかったのかはよくわからないが、何らかの人為的エラーだったのだろう……と思ってるところにNewsweekの記事があるようなので、あとで読んでみよう。というか、正直、こんなどうでもいい(←小声で)ことにかける時間があったら、シリアのことを書きたいんだ、ママン。。。





ちなみに、ジェリー・アダムズは北アイルランド紛争の時期には米国の渡航阻止リストに載っていたが、ビル・クリントンが1994年(だったと思う)に入国ヴィザを出したことが、ある一点の打開につながった。これはクリントンの回想録にもけっこう細かく書かれていたと思う。

北アイルランド紛争の終結後は、アダムズはホワイトハウスのセント・パトリックス・デーの行事に招かれるようになったが、今から10年前、2006年に空港でストップをかけられたことがある。

2006年03月18日 ひでー。ジェリー・アダムズは米国でまだ「テロリスト」扱いか。
http://nofrills.seesaa.net/article/30511385.html


今回のホワイトハウスでの一件のあとで、アダムズは次のように述べているとBBCが報告している。
"It is obvious that there remain some within the US administration who seek to treat Sinn Féin differently."

Mr Adams added that Sinn Féin representatives had been denied entry or had to go through extra searches when travelling to the USA, while the State Department had also initially refused to meet him last year until "protest from US political leaders".

http://www.bbc.com/news/uk-northern-ireland-35824298


と、こんなことでニヤニヤしたり椅子から落ちそうになったりしているので、もう首相じゃないけど首相が決まるまでは首相を続投しているエンダ・ケニーのことにまで目が行かない。

ともあれ、ハッピー・セント・パトリックス・デイ。




ご一行様はワシントンDCでの日程を終えて:



続いて西海岸へ……:






ベルファストでは……

※この記事は

2016年03月18日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 01:00 | TrackBack(1) | todays news from uk/northern ireland | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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セント・パトリックス・デー補遺。WHに入れなかったアダムズと、デリーのプロテスタントの件
Excerpt: アイルランド成分濃度が高すぎて、次から次へといろんなものが出てくるから、エントリが書き終わらない。17日は水とお茶とコーヒーしか飲んでいないのに、目にする成分のため頭がぐるぐるしていて、追記するとわけ..
Weblog: tnfuk [today's news from uk+]
Tracked: 2016-03-18 03:16

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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