「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2016年03月16日

#withSyria 5年目を迎えたウェブ上の光景を少し。

1つ前のエントリで、「シリアの『革命/蜂起』」と#Mar15というハッシュタグについて少し振り返った。日本では東日本大震災(2011年3月11日)の直後で、中東の「アラブの春」に関心を向けていた人はごく少なかったのだろうと思うが、シリアの「ハッシュタグ革命」は3月15日から始まっていた。だから、この3月15日が5周年だった。

※関連する新しいツイート:







そして1つ前のエントリでは、WithSyria.comというサイトについても少し書いた。WithSyria.comは、Save the Children, Oxfam, Amnesty International, International Rescueなどの「欧米」の人道組織はもとより、IHHなどイスラム圏の人道組織や、国連の世界食糧計画、イングランド国教会など非常に広範な範囲の組織・機関が参加している、シリア(の人々)を支援するための連合体である。こういう取り組みについても「それらの情報はすべてCIAが洗浄済みだよ」などというわけのわからない陰謀論を叫んで絡んでくるような人はいるのだろうし、日本語圏ではそういう人たちの影響力がバカにできないくらいに大きいというのが現実なのだが(まあ、「影響力」というか……こんなふうにいきなりどやしつけられれば、たいがいの人はびびって発言しなくなるよね、ということだが)。

ともあれ、そのWithSyria.comでは2014年以降毎年、3月15日のためのキャンペーン・ビデオを出している。2014年のは、既に1つ前のエントリにツイートを埋め込んだが、Banksyの「風船少女」をモチーフにElbowの曲を使い、俳優のイドリス・エルバがナレーションを担当したビデオだ。



この「風船少女」は、バンクシーの初期(2000年代前半)のモチーフを「シリアの少女」にアレンジしたステンシル・アートが元で、WithSyria.comのサイトのfavionにもなっている。




2014年には、WithSyria.com参加団体のひとつであるSave the Childrenが出したビデオも多くの人が見て、考えたと思う。イギリスに暮らすある少女の1日を1秒で表し、1年分のストーリーをつむいだビデオだ。ただしこの「イギリス」は、「もし、イギリスでシリア内戦と同じことが起きていたら」という仮想のイギリスである。子供が子供らしい毎日を送る背景で、徐々に情勢が緊迫していく。大人が見ているニュースはBBC(と思われる)、大人が読んでいる新聞はガーディアン(の旧デザイン)……と細部の作りこみも丁寧で、リアリティがあると評判になっていた。




続く2015年のWithSyria.comのキャンペーン・ビデオは、「暗いのが怖い」というショート・ストーリーで、これも丁寧に作られている。このビデオについては、昨年説明(対訳)を書いた




昨年のキャンペーン・ビデオでもう1本、多くの人が見ていたのは「逆回転」と題されたThe Syrian Campaignのもので、これは説明なんかなくても、見ればわかる。




そして、今年は、このようなキャンペーン・ビデオがあるのかどうか、私にはチェックしきれていない。「キャンペーン・ビデオでアウェアネス」とかいう段階ではないので、探そうという気にもならないのが正直なところだ。WithSyria.comのウェブサイトの背景が、難民キャンプのシリア人たちが今年のキャンペーンのシンボルマークを手で形作るビデオになっているが、見たのはそれだけだ。これは、デスクトップを動画でキャプチャするソフトを使ってキャプチャしたものをYouTubeに上げてある(一つ前のエントリでもエンベッドしたが再度)。




UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)が「彼らはみな、家に帰らねばならない」と題する30秒のビデオを出している。「難民は他人に頼って自国を捨てるけしからん怠惰な連中だ」とかいうばかげたプロパガンダが、日本では無視できないくらいに信じられているが、そもそも「難民」とは、「やむを得ない理由で一時避難するが、最終的には元の家に帰る」ことを前提としている。「帰還権」だ。(難民と経済移民の区別もつけようとせず、難民を経済移民扱いして平気な厚顔無恥な人は、パレスチナ難民がなぜ「難民」なのかを調べて、自身の無知を恥じ、そこから考え直すと世界が少しだけよくなると思う。)




以下は #WithSyria のハッシュタグより、いくつか。





















特にマララ・ユスフザイさんの団体のアカウントがツイート・RTしているものを記録しておきたいと思った。ほか、フットボーラーのカカが参加してるハッシュタグ「私はシリア人」も少し入れておいたが、ここに貼り付けたものは到底「全景」には及ばない。ネット上には、Twitterには、これらの言葉はあふれている。その言葉の元となった人々の気持ちもある。そしてそれがこの暴力を止めることなどまったくなく(シリア内戦はネットでの情報流通がある程度確保された中で起きており、「密室」だったわけではなく、「記録」も「目撃者」もあったのに、暴力は止まらなかった。「たる爆弾なんて知りませんよ」と真顔で言い張るバシャール・アサドは、「記録されている」「外から見られている」ことで行動を改めるようなタマではなかったのだ)、「5年」という恥ずべき歳月が経過した……これが私たちが直視しなければならない現実である。

そして、「国際政治」がどうなっているかも……その話は次項に。ポイントはプーチンの思い通りに進んでいるということ。

ちょうど1年前の下記のエントリを読み返すと、喉の奥が詰まる。

2015年03月16日 「みんな」なんて、信じていない。
http://nofrills.seesaa.net/article/415680344.html

5年前に「みんながつぶやけば世の中が変わる」的なことを言っていた人たちは、「アラブの春」と呼ばれたあれがぐだぐだになったあとの「みんな」の冷めかたを、どう見ているのだろう。


「アラブの春 the Arab Spring」という呼称が使われだしたとき、「そんなもろに『プラハの春』を踏まえたフレーズでは、『民主化要求運動は弾圧されました。おしまい』になりそうな気がしてならないではないか」と半笑いしていたが、実際には笑い事ではなかった。本当に「プラハの春」の再来だった。

※「『プラハの春』って、すてきなんでしょうね〜」とか「もうそんな季節ですかー」とか思った人はググレ、カス



※この記事は

2016年03月16日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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