そう、今日で「5年目」である。
#withSyria シリア、2011年3月15日 #Mar15 の「蜂起/革命」から5年。下記は3年目になった2014年3月にバンクシーが制作した映像。https://t.co/VyKZl3xwmm
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) March 15, 2016
https://t.co/h4G0ffsuod には、#withSyria のTwが即時表示されるようになってます。ChromeでLoad moreボタンが出ないけど(2年も前のバンクシーの映像だけRTしてたってしょうがないですよ) pic.twitter.com/Q65aRKlOUm
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) March 15, 2016
Languages of #withSyria tweets on https://t.co/9dnPBXhVEY. I recognise English, Indonesian, Korean & Japanese (mine) pic.twitter.com/kCr9I2MmjQ
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https://withsyria.com/
2016年3月15日のこのサイトをデスクトップ・スクリーン・キャプチャーの映像で記録しておいた。(音楽はPodington Bearというアーティストがクリエイティヴ・コモンズのBY-NCで公開しているSpringtimeという曲を使わせてもらっている。)
5年前の3月15日の自分のTwitterのログを見返すと、関東各県では計画停電が実施されていたが、「東京ではトイレットペーパーが入手難だ」といったことなどを書いている(傍目からは「東京都民はえらそうだ」と、鼻持ちならない態度に見えるだろう)。原発のことにも関心は向けていたので少しはRTなどはしているが、私自身は、3月11日から12日にかけての夜の時間帯に、モニターの中で気仙沼市が橙色の炎を上げて燃えているときに(私は津波に飲み込まれていく田園地帯をヘリで撮影した映像の数時間後に同じモニターの中に見たその光景に、心底ショックを受けていた)、「原発について注意を喚起するためにこれをRTしてください」みたいな接触が複数回あったことで逆に原発については関心が後退していた。「私が何かを書かなくても、誰かが書く」というテーマなら私が書く必要性などまったくなく、むしろ「その筋の玄人」にお任せしたほうがよいし、私には「私でなく誰かがやる」ことが確実なトピックより、個人的に高い関心を持ってずっとフォローしてきたトピックがあった。「アラブの春」である。
5年前の3月15日の自分のTwitterのログには、「アラブの春」と呼ばれたあの熱狂の、後から思えば既に完全にピークを過ぎていた欠片がたくさんある。そのほぼ1ヶ月前にはリビアが「始まって」いた。バーレーンは極めて重大な局面にあった(ことはバーレーンという独立国家の問題ではなく、「サウジアラビアの衛星国であり、米軍の海外拠点となっている国の問題」であるという点で)。パレスチナでは西岸地区とガザ地区の「統一 Unity」を求める民衆運動が #Mar15 のハッシュタグで予告されていた。私の第一の関心は、パレスチナにあった。2011年は2006年の選挙から5年。そろそろ動くだろうと思っていたのだ。
今から思えば、日本においては、2010年12月にチュニジアで始まった「アラブ各国の民衆デモ」が2011年1月のチュニジア大統領海外逃亡、エジプトのカイロでの非常に印象的な、青空床屋までできるような平和的で楽しげな「タハリール広場に集う人々」の光景の丁寧な報道に続き2月12日のエジプト大統領退陣と来たところに、「バーレーンも熱いらしい」という流れがあり、その勢いで「リビアの民衆も立ち上がった」(中心地のベンガジと東部以外では、どの程度「民衆蜂起」と呼べるものだったのかはわかりませんが)ほか、「アラブ各国でも追随するようにデモが起きている」ということで多くの人が感銘を受けていたときに、3月11日の大震災があったということになるだろう。そして、3月11日のあとの日本では「民衆によるデモ」という形式は、「カイロの人々のように」的なナラティヴで、手放しの礼賛を受けるようになっていったのではないか。
「カイロの人々のように」という礼賛は日本に限ったことではなかった。ギリシャでもマドリードでもロンドンでも、「エジプト人のようにデモをする」というフレーズが(往年のヒット曲のタイトルに重ねるように)繰り返されていた。だが、日本では、何というか、あまりにも鮮烈だった2011年1月下旬から2月12日のカイロのタハリール広場だけが「イメージ」として膨らんでいた一方で、「その後」に関心が向けられる前に、3月11日の大震災で、「アラブの春」への関心が大幅に減退していたのではないか(「よその国のことどころじゃない」ということで)。
そして、シリアで「始まった」のはまさにそういうタイミング、2011年3月15日 #Mar15 だった。
(実際には、2011年3月15日よりも前からシリアでは行動が起きてはいたが、当時流行っていた「ハッシュタグ革命」としては #Mar15 であった。そして私は個人的にはシリアは普段特に見ていなかったので、#Mar15 は本当に唐突に見えた。)
シリアの「革命」は、そういうタイミングでソーシャル・メディアに登場した。
そのころ、日本では「正直、海外ニュースどころじゃない」というムードが支配的だったと思う。元から「欧州や中東などのニュースに関心が高い人々」の狭い範囲を超えて広く関心を集めたのが「アラブの春」という「大ニュース」だったが、東日本大震災が起きて、「アラブの春」は「多くの人が関心を寄せる大ニュース」の一番手ではなくなっていたと思う。(私自身は「欧州や中東などのニュースに関心が高い人々」の一人だが、どうやら「デモに関心が高い人々」の一人だと思われていたフシもある。改めて述べておくが、「デモ」には特段の関心はない。それについての議論をネットで、つまり知らない人がどう解釈し、どう絡んでくるか、どう「殴りかかって」くるかわからないような環境で、するつもりはない。)
そういう状況だったのだから、「シリアの『革命/蜂起』」についてろくすっぽ何も把握していないという人が大勢いること自体は、不思議ではない。
多くの人々が、「原発がー」、「東電がー」、「菅直人首相がー」という大騒ぎをするだけして、もう騒ぐべき(人々が「騒ぐ」ことで話題になるような)ことがなくなったときには、たぶん、「シリアの『革命/蜂起』」は「シリアの内戦」になっていたのだろうし(それでも、国連がシリアの事態を「内戦 civil war」と扱うようになるまでには、ものすごく時間がかかっていた。村が丸ごとつぶされ、都会では医療関係者が殺されるなどしていても、国連は、UNHCRを含め、「内戦」と呼ぼうとはしていなかった。特に日本語圏では。そのことについても私はTwitterに書いてる)、関心を持ったときには「複雑すぎてわけがわからない」状態だったのだろう。
旧ユーゴの解体などをリアルタイムに見てきた立場では、シリア内戦は全然「複雑すぎてわけがわからない」ようなものではないのだが、震災への関心が中東への関心をしのいでいる間に、日本語圏ではなぜか「政府対反政府などという、単純な構図では、ないのですよ」という《語り》が支配的になっていて、「なんだかわからないけど複雑だ」という先入観を叩き込んでいたのかもしれない。
その「政府対反政府などという、単純な構図では、ないのですよ」という《語り》の勢いは実に凄まじく、フランスの植民地支配を経験しているシリアという国のアレッポのような大都会で、開明的でリベラル(自由主義)のインテリなどが主導する「非暴力の民主化闘争」を日本人ジャーナリストが現地取材したビデオについてまで、「でも、この人たち、アルカイダの味方ですからね」というコメントがつけられるというありさまだった。画面に「非暴力」という文字が表示されていてもなお、「アルカイダの味方」呼ばわりするというのは、「アルカイダ」をよほど広く定義していても不可能なことだが、同じようなプロパガンダは実は「あるある」である。
問題は、それが「プロパガンダ」であるということに気づかない素直な人々を、そういう《語り》は、やすやすと取り込んでしまうということなのだが。
(そして「何事も真に受けたりしない、懐疑的で賢い私」を確認して、人は安心するのだ。それと同時にとんでもないbullshitを食わされているとしても)
……書き終わらないね。
ともあれ、この5年間の流れを今からたどりたいという方には、ガーディアンが「この5年」を1本の記事として読めるように編集したページがあるので、それがおすすめである。
Syria's civil war: five years of Guardian reporting
by Martin Chulov, Ghaith Abdul-Ahad, Emma Graham-Harrison, Ian Black and Patrick Kingsley.
Editing and design by Simon Jeffery, Chris Fenn, Finbarr Sheehy and Paul Torpey
http://www.theguardian.com/world/2016/mar/14/syria-civil-war-five-years-guardian-reporting
これをざーっと眺め、胸がつぶれるような思いを抱えて(覚えている記事が多い)、無言でツイートだけした。
Syria's civil war: five years of Guardian reporting https://t.co/222gsNnJGM #withSyria #Syria
— nofrills/新着更新通知・RTのみ (@nofrills) March 15, 2016
このツイートのstatsがこう。
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本稿には続きがあります。
2016年03月16日 #withSyria 5年目を迎えたウェブ上の光景を少し。
http://nofrills.seesaa.net/article/434980041.html
※この記事は
2016年03月15日
にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。
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