「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2016年03月11日

あなたの「愛したFlickr」って、どんなFlickrですかね。(Wiredの誤誘導的な記事について)

最近の英語圏のIT/Tech系メディアは、「FBとGoogleは持ち上げ、TwitterとYahooはくさす」のが基本だ。それ系専門じゃなくてBBCなどでも同じ。

一時、Appleがやたらと持ち上げられていたが(Beats買収くらいまではまるで「トレント・レズナーが関わっているので、テイラー・スウィフトのファンも大喜び!」みたいな調子だった)、Appleが少し下火になったあとFBのヨイショが目立って見えるようになったという体感的なことはあるかもしれない。いずれにせよ、単に「FBをやたら持ち上げてる」だけではなく、「FBのライバルをくさす」という、「あたし、メタル好きだから、パンクはクズ!」みたいな比較広告みたいなことが報道記事で行なわれている。FBといえば「革新的な取り組み」が報道記事のネタになり、Twitterといえば「テロリストの温床」という話がしつこく繰り返される(ちなみにISISはTwitterなんていうダダ漏れの場は対外的に「むわははは」を見せ付ける場でしかなく、ほんとに「活動」に重要なところではTelegramなどを使ってて、そのことはGCHQやMI5は把握してて、だからこそsnooper's charter云々みたいなことになってるんだけど)。

そういうのにたまりかねたように、Twitterなどくさされてる側や無視されてる側からの「仕掛け」があるのかなあと思わせる記事が出ることも時々ある。先日など、BBCに今さら「Mediumはこれからの媒体になるか」みたいな記事が上がってて、「えっと、これって、2013年じゃなくて、2016年の記事っすか」と何度も確認してしまったほどだ。

いずれにせよ、「Facebookはパリ同時多発テロのようなことがあったときに安否確認ができるポジティヴな場、Twitterはテロリストがプロパガンダを撒き散らし、人員募集活動をしているネガティヴな場」みたいな印象付けは、普通の報道機関やIT/Tech系メディアの報道記事で、どんどん固められている。

Yahoo! はTwitterなどとは違い、「かつての巨大企業」が「環境の変化に対応しきれなくなって」沈没し、「経営のおろかな判断」でますます墓穴を掘るといった「企業としての栄枯盛衰の物語」があって注目されているのだが、これもやることなすことけなされているのはTwitterと同じだ。それらけなし系の記事は、最後の締めはたいがい「これではユーザーは逃げ出すだろう」という内容で、特にTech系のオンライン媒体では「ぼくら We」が主語ということが多い。「僕らが使っていたあのサービス」というナラティヴだ(私、このナラティヴがほんとに気持ち悪くてね……音楽では「ぼくらが大好きだったThe Smiths」みたいなの。勝手に「ぼくら」にすんな、って感じ)。

経営の判断が的外れでYahooが迷走していることは確かである。だが、すべてをその《物語》に回収しようというのは、株価臭のただよう行為でなければ、単にばかげている。で、こないだはTumblrについて「オワコン」扱いしているばかげた記事を見かけたのだが、今日はFlickrだ。

さらば、ぼくらが愛したFlickr
TEXT BY DAVID PIERCE
http://wired.jp/2016/03/11/time-to-give-up-on-flickr/


煽りであるにしても、こんなばかげた記事はない。この記事を「ぼくら」主語で書いた人は、この1年ほどのFlickrを「愛し」ていたのだろうか。いや、そういう人がいることは別にいい。しかし、この1年ほどの間にFlickrがやっていた試みを「愛し」ていたからFlickrを使い、その一部が有料アカウント専用になるからといって「さらば」と去って、Instagram(つまりFacebook傘下)やGoogle Picsに移行していくのだろうか。この1年程度しか使ってないのならアカウントの移行もさほど手間はかからないかもしれないが、「愛し」ているほど使い込んでいたのなら、移行は単に、めんどくさくないか。

……なんてことより、この記事には致命的な誤情報がある。「誤情報」といえるほどはっきりしたものではなく「そのように匂わせている」時点でより「悪質」にも思えるのだが、このWired記事が取り上げているFlickrの変更点について告知するFlickrのブログ記事にはそんなことは書いていないのだが、ということが読み取れてしまうように書かれているという「曖昧な誤情報」である。具体的には下記のところだ。

彼らは、PCや外部デヴァイス、SDカードの写真をすべて取り込み、ひとつにまとめられる自動アップローダーツールをリリースした。1,000GBの無料ストレージを全ユーザーに提供した。約1年前のことだ。Flickrの検索エンジンは優れているし、刷新されたインターフェイスも素晴らしく、Flickrはすべて人のすべての写真を恒久的に保存するスペースとして生き返ったかのように思われた。

しかし、3月9日(現地時間)になって、その最高のツールは再び有料ユーザーのみを対象とすると、Flickrが発表した。Flickrは死んだと言うべきだ。終わった。死んだ。ヤフーは、よりクリエイティヴであるべく投資しようとして年間35ドルを喜んで支払うわずかな人々を求めて、その写真サーヴィスを終わらせたのだ。

http://wired.jp/2016/03/11/time-to-give-up-on-flickr/


これをざっと読んで、現代文よろしく「筆者は何について『死んだと言うべき』と述べているか、答えよ」といわれたらどう答えるか。直接的には直前の「最高のツール」だ。

ではその「最高のツール」とは具体的に何をさすか。普通に(何のひねりもなく)読解すれば、「PCや外部デヴァイス、SDカードの写真をすべて取り込み、ひとつにまとめられる自動アップローダーツール」、および「1,000GBの無料ストレージ」、「Flickrの検索エンジン」、「刷新されたインターフェイス」と読むだろう。それらを総合的に、この記事の筆者は「すべて人(原文ママ)のすべての写真を恒久的に保存するスペース」と述べている。

そして、それについて「死んだ」、「終わった」とわめきたてている。

しかるに、Flickr自身の発表では、Proアカウント専用(つまり「有償ユーザー専用」となるのは、「自動アップローダーツール」だけである。
The biggest change is that we are making the desktop Auto-Uploadr a Flickr Pro-only feature, giving Pro members exclusive access to the tool.

https://blog.flickr.net/en/2016/03/08/changes-to-flickr-pro-and-coupon-for-30-off-annual-rate/


Flickrがここで "biggest" と言っているのは、Proアカウントにすれば得られる特典がほかにもこまごまとあるからだ。その詳細はFlickrブログを参照していただきたいが、Adobeのウェブサービスのディスカウントや、Flickrのマーチャンダイズのディスカウント(これ、あんまり使ってる人はいないと思う)、広告なしで閲覧できる環境など、ずっと前からあったProアカウントの「特典」だ。前回のメジャー・アップデートでProアカウントという制度を実質廃止したあとにProの特典として導入されたstats閲覧の機能は、今もまだProユーザー専用である。

つまり、Wired記事で「死んだ」的に扱われている「ぼくらが愛したFlickr」のうち、「1,000GBの無料ストレージ」、「Flickrの検索エンジン」、「刷新されたインターフェイス」は、Proアカウントをとらなくても(つまり無料ユーザーのままでも)、「ぼくらが愛した」状態のまま、使えるというふうにしか判断できない。

ちなみに私は2004年10月からずっとFlickrを使い続けている。自分では第一に「東京の日常風景」をイラクの人に見せたい(当時、イラクのブログがバグダードなどの日常を写真で見せてくれていたからそのお返し)という動機で使い始めたのだが、そのときにそこにいた人たち(NYCの「フブキ」さんとか、イスラエルの「ブライタル」さんとか、ロンドンの「港湾鯨」さんとか、すばらしい人たちが大勢いた)に刺激を受けて、「デジカメの練習写真を人に見てもらって上達したい」(「たくさん撮りなさい」、「人に見てもらいなさい」とよく言われるでしょ)という色気も出てきて、Flickrにある程度「はまる」ようになった。

Mimosa ミモザ

私がアカウントを取った時点ではFlickrはカナダのベンチャー企業で、それがほどなくYahooに買収されたときに「ユーザーの反乱 user revolt」的なものが小規模に起き、「とにかく大資本が嫌い」な人たちはFlickrから去っていった(そして「fotolog.com」とか「500px」とかに移行していった)。その後も、何か変化があると「ユーザーの反乱」が発生していた。その「反乱」のオーガナイズも、Flickr上のグループやフォーラムで行なわれることが少なくなかった。「反乱」とまでいかなくても「ボイコット」とか「集団行動」とかもあった。途中で運営の意向についていけなくなった人も大勢いる。初期に楽しいツールを(APIを使って)作って公開していたが、いろいろあるうちに離れていったという人もいる。Flickrはそういう歴史を経てきてて、「ユーザーからの意見」はけっこう聞いてくれる。

カナダのベンチャーとして出発したときは、Creative Commonsのライセンスがデフォルトで設定されていて、その精神みたいなのはFlickrを使ってる人たちの間ではけっこう強く残ってると思う(ただし、「CC写真は無料素材として利用し放題」という扱いで、「シェアする」という理念が薄れた受け取られ方・使われ方をするようになったあとは、ちょっと防御的になってるかも)。Yahoo傘下になったときも「CCデフォ」は維持されてた。ただ、その後、Flickrの写真を大手広告代理店が使って「著作権」ではなく「肖像権」でもめるという問題が発生して、「CCデフォ」ではなく「All rights reservedがデフォ」になったのだったか。でもユーザーが設定すれば「CCデフォ」で使い続けられるし、私はそれで使っている。

そして「タグ」とか「Group」とか、「Fave」とか「コメント」とかでゆるくつながった「コミュニティ」のあるFlickrが私は好きだ。そこにいて心地よいし、たくさんの刺激も受けられるし、学ぶこともたくさんある。

「ぼくらの愛したFlickr」というのは、そういうものだろう。

決して、ここ1年で導入された「PCや外部デヴァイス、SDカードの写真をすべて取り込み、ひとつにまとめられる自動アップローダーツール」なんかじゃない。

もちろん、「自動アップローダー」が好きでFlickrを使い始めたという人もいるだろう(既にInstagramが広く使われていたときに開始されたサービスなのだから、そういう人がそんなに大勢いるとは思えないが……)。

だがそういう人が、その「アップローダーツール」が(無料では)使えなくなったからといって「さらば」と言って去っていくときに、「ニッチな製品、つまり、“写真家”専用のソーシャルネットワーク」だなどという捨て台詞を残していく必要はまったくない。

ましてや、「無料で使える自動アップローダーのないFlickrなんて、使えたものじゃない」とかいう方向での印象操作は、卑劣と呼んでいいレベルだと思う。

さらに、当該のWired記事が「1,000GBの無料ストレージ」までもが「Pro専用になった」かのような方向で書いているのは、根拠のない「風評」の流布にあたるとさえ言えるだろう。

このような、IT系の無意味な「煽り」記事には、本当に、うんざりだ。

それによって「カネ」が動くのだということは理解している。

それでも、本当に、うんざりだ。

うるさいんだ。



はてブより:
http://b.hatena.ne.jp/entry/wired.jp/2016/03/11/time-to-give-up-on-flickr/
id:TJATS4G
海外の意識高い系メディアはMSとYahooを叩かないと死ぬ病気にでもかかってるのか?原文のコメ欄見てみろよ、叩かれてるのはこの記事の方

http://b.hatena.ne.jp/entry/281716211/comment/TJATS4G


「原文」は:
http://www.wired.com/2016/03/time-give-flickr-everybody/

見出しは "TIME TO GIVE UP ON FLICKR, EVERYBODY" で、日本語版よりひどい煽りである。

そのコメント欄より:



しかもWiredのこの記事、最初のタイトル(HTML>HEAD>TITLEのところに入ってたもの)は "Uploading Photos to Flickr Is No Longer Free, So Bye Flickr" とかいうガセネタだったんだ。

これは明らかに、Wiredの英語記事を書いた人がFlickrを使ってない。使ってるにしてもほんの数点をアップしてみてるだけという状態だろう。

それを、日本語版は「さらば、ぼくらの愛した云々」という甘ったるい(男の自意識過剰の)ナラティヴで仕上げてるのか。ばかげている。



Flickrは、「スマフォ」が普及するずーっと前からあった「写真が好きな人たちのコミュニティ」で、一眼であれコンデジであれ、ニコンやキヤノン、ミノルタ、オリンパス、フジフイルムといったカメラメーカーの作ったカメラを持ってる人たちが使ってきたサイトだ。

そういう人たちは、「メモリーカードの写真を全部アップロード(してサイトで公開)」することは、特に求めてないと思う。元々Flickrというのは、「野鳥を連写した中で、よく撮れていた1枚」をアップしたり、「同じ写真なんだけど、カラーかモノクロか、どっちがいいと思いますか、ご意見をお聞かせください」と相談したりするサイトだから。

枝垂れ梅 (Weeping plum tree)

この写真だって、メモリーカードには、前後に何枚も似たようなショットが入ってる。風が吹いてて、ピントを合わせるのに苦労していたので、ピンボケのどうでもいい失敗写真が数点ある。それらは別にバックアップしておく必要もない。

Flickrで「写真をシェアしてる写真好きな人たち」には、これは「あるある」だと思う。

もちろん、「かわいい盛りの子供を撮影した写真で、多少ピンボケでも全部とっておきたい」というニーズもあるだろうけれど、「自動」でそれをしたいならProアカウントが便利ですよ、というのが今回の「変更点」で、それ以上でもそれ以下でもないと思う。
タグ:flickr

※この記事は

2016年03月11日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:30 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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