「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=


2016年03月06日

「炎上」を、受けて立つ人、ここにあり(七五調)

1つ前の記事で見た「炎上」事案だが、発端から2日、3日と経過してなお、燃えている。情報の広まる範囲が広く、「今来た」という人もいるためだろう。昔の「掲示板(フォーラム)でのコミュニケーション」の時代には、何かに関心を持ったら何かを発言する前に「過去スレ・過去ログを読む」ということが行なわれたし、そういうのを読んでるうちに「脊髄反射のコメント」のようなものを書き込もうという激情が消えてしまう(落ち着く、冷静になる)ということがあったのだろうと、今になって思うのだが、「その場で言いたいことを、言いたい相手に直接言える」装置であるソーシャル・メディアでは、そういう「ワンクッション」が機能しない。かくして、3日前の話を今知って激情に駆られた人が、「あなたはひどい人ですね」といったことを口汚い言葉で綴った文章を、3日も経過してから、本人に直接ぶつけるということが行なわれるようだ。

「炎上」の当事者となったナタリーさんが、6日、自分のところに送られてきた暴言(セクハラ含む)をいくつか紹介しているのを、NAVERのページに追加した(→追加した部分だけごらんになりたい方は、3ページの下のほうから)。「身体が不自由で、オレンジの外皮をむけない人もいるんだ」という「正義感」に駆られたインターネット・モブ(「ネットいなご」)の襲来と、それに立ち向かう女性……という感じ。

ちょっと抜書きすると、こんなふう。



ナタリーさんに送りつけられた暴言の中でもすごいなと思ったのがこれ。"You don't even live in the US so shut the fuck up" とか(ホールフーズ・マーケットは、ナタリーさんの住むUKにも店舗網持ってるんだけどね……)、"your English sucks" とか。






※この記事は

2016年03月06日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:59 | TrackBack(0) | todays news from uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

この記事へのトラックバック

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

……全文を読む
▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼