kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2016年03月05日

「拡散」、「バイラル」、「クソリプ」、「罵詈雑言」、「炎上」、「パクツイ」……がセットでお得!(え

個人の何気ない「つぶやき」が、多くの人のツボにはまって何百何千とRTされ、伝統的なメディアもオンライン専業のメディアもそれを中心に「記事」を仕上げ、そしてますます発端の「個人のつぶやき」は注目され、それにつれて当初の本人の意図していた「文脈」がガン無視され、的外れなリプライや、勝手な読解による言いがかりが送られ、単に「炎上」が大好きな「ネット住民」が出てきて合理性など一切ない罵詈雑言を投げつける。

発端の「個人のつぶやき」はコピペされ、誰が書いたのかを表示していない「パクツイ」としてもネット上を飛び交い、「パクツイでも、それによって問題に気づける人がたくさんいるのだからいいじゃないか」的な擁護者がごまんと出るのかもしれないなという状況が生じる。

さらに「おまけ」といわんばかりに、もともとのツイート自体が「ネットで拾った画像」に(出典URLではなく)気の利いた言葉を書き添えたものだったというオチもついている(その点は、先日の「レジ袋でメッシになりきっている子供」の写真の騒動に似ている)。

そんな「ネット上の騒動」のフルコースがコンパクトにまとまった事例があったことをBBCの記事経由で知ったので、片手間に確認できる範囲で最大限詳しく確認し、それについて書いておいた。パクられたらすぐにわかるようなクセの強い「対訳」もつけてある。

「自然派」スーパーがプラ包装材をふんだんに使用し「みかん、むいちゃいました」的商品を販売…ネット騒然
http://matome.naver.jp/odai/2145715648722274301


※この記事は

2016年03月05日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:30 | TrackBack(1) | todays news from uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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「炎上」を、受けて立つ人、ここにあり(七五調)
Excerpt: 1つ前の記事で見た「炎上」事案だが、発端から2日、3日と経過してなお、燃えている。情報の広まる範囲が広く、「今来た」という人もいるためだろう。昔の「掲示板(フォーラム)でのコミュニケーション」の時代に..
Weblog: tnfuk [today's news from uk+]
Tracked: 2016-03-07 00:20





【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼