「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2016年02月19日

ラミ・ジャラーさんがトルコ当局に逮捕された(「解放要請署名ご協力のお願い」の訳文あり)→土曜日に解放された。

ラミ・ジャラーさんがトルコに逮捕された――と書いただけで「わかった、それ以上の説明は必要ない」という方は、解放要請署名のページに飛んでいただきたい

シリアの「蜂起(革命)」を2011年から追ってきた人なら、ラミ(ラーミー)・ジャラーさんの活動のことは知っているだろう。「蜂起(革命)」の初期には「アレクサンダー・ペイジ」の名前で、ネットで英語で現地(シリア国内)のことを伝える活動をしていたシリア人男性だ。(今もその名義のTwitterのページは残ってはいるが、もう更新はされていない。)

その後、彼は実名の「ラミ・ジャラー」での活動に切り替え、TwitterやFacebookといったソーシャル・ネットはもちろん、英語圏の大手報道機関を通じても、シリア内戦で投下されるたる爆弾やクラスター爆弾の下にいる人々のことを伝えている。詳しい経歴はウィキペディアの英語版に書かれている。ソーシャル・メディアのページは下記。

Twitter: https://twitter.com/ramijarrah
FB: https://www.facebook.com/ramijarah

ラミさんは英国育ちなので、英語を使った現地報告を行っている。ここ数ヶ月は、戦況がぐっと動き出したアレッポ市から伝えている。

先週のFrance 24(フランスの英語チャンネル)での電話による報告の様子(電話なので音声がちょっと聞き取りづらい):


1月のPBS(米公共放送サービス)での報告:


そのラミさんが、水曜日(17日)にトルコのガジアンテップでトルコ当局によって逮捕されたとのことで、彼が参加している「シリア・キャンペーン」が解放要請署名を募っている。
https://act.thesyriacampaign.org/sign/free-rami/

以下、その詳細。詳細を読まなくてもいいという方は、↑↑上のリンク↑↑から、署名のページに飛んでいただきたい。





















※「数十秒」じゃない、「十数秒」。

ラミさんの逮捕を伝えたCPJの記事によると:
https://cpj.org/2016/02/cpj-calls-for-turkey-to-release-syrian-journalist-.php
Jarrah was detained by immigration officials after trying to apply for a residency permit in the border city of Gaziantep, a journalist familiar with the case told CPJ. The reasons for Jarrah's detention are unclear, but he was questioned about his work in the press, the same journalist, who asked not to be identified because of the sensitive nature of the case, said.

...

Jarrah was briefly held in a detention facility for foreign citizens, but was moved to a different facility late Thursday, the journalist with whom CPJ spoke said. He has been allowed access to a lawyer and has not been formally charged with any crime, the journalist said. CPJ has been unable to determine where Jarrah is currently being held.


つまり、シリアとの国境の町、ガジアンテップで居住許可を申請しようとしたときに、トルコのイミグレ当局に拘束されたが、その理由はわからない。ただ、報道の仕事についての尋問は受けていた。そして、外国人のための拘置所に留め置かれていたが、木曜遅く(拘束の翌日)には別の施設に移された。弁護士へのアクセスは許可されており(ここ、過去形ではなく現在完了形なのですが、ちょっとわからないですね……弁護士にアクセスできているのなら居場所がわからないということはないと思う)、何らかの犯罪行為で起訴されているわけでもないが、CPJには現在の彼の居場所がわからない。

さらに:
In the weeks before his arrest, Jarrah reported on the fallout of Russian military strikes in Syria and atrocities committed by the militant group Islamic State, and had traveled to Syria from Turkey several times, local journalists working with Jarrah told CPJ. Crossing into Syria is a challenge for journalists, some of whom say they have been forced to do so illegally because of restrictions imposed by Turkish officials, according to reports.


……なんか、やなことしか思いつかない。

ラミさんの逮捕を伝えるツイート(「アラブの春」をTwitterで英語で見てた人なら知ってる名前ばかりだろう)。つい最近、トルコの首脳たちと会っていた上に、トルコ国営TVにも出ていたというのに……何が起きているのやら:





































ロンドンにいるお父さんのFBでの投稿:
https://www.facebook.com/nourijarrah/posts/910385442415299?fref=nf





アップデート。ステートメントを出している「ANAプレス」はラミさんが創設メンバーに加わっている独立系通信社。








This is why there is censorship in Syria.
I am a journalist not a criminal

I am being treated as if I'm an ISIS element, the rest of the people here are all mostly involved (in ISIS)
I presume that they suspect I am a member of ISIS

……と、拘置施設で記した走り書きでラミさんは「まるで犯罪者扱いだ」、「ISISのメンバーだと思われているようだ」ということを英語で書いている。



身柄解放されました。。ただし詳細は不明で、逮捕理由についても説明がないようです。いずれにせよ、オンライン署名という「見える」形で「世界が騒いだ」ことは、彼自身の身の安全にとってよい方向で作用したとは言えそうです。














彼自身のFBへの投稿より:




上記、ラミ・ジャラーさんの解放後の声明の要旨を私訳の形であげておきます。
via https://twitter.com/WilliamsJon/status/701003197071147012
トルコ当局によって私は身柄を解放されました。私への支援を示してくださったすべての方々に感謝申し上げます。

残念ながら、今になってもまだ、私の逮捕理由について、また私がどんな罪に問われていたのかについて、直接あるいは公式な説明は聞けていませんが、シリア入りしたことが大元だったのではと理解しています。何が起ころうとしていたにせよ、その事態を停止させた行動(解放要請のこと)には感謝していますが、私が置かれた状況、および、一緒に拘束されていた人たちについて、またいずれ光を当てたいと思っています。それは私の件についてだけまともな扱いがなされるのではないということを確実にするため、私があのような扱いを受けた理由をはっきりさせるためです。

水曜日の晩に私が身柄を送られた場所には、私と同じくテロ組織メンバーとの疑いで拘束された人々がいました。全員が起訴はされておらず(起訴できるだけの容疑がない。「予防拘禁」かもしれない)、司法の場で無罪が宣告されてからなお、長い場合は9ヶ月間も拘束されたままという人たちもいました。そのような容疑とは明確に距離をとっていた私のような活動をしていてこのような状況に置かれるということを思うと、疑問は膨らむばかりです。

トルコ政府にかけられているプレッシャーと、トルコが安全を確保し、テロリズムがトルコに浸透したり害を与えたりすることを防ぐために政府に科せられた責任のことは理解していますが、行動する前に計算違いをしていたり、ろくに調査していなかったりするということは、そのようなシステムの犠牲になっている人が大勢いるということを意味しうるものです。

ご支援くださった皆様、私の解放のために行動を取ってくださった方々に改めて御礼申し上げます。

※この記事は

2016年02月19日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 21:08 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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