1972年のデリーでのブラディ・サンデー(血の日曜日)のときだけ、こういうことをしていると、この事件だけを「特別扱い」しているのではないかという気もしてくる。少なくとも、Twitterで私のアカウントを見てくださっている方々にはそう見えるだろう。そして、この事件だけを「特別扱い」することは好ましいことではない。しかし、私が個人的に「北アイルランド紛争」に接した初めてのきっかけが、勉強机の脇に置いたラジオから流れてきたあの曲だったということを、私は個人的に、何度でも確認したい。英語なんか聞き取れるわけもなかったけど、それは伝わってきたのだ。
1972年1月30日、デリーで英軍が非武装のデモ隊に発砲し、13人を撃ち殺した(さらに1人が後日、この日の負傷により亡くなった)。ほどなくして、英軍は「連中は武装しており、軍は攻撃を受けたので反撃した」との虚偽を《真実》として発表し、マスメディアはそれを《事実》として単に垂れ流した。撃ち殺された人たちのご家族・ご友人は、彼らが非武装だったことを知っていた。しかし、「英軍は背中を向けている(逃げようとしている)非武装の一般市民(民間人)に発砲し、撃ち殺した」ということが《事実》であると認められるまで、デリーの人たちは、38年半も待たねばならなかった。
2010年6月15日。1998年に開始が決定され、2000年から4年の歳月をかけて、当時のデモ参加者や英軍兵士を中心に膨大な数の人々の証言を聞き取ったサヴィル卿を長とするインクワイアリ(公聴会)の最終報告書が、予定より何年も遅れて、ようやく公表されたときの、BBC News (Northern Ireland) のウェブページ (via その日の拙ブログ)。
このことについては、毎年この日に、何かしら書いている。
2012年:
2013年(この年は、私は書けない書けないとうんうんうなっている):
2014年。この年も事件再現リアルタイムのツイートをしているのだが、その部分は省略:
2015年。イスイス団関連、特に後藤健二さんと、ヨルダンのカサスベ中尉に関するニュースと同時進行。この日のTLより(ブラディ・サンデーの再現ツイートもしているが、そこは省略):
nofrills / nofrills/新着更新通知・RTのみ
Seamus Heaney - The Road to Derry https://t.co/7XmtfFcKTe "... and again the Bogside bled" https://t.co/TGYwxGbYQs at 01/30 20:53
nofrills / nofrills/新着更新通知・RTのみ
今日は44年目の1月30日。3年前(2013年)に作成したページ> 2013年、41年目の「ブラディ・サンデー」に、「公民権」という言葉を手掛かりに。 - NAVER まとめ https://t.co/8MTTxT46je at 01/30 20:58
nofrills / nofrills/新着更新通知・RTのみ
1972年1月30日は日曜日だった。日曜日はカトリックにとって教会に行く日だ。その日、北アイルランドの都市デリーのカトリックの地域では、教会に行った後、午後から「1人1票」を求める公民権デモが行なわれることになっていた。 https://t.co/8MTTxT46je at 01/30 21:03
nofrills / nofrills/新着更新通知・RTのみ
1972年1月30日、デリーのボグサイドからのデモは当局の許可なしの「非合法」デモだった。だが、「カトリック」の市民運動を「プロテスタント」の行政当局が認めないのはいつものことだった。 https://t.co/8MTTxT46je at 01/30 21:08
nofrills / nofrills/新着更新通知・RTのみ
1972年1月30日、デリーの公民権運動のデモ行進は、このようなルートが予定されていた。1万人が参加する規模だった。 ※図の出典はhttps://t.co/8wzyf4pO0h https://t.co/u4EY6Tn82Q at 01/30 21:13
nofrills / nofrills/新着更新通知・RTのみ
北アイルランド公民権運動の関係者インタビューを30分にまとめたドキュメンタリー。We Shall Overcome: The Civil Rights Movement in Northern Ireland 1968 https://t.co/yiCXc4zljm at 01/30 21:18
nofrills / nofrills/新着更新通知・RTのみ
The nofrills Daily is out! https://t.co/uok8nHm2k2 Stories via @EastEndPSociety @andrewsweiss @FinucaneCentre at 01/30 21:29
※このタイミングで、Paper.liにフィヌケン・センターが偶然に入ったのには、びっくりした。
nofrills / nofrills/新着更新通知・RTのみ
英軍は事件についてデタラメな内容の「報告書」をまとめたが、事件直後に現場にいた人々に対し、何があったかの聞き取り調査は行なっていた。しかしその証言録は20年以上放置され、証言者の一人で当時15歳だったドン・マランが1997年に書籍化してようやく人々に知られることになった。 at 01/30 21:53
nofrills / nofrills/新着更新通知・RTのみ
Don Mullan, "Eyewitness Bloody Sunday" https://t.co/wYaMz12dZ9 1997年にこの本が出て、98年にブレア首相(当時)がブラディ・サンデー事件の真相究明公聴会実施を決定 at 01/30 21:58
nofrills / nofrills/新着更新通知・RTのみ
ドン・マランの書籍は2002年に映画化。ベルリン国際映画祭金熊賞など高く評価されたが日本ではビデオスルーだった。予告編: https://t.co/5HeaS9yKNR https://t.co/nq9RwOAktV at 01/30 22:03
nofrills / nofrills/新着更新通知・RTのみ
1998年に開始が決定された真相究明公聴会(パブリック・インクワイアリー)は2000年から活動を開始。04年まで証言の聞き取りが行なわれ、その後遅れに遅れて2010年6月に「サヴィル報告書」の公表となった。そのときの拙ブログ: https://t.co/g5Zcpqgwvc at 01/30 22:08
nofrills / nofrills/新着更新通知・RTのみ
2010年6月に英議会下院で「サヴィル報告書」を公表するとき、キャメロン首相は「ブラディ・サンデー事件は正当化されえぬものだった」、「弁護しようのないものを弁護することで、軍を護ることにはならない」と言い切った。 https://t.co/FJEtEB5KLb at 01/30 22:13
nofrills / nofrills/新着更新通知・RTのみ
2010年6月に「ブラディ・サンデー事件で殺されたデリー市民たちは全員、潔白(非武装の一般市民)だった」という結論が出された後、銃撃を行なった英軍兵士の訴追の可能性は、理屈の上では高まったが……というのが現在進行形のニュース。 https://t.co/qlSDsoRUXs at 01/30 22:18
nofrills / nofrills/新着更新通知・RTのみ
デリーでは1月最終週は事件に因み、武力と人権を考える討論会などが開催され「あの日」と同じコースをたどる行進が行なわれてきた。2010年6月の「サヴィル報告書」の公表をいわば「区切り」とした人々も多くいたが、行進を継続する人々もいる。 https://t.co/9oNhCxkMp7 at 01/30 22:23
nofrills / nofrills/新着更新通知・RTのみ
今年は27日(水)に「ブラディ・サンデーと英メディア」のブック・ローンチがあり https://t.co/Mzfijh93Ur また、イラクのモスルからの難民と90年代にコソヴォから脱出した難民を迎えた映画&トークの会があった。 https://t.co/bb7E8YENNl at 01/30 22:28
nofrills / nofrills/新着更新通知・RTのみ
北アイルランドにとって「難民」は「どこか関係のないところで発生する悲劇」ではない。1920〜21年のアイルランドの南北分断によって故郷のベルファストにいられなくなった人… https://t.co/JL5omU5Ieb at 01/30 22:33
nofrills / nofrills/新着更新通知・RTのみ
1960年代末「北アイルランド紛争」の文脈での「プロテスタント」による「カトリック」の住居への焼き討ちで、ダブリンへ逃れた人々のひとりは、後にアイルランド共和国大統領になった。 https://t.co/3SHNs9vdW1 at 01/30 22:38
nofrills / nofrills/新着更新通知・RTのみ
27日に発売記念イベントがあった「ブラディ・サンデーと英メディア」の本(学術書のお値段) https://t.co/UjglAb2qyq に関連し、当時のガーディアン記事について記者の回想: https://t.co/8uc14Jvsyd at 01/30 22:43
nofrills / nofrills/新着更新通知・RTのみ
現地時間1972年1月30日15.45(日本時間31日00.45)ごろ、デリーの公民権デモの本体は英軍のバリケードに遮られロスヴィル・ストリートへと進路を変えた。一部はそのままウィリアム・ストリートを進み、英軍バリケードへと向かった。https://t.co/8MTTxT46je at 01/31 00:48
nofrills / nofrills/新着更新通知・RTのみ
1972年1月30日、デリーのウィリアム・ストリートで英軍と対峙したデモ隊は、英軍兵士らに対し投石などを行なう。対する英軍は放水車を投入する……そういった光景は当時のデリーでは「当たり前」のもので、何も特別なことはなかったという。 https://t.co/8MTTxT46je at 01/31 00:53
nofrills / nofrills/新着更新通知・RTのみ
1972年1月30日、デリー。現地時間15.55ごろ、英軍パラ連隊の兵士たちがウィリアム・ストリートの空きビルから5発発砲、15歳のデイミアン・ドナヒーと59歳のジョン・ジョンストンが負傷した(ジョンストンは同年6月12日死亡) https://t.co/8MTTxT46je at 01/31 00:58
nofrills / nofrills/新着更新通知・RTのみ
1972年1月30日、アイルランドのデリー。このころには、ウィリアム・ストリートの暴動は終息しつつあり、人々は散らされていた。英軍は逮捕作戦の遂行許可を申請した。デモ参加者たちは、フリー・デリー・コーナーでの集会へと向かっていた。 https://t.co/8MTTxT46je at 01/31 01:03
nofrills / nofrills/新着更新通知・RTのみ
16.10ごろ、ロスヴィル・ストリート・フラットのあたりにいた人々に対し英軍の発砲が開始された。 https://t.co/Mz3qfm0dgr 1972年1月30日「ブラッディ・サンデー」事件 https://t.co/8MTTxT46je at 01/31 01:13
nofrills / nofrills/新着更新通知・RTのみ
"当時、この通りのこの辺にバリケードがあり、バリケードの向こうは「フリー・デリー」、つまり英治安当局にとってno-go areaだった。銃撃は、このエリアで行われた。" >拙: https://t.co/az9ylP7B57 at 01/31 01:28
nofrills / nofrills/新着更新通知・RTのみ
1972年1月30日、アイルランド、デリー。16.40ごろには、英軍による銃撃は終わっていた。13人が撃ち殺され、14人が負傷していた。 https://t.co/aIcnKaCrbG https://t.co/8MTTxT46je at 01/31 01:43
nofrills / nofrills/新着更新通知・RTのみ
Hidden Truths: Bloody Sunday 1972 http://138.23.124.165/exhibitions/hidden/ 1972年1月30日、アイルランド、デリーの「ブラディ・サンデー」事件の写真集。 https://t.co/8MTTxT46je at 01/31 01:48
nofrills / nofrills/新着更新通知・RTのみ
逮捕された人々は英軍基地に連行された。翌日には大半は起訴なく釈放されたが、基地で殴打されバトンラウンド(プラスチック弾)の銃撃の中を逃げ回らされるなどしたと証言している。 http://138.23.124.165/exhibitions/hidden/tour/09.html at 01/31 01:53
nofrills / nofrills/新着更新通知・RTのみ
17歳のジャッキー・ダディはロスヴィル・フラットの駐車場で英軍に撃たれた。その場に居合わせたエドワード・デイリー神父がラストライツを行なっているところの写真が残っている: http://138.23.124.165/exhibitions/hidden/tour/11.html at 01/31 01:58
nofrills / nofrills/新着更新通知・RTのみ
ジャッキー・ダディは将来有望なボクサーと期待されていた。甥のジョンは米国を拠点とするプロボクサーになった。
https://t.co/voeOY2gxhI https://t.co/mK74p6wKBV at 01/31 02:03
nofrills / nofrills/新着更新通知・RTのみ
ジャッキーの甥でプロボクサーのジョン・ダディのインタビュー(2010年6月16日、サヴィル報告書で事件犠牲者が非武装だったことが認められ、英首相が謝罪したことを受けての在米アイリッシュのメディアの記事)https://t.co/1OIZw7qBlI at 01/31 02:08
nofrills / nofrills/新着更新通知・RTのみ
…以上、1972年1月30日「血の日曜日」事件をほぼ実際の時刻に合わせツイートしました。事件に興味がおありでしたら3年前の「まとめ」もご参照のほど>2013年、41年目の「ブラディ・サンデー」に、「公民権」という言葉を手掛かりに。https://t.co/8MTTxT46je at 01/31 02:13
nofrills / nofrills/新着更新通知・RTのみ
1972年1月30日、デリー。公民権運動のデモ行進を取材に来ていたマスコミが起きていたことを記録していた。つまりすべてはマスコミのカメラの前で起きていた。それでも軍のでっち上げが「真実」とされた。BLOODY SUNDAY https://t.co/QTZ8AIvRJN at 01/31 02:18
nofrills / nofrills/新着更新通知・RTのみ
Sunday Bloody Sunday - U2 https://t.co/SEZCLdjTfo 「紛争」終結から3年後の2001年、スレーン城でのライヴ。1998年8月のオマー爆弾事件(リアルIRA)で殺された29人の名前が最後に読み上げられる。 at 01/31 02:23
nofrills / nofrills/新着更新通知・RTのみ
2010年6月、サヴィル報告書の公表・キャメロン首相の謝罪の瞬間を、デリー中心部の広場で迎える人々。Bloody Sunday - A Derry Diary - David Cameron's Apology https://t.co/PM2cC3JLRv at 01/31 02:28
……書き足します。
※この記事は
2016年01月30日
にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。
【todays news from uk/northern irelandの最新記事】
- 【訃報】ボビー・ストーリー
- 【訃報】シェイマス・マロン
- 北アイルランド自治議会・政府(ストーモント)、3年ぶりに再起動
- 北アイルランド紛争の死者が1人、増えた。(デリーの暴動でジャーナリスト死亡)
- 今週(2019年3月3〜9日)の北アイルランドからのニュース (2): ブラディ..
- 今週(2019年3月3〜9日)の北アイルランドからのニュース (1): ディシデ..
- 「国家テロ」の真相に光は当てられるのか――パット・フィヌケン殺害事件に関し、英最..
- 北アイルランド、デリーで自動車爆弾が爆発した。The New IRAと見られる。..
- 「そしてわたしは何も言わなかった。この人にどう反応したらよいのかわからなかったか..
- 「新しくなったアイルランドへようこそ」(教皇のアイルランド訪問)