「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2016年01月27日

リオネル・メッシとビニール袋と、「ネットの力」の限界と「出典を書いておくこと」の重要性

messi.png今、Twitterで「メッシ Messi」を検索しようとすると、不思議な検索後候補が表示されるはずだ。左のキャプチャ画像の一番上の「犬 dog」は、メッシが新たに飼うことになった犬(写真がアップされた)のことだし、二番目の「シャツ shirt」はありがちな検索ワードだが、三番目の「ビニール袋 plastic bag」には「何のこっちゃ」と思うだろう。

ここでいうビニール袋 (plastic bag) はいわゆる「レジ袋」のことだ。日本では白地か半透明で、チェーン店の場合はお店のロゴが印刷されているものがほとんどだと思うが、国外旅行などすると、赤や青のストライプ入りのものもよく見かけると思う。下記の写真のような袋だ。




この「赤や青の縦じまのレジ袋」を見ると、私の場合、ロンドンのストリート・マーケットが強く思い出される。「ストリート・マーケット」といっても、「こだわりの手作り」とか「ワンランク上」とかいうのとは違う方向性の、地名でいえばホワイトチャペルやブリクストンのようなところだ(下記はブリクストンのマーケット)。ぺらっぺらでとても弱い袋で、一度つかったらそれっきりの「使い捨て」で、せいぜいがゴミ箱の中に入れるゴミ袋になるくらいだった。



その凡庸な消耗品のビニール袋が「ニュース」になっている。それも、またもやバロンドールに選出された超一流のフットボーラー、スーパースターのメッシ関連で……。

発端はTwitterにアップされ、大いにバイラルした一枚の写真である。

青い縦じまのレジ袋の底を切り取ったものをかぶって着た幼い男の子の写真。背中には "MESSI 10" と青のマジックペンか何かで大きく書いてある。アルゼンチン代表でのメッシだ(この発想は「アイデア賞」もの)。

1月20日までの数日間、サッカーについてさまざまなニュースや話題を扱う読者数の多いサイト(複数)が、この写真に注目してTwitterアカウントでも取り上げていた。左に示すキャプチャはその一例で、Bleacher Report UKのツイートである(私がこの写真を最初に見かけたのはこのツイートだったはず)。

この「ほほえましい写真」はこうしてソーシャル・ネットでバイラルしていたのだが、「ほほえましい」と同時に、この写真は「レプリカ・ユニも買えないかわいそうな境遇の子供」の写真でもある。写真が撮影されたのは砂色の風景の中で、確かに「開けた都会」、「経済的に恵まれた環境」のようには見えない。いったい、どこの写真だろうか――。この時点では、撮影地はイラク北部、クルド自治州(イラクのクルディスタン)の中でも北にある町、ドホーク(ドゥホク: Dohuk)だ(と思われる)と言われていた。







インターネットはこの「ほほえましい写真」に強く反応し、「この男の子を探そう」というムードが高まった。「メッシ自身が、ちゃんとしたシャツを送りたがっている」という話も飛び交った(本当かどうか、私は知らない。本当だと確認できたという話も見ない)。そのころのことは20日付のBBC Trendingの記事に詳しいが、この写真が撮影されたのがイラクのクルディスタンだというのは、裏付けのある話ではなかった。写真に写っている風景は、確かにドホーク近郊の山のほうでもありそうだが、確証はないと地元の人たちも言っている。

BBC Trendingが調べたところ、「ドホーク」説は1月13日付け(UK時間)のあるTwitterユーザーの発言をそのまま引いたものだった。そのTwitterユーザーは、TLから判断するとバルセロナFCのサポで、プロフィール欄(bioの欄)は何も書かれていないが、英語でのツイートが多い(スペイン語やスウェーデン語のツイートのRTもある)。アバターはラッパーのドレイクの顔のイラストだ。

彼が「ドホークのメッシ」とツイートしたのは、何ら悪意のあることではなく、「両親がドホークの出身なので、冗談で言ってみただけ」だそうだ。写真は、13日にFBから頂戴したことは覚えていたようだが、「自分で見たはずのFBのフィードをさかのぼっても13日までは戻れず、出典がわからない」と本人が19日に述べている(教訓: どこかから写真を頂戴・拝借したときは、出典を書き添えてツイートするなりメモるなりしましょう)。

ただ確実だったのは、その写真に最初から「イラクのドホークでの撮影」とは書かれていなかったということ。彼自身が、「ドホークだ」というのはその場での自分の思いつきだということははっきり覚えていた。しかしこの写真を広めるメディアは、何の証拠も確証もないのに、「ドホークでの撮影(らしい)」ということで、どんどん《噂》を広めていた。

こういうことは、このほほえましい写真だから笑っていられるけれど、シリアスなニュースで起きたら笑ってもいられない。

過去において実際に、こういう《噂》がソーシャル・メディアで流れたことは、何度もある。多くの場合、発端の人が意図的に不正確な情報を流そうとしていた(「いたずら」もあれば、「《デマ》と定義される性質のもの」もある)と判断されるのだが、中にはどこにも悪意などない、自然発生的な「伝言ゲーム」や、勘違いによるものもあった。ロンドン市内でなぜか南ア警察の注意喚起の貼り紙が出回って、それを撮影した写真がTwitterで流れ、噂が噂を呼んで、ちょっとしたパニック状態になったこともあった。

ソーシャル・メディアというのはそういう場である。そしてそのことに基づいて「これだから、ソーシャル・ネットで話題になっていることは、何一つ信用しちゃいけないんだ」という極論が唱えられ、それが信頼されることもある。というか、「SNSで流れてることは、何一つ信用しないのが賢い人の態度」みたいな、単純明快な世界観が、なんていうのかな、もう珍しいものではない、というか……。いや、そういう「懐疑的」な態度は、別に悪くないと思うんですよ。ただ、何というか、あの、シリアやパレスチナ(ガザ地区)の民間人犠牲について述べたことについて「デマをまくな」という主旨で怒鳴り込んでこられることがわりと日常的に起きていたアカウントの中の人としては、「SNSで流れている情報を何一つ信頼しない私は賢い」みたいな態度をとり、「SNSで流れている情報はウソ」とかいったことを、個別の事例についてはっきりした根拠もなく吹聴するとかいうのも、いかがなものかと……。何かが起きている/行なわれているときに「そんなことは起きていない」と断言しまくるというのもまた、かなり古典的な、確立されたプロパガンダの手法なのだから(というか、いまどき、「プロパガンダの手法」として最初に思いつくのは、「そんなことは起きていない!」のあの方じゃないんですかね)。

閑話休題。そんなこんなで、「ドホークのメッシ」説は、言ったご本人は「軽口」のつもりだったのに、それに何の検証も加えずにコピペして「〜らしいよ」と広めるオンライン・メディアやSNSのユーザーによって「軽口」では済まなくなってしまった。

BBC Trendingは彼に(何らかの手段で)直接話を聞いているが、結局、ご本人が何も覚えていない。いったいこの写真をどこで見たのかということも「FBで見た」という以上のことがわからない。ご本人はスウェーデン在住の高校生で、ご両親がイラクのクルディスタン出身で、スペインのサッカーが好きで、英語で(も)SNSを使っている……となると、普段から見てる範囲が多岐にわたっていて、絞り込むことも難しいかもしれない。(私も「10日くらい前にどっかで見たんだけど、どこで見たんだっけなー」となることはよくある。私程度に見てる範囲が限定的で、私くらいマメにメモってても起きることだ。)

というわけで、発端としてはたぶん「ビニール袋でメッシになれるwwwww 超ウケルwwww」的なことだった話が、ネットでバイラルして大ごとになりつつあったときに、発端のご本人(スウェーデンの高校生の「ロビン」さん)が「この写真の少年を探してます。自分で見つけた写真だけど、どこで見たのかわかりません」という呼びかけを始めた。「この子に、メッシのシャツを買ってあげたい」。ご本人も、情報量を調整するためにフォロー先を減らすなどして、がんばっている(教訓: 最初から出典を書きとめておけば、こんなことにはならない)。























このBBCのフィード↑が、先ほど見たBBC Trendingの記事のフィードだ。

しかし、「BBC砲」が撃たれたあとになっても、有力な手がかりが出てこない。ロビンさんはFBでこの写真を見たのだからロビンさん以外にもこの写真を見ている人はいるだろうに、何ら手がかりがない。ついには「まさかネットにもできないことがあるとは」という言葉も漏れる。(ネットはエルサレムで発掘された謎の器具もすばやく特定したのに!)





この数日後、イラクのドホークから、「この子ではないか」という写真が出てきた。「バルサの10番」のレプリカ・ユニを着た、10歳くらいの男の子だ。きっと地元では「メッシの熱狂的なファン」として有名な子供なのだろう。ロビンさんが最初にツイートした写真の子供は、体格から見てもっと小さいが、2年か3年くらい前のこの子の写真だという可能性はこの時点ではまだある。しかし、「ドホーク」説がロビンさんの思いつきである以上、「ドホークの子供」が出てきても真相に近づいた気はしない。あの写真そのものや別カットが出てこなければ何の決め手にもならない。





このあとで出てきた写真で、ドホークのこの子供は、あの写真の「ビニール袋のシャツ」を着ている(着せられている)。しかし……







「これを拡散しないでください。メディアが飛びついて、人々がこれを信じてしまう。この子があの写真の子とは別人だということは、明白じゃないですか」




「やめてください。僕が思いつきでドホークだと書いたばかりに、この子が(別人なのに)実際にメッシと対面するなんてことにもなりかねないじゃないですか。そんなのよくないですよ」




「インターネットの力って、本当にこわい。ほとんど全員が、どんなことでも、何も疑問に思うことなく信じてしまうこのありさまは、危険だ」


そして、この少し後に、あの場所であの体格の子供が、あのセーターを着てその上にあの「ビニール袋のメッシのユニ」を着ている写真が出てきた。


「これがあの子ですね。今、ネットで拡散されているのは騙りです」と書き添えたこの写真をロビンさんは「RTしてください」と述べているが、あんだけ騒ぎになって自分でも大変に苦労して懲りたはずなのに、「出典」書いてないじゃん

……ということは、「思わず急いでツイートだけしてしまった」ときによく起こることで、プロのジャーナリストのような人でも直後に「今のツイートの内容の出典は……」と追記のツイートを投稿することがよくある(あるいは、単純に字数が溢れてしまうので分割せざるを得なかったということもある)。ロビンさんのこのケースもそうかもしれない。次のツイートで、彼は情報源のアカウントをツイートしている。





FBのページのスクショを添えて、「実際の証拠。僕がツイッターでシェアする2日前です」と(ロビンさんのツイートが13日、このFB投稿が11日)。

彼らのやり取りを見ると、@joynaw5さんからロビンさんに直接接触があって、この写真がどこで誰を撮影したものかがわかったということのようだ。@joynaw5さん(Azim Ahmadiさん)は新たにTwitterアカウントを作って、下記のツイートをロビンさんに送っている。このあとDMでのやり取りで、「ビニール袋でメッシ」の子供の正面の写真が送られたようだ。





「さらに証拠です。左にいる子が、ビニール袋でメッシになってる子のお兄さんで、この写真を最初にFacebookにアップした方です」。(めっちゃいい写真。顔立ちから見てハザラ人か。)

ここでさらにまたFBに新たに写真がアップされたとのことで、ロビンさんがまたツイートをしている(が、また出典URLの記載がない!)






新たにアップされた写真では文字がちょっと薄れているけど、あの「シャツ」であることは間違いない。

バルサの情報アカウントも:




ロビンさんは先方と話をして、Indiegogoで彼ら家族のための募金を開始している。説明文はIggのページにある(この説明文は、私もまだ読めていない)。





バカげたことかもしれないが、こういうのを見ると「英語が上手すぎる」とか、「現地の人々が最新のインターネットを使える環境にあるとは思えない」といったことから「ニセモノだ」という結論を導き出したがる人が必ずいる。このブログについて「何でも信じるバカ」と言いふらすかもしれない。が、そういうのは気にしない。

経緯を見るに、この「募金」は最初っから決まっていたものではない。「人探し」の結果、相手の人と話をしたことで、当事者が思いついて実行に移したことだ。そういう思いつきがすぐに実行できる環境が、今、ここにはある。個人的には、「困っている人にお金を支援しよう」というのはちょっとナイーヴすぎやしないかと思うが、IndiegogoやGofundmeなどでは「私たちの結婚式の費用を支援してください」みたいな個人的な募金活動もありふれているということを考え合わせると、発想としてはまあ、あるのだろうと思う。

というわけで、「ビニール袋のメッシ」がどこの誰かは無事判明した。BBC Trendingは、その経緯を一本の記事としてまとめている。





Azim Ahmadi, an Afghan living in Australia has posted pictures of his nephew Murtaza who he says is the boy in the original photo. A comparison between his photos and that of the mysterious Messi fan shows that there are striking similarities.

Azim put BBC Trending in touch with his brother Arif, Murtaza's father, who answered his Afghan mobile and confirmed his son was indeed the boy that the web has been searching for.

Arif said the original photo of Murtaza wearing the plastic shirt was taken by his oldest son Hamayon who published them on his Facebook page. The family live in the Jaghori District, in the eastern Ghazni province of Afghanistan.

【要旨】オーストラリア在住のアフガニスタン人、Azim Ahmadiさんが、甥のMurtaza君の写真をアップした。発端の写真に写っているのはMurtaza君だという。写真を見比べてみると、なるほど、そっくりだ。

Azimさんに紹介されて、BBC TrendingはAzimさんの弟(兄)のArifさんに話を聞くことができた。ArifさんはMurtaza君のお父さんで、写真に写っているのは間違いなく息子ですと述べた。

Arifさんの話では、発端の写真は一番上の息子のHamayonさんが撮影し、FBのページにアップしたのだという。家族はアフガニスタンのガズニ県のJaghori地区に暮らしている。

http://www.bbc.com/news/blogs-trending-35411417


というわけで教訓:
インターネットから何かを「拾って」きたら、
必ずURLをメモっておくこと。




1月28日午後追記:
発端となったスウェーデンの高校生ロビンさんが、ツイッターで頻繁に「メディアは何の調べものもせずに、Twitterに書かれていることをそのまま流している」と述べている件。

彼は「メディア media」と言うだけで、具体的な媒体名は挙げていなかったけど、ちょっと見たらそれがどこの媒体かがわかったので追記しておきます。私はこの媒体のアカウントは、私がフォローしてる人たちが「晒しage」的にRTしてくるのだけでもうるさいので、最近ミュートしているため、気づくのが遅くなりました。



この画面では「クリスタル・パレスFCサポのマット」さんが「別人です」と指摘していますが、このあとにもずずずずーっと「誤報である」という指摘が続いてます。でも、デイリー・メイル・オンラインは誤報のツイートを消しはしない。そういうことです。

しかしまあ、えらい話の盛りようじゃないですか。> "EXCLUSIVE: Boy in Messi shirt made of plastic bag is son of a Kurdish rebel fighting ISIS" (本紙独占: ビニール袋で作ったメッシのシャツを着た子供は、ISISと戦っているクルド人武装勢力メンバーの息子)

実際には、ISISと戦うクルド人ではなく、たぶん間違いなくタリバン(またはイスイス団のアフガン支部)から冷遇され、ひょっとしたら迫害を受けているかもしれず、故郷にいられなくなって国外に逃げ出すと「経済移民」呼ばわりされることが多いハザラ人の子供です。

※この記事は

2016年01月27日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:56 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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