「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2016年01月24日

こんな実例を見つけたので、マンモスうれぴー。

「巨大である」さまを述べる日本語の表現に、「マンモス級」というのがある。最近見聞きすることがなくなっているように思うのだが、ウェブ検索するとそれなりに用例があるので、まだ「注釈なしで通じる表現」ではあるのだろう。

BBC Newsにアクセスしたら、その表現を(英語で)見ることになったので、ちょっとメモしておく。



BBC Newsのトップページでは、上のキャプチャにあるように短いヘッドラインになっているが、記事自体は下記のように語数をかなり多く使っている。そしてそこでも、トップページと同じく、「巨大な」の意味で「マンモス」を使っている。

US snowstorm: Mammoth blizzard hits East Coast, shuts New York
http://www.bbc.com/news/world-us-canada-35392008


「マンモス(象)」は、ロシアのシベリアで発掘されたことから、「地」を表す現地の言葉にちなんで名づけられたそうだが、英語圏での初出は1706年。「巨大な」の意味の形容詞の初出は1802年で、北米の対英反乱の文脈だったという。下記のWord origin and historyのところを参照。
http://dictionary.reference.com/browse/mammoth

というわけで、米東海岸のワシントンDCからニューヨーク、ボストンにかけては「マンモス級」のブリザードが襲来中で大変だというのが世界的ニュースになっているが、ジャイアント・パンダのティアンティアンさん(ワシントンDCのスミソニアン動物園)は、大雪が降ってマンモスうれぴーとのこと。





このBBCのツイートには、Snowzillaという表現も見られる。

それに対する球界の反応は……




ブリザードのビフォー・アフターとその経緯を記録したタイムラプス映像。




「スノウマゲドン」(スノウ+ハルマゲドン)もちょくちょく使われてますね。




犬が喜び駆け回った跡の、3時間後らしい。




今週末は、東京も雪だ雪だと言われていたが、ここらへんでは降らなかった。土曜日(23日)の夜に雨は降った。日曜日(24日)はいいお天気だった。









一方で、沖縄では降雪を観測したとの由。おめでとうございます。






そして、ロシアから愛をこめて、ダジャレを言うのはだれじゃ。




タグ:英語 実例 用語

※この記事は

2016年01月24日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼