「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2016年01月22日

メモ: NHKの記事はアップされてからだらだらと更新されるが、それがタイムスタンプで明示されない。

表題の件、留意しておくべきと思った。

先ほど、この記事を読んだ。

教科書問題 不適切な行為12社 関わった教員ら5000人超
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160122/k10010381181000.html


が、読んでいる端から次々と更新されていることが確認された。以下はその記録。

なお、この話題は、記事がどんどん書き換えられて(書き加えられて)いてもあまり問題にはならないと思うが、大きな事故や災害などの場合、「負傷者が複数出ている」という情報が、ほんの10分かそこらのうちに「死傷者が複数出ている」とか、「死者2人に加え、負傷者が複数」とかいった情報に変わることもよくある。また「死者10人」という情報が現場の混乱によるもので実は「死者8人」だった、ということもニュースでは生じる。そういうときに情報が混乱する可能性をシステム的に軽減するためにも、ページの一番上にあるタイムスタンプで、last updated (最終更新)の時刻を表示するようにしてくれるとよいと思うのだが……。



私が最初に見た画面(開きっぱなしだったタブからサルベージ)。



この状態の記事を見てとったメモ。




同じページを見ながら、メモの続きをTwitterの入力欄に書き込んで、同時にarchive.isに記事のURLを投げたら、その時点で「20分前」のアーカイヴがあったので、そのURL( https://archive.is/1eINk )を末尾に書き添えたツイート。上記メモの4分後に投稿。




しかしそのアーカイヴ( https://archive.is/1eINk )は、私が見ていた記事より全然短い。



これでは私のメモの「出典」にならないので、取り直したarchiveが: https://archive.is/1KSwK



しかしこれはこれで、記事末尾に文部科学相のコメントが付け加えられていて、私が見た記事とはバージョンが違う。

並べるとこう。左から、私が見た版、私が見たときには既に(20分前に)とられていたarchive, 私が記事についてのメモをツイートしながらとったarchive.

    


記事の長さ(文字量)が全然違うことは一目瞭然だろう。

で、すべてタイムスタンプは同じで:



……というわけである。同じURLで記事を上書き更新することには問題はない。ただ、最初にアップされたときとはバージョンが異なっている(文面が変わっている、付け加えられたり変更されたりした情報がある)ということは、タイムスタンプを示すだけで公知できるのだから、そのようにしてもらえないだろうかと思う。




※この記事は

2016年01月22日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 11:49 | TrackBack(0) | 雑多に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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