「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2016年01月19日

ISIS(ISIL, IS, イスイス団)のメディアについて、改めて確認しておくといいんじゃないかと思うことのメモ

「陰謀論」はよく見かけるが、これはちょっと……というのがあったので、カウンターとして、ウィキペディア程度でわかることを元に、少し書いておくことにする。

見かけたのは「イスイス団はアメリカが作った」説の一種だ。「アメリカのジョン・マケイン上院議員が、イスイス団の団長と会っていた証拠写真」みたいな、政治的な意図が背景にあると思われる言いがかりなら単にスルーするが、今回見かけたのは「イスイス団のメディア」について話が混乱しきっていることがベースにありそうなので、基本的なことを改めて整理しておけば、それだけでも役に立つのではないかと思う。

というわけで以下2点。1点は「イスイス団のメディア」について。もう1点は「イスイス団の機関紙をアップしているサイト」について。

1. ISISのメディア部門について
「イスラム国」を自称する勢力(ネットスラングで「イスイス団」、本稿では以下、「ISIS」と表記)が「メディア部門」を持っていること自体は、説明不要だろう。「テロ組織」(と他者から呼ばれる武装組織)を有する政治団体・政党が新聞や放送のための機関を運営し、自分たちの政治的な目的を明確に示し、組織の見解や声明を公にすることはごく一般的なことで、PIRAというかシン・フェインにはAn Phoblachtがあったし、ヒズボラにはAl-Manarがあるし、ハマスにはAl-Aqsa TVがある。ISISも同じように報道機関を持っている。ただし、ISISは世界各地から人を集めているので多言語展開する必要があるし、組織の拡大にともなってメディア部門も拡大してきたという経緯もあるのだろうが、なんだかごちゃごちゃしている。それがまとめて解説されているのがウィキペディアの下記のページ(セクション)だ。
https://en.wikipedia.org/wiki/Islamic_State_of_Iraq_and_the_Levant#Propaganda_and_social_media

※このセクションはページが分割され、下記のURLに変更されるかもしれない。
https://en.wikipedia.org/wiki/ISIL_propaganda_and_social_media

ウィキペディアに書いてあることをまとめると:
ISISの前身となった集団は、2006年6月に創設者のアブ・ムサブ・アル=ザルカウィが米軍によって爆殺されると、「イスラミック・ステート・オヴ・イラク(ISI)」(またの名を「アルカイダ・イン・イラク(AQI)」)と改称したが、そのすぐ後に設立されたのが、「アル=フルカン・ファウンデーション (Al-Furqan Foundation for Media Production)」だ。今も活動中のこの組織は、ISIの主張を広め、人員を集めるためのCDやDVD、ポスター、パンフレットを制作し、ネットでISIのプロパガンダやISI公式の声明を出している。

アル=フルカンは、2013年3月に2番目の報道機関、「アル=イティサム・メディア・ファウンデーション (Al-I'tisam Media Foundation)」を設立し、同年8月には音楽や音声コンテンツを専門とする「アジュナド・ファウンデーション (Ajnad Foundation for Media Production)」を立ち上げた。

そして、2014年半ば(イラクのモスルを押さえたころ)に、西洋諸国の人々をターゲットとし、英語、ドイツ語、ロシア語、フランス語で展開する「アル=ハヤト・メディア・センター (Al-Hayat Media Center)」をスタートさせた。

これから増えるかもしれないが、現在活動しているISISのメディアは、アル=フルカンとアル=ハヤトの2つだ。ISISの立場で言うと、アル=フルカンが「国内」でアラビア語を使い、アル=ハヤトが「国外」向けで多言語展開している。

で、うちらのような傍観者が報道記事などを経由して見る機会があるのは、アル=ハヤトのほうだ(アル=フルカンは、ISISの出してくるビデオの片隅のロゴを見ることはある)。かの有名な「イスイス団の英語機関紙」(オンラインでPDFで出してるあの媒体)を出してるのもここだ。

さて、ここで話をややこしくする(かもしれない)のが、イスイス団とはまったく関係のない「アル=ハヤト」という名称の報道機関があることだ。

非常にわかりやすいので、Al-Monitorの「中東の報道機関のデータベース」のページを見てみよう。
http://www.al-monitor.com/pulse/sources/alhayat
Published: London, Pan Arab
Language: Arabic
Established: 1946
Published: daily
Website: www.daralhayat.com


つまり「アル=ハヤト」という名称の、ロンドンで発行されている汎アラブの日刊新聞(アラビア語)がある。この媒体がベイルート(レバノン)で創刊されたのは1946年。つまり、イスラエルができる前(パレスチナの地が英国の委任統治から離れ、国連のもとに入ったころ)。

上記のページの解説によると、「アル=ハヤト」とは英語で「Life(生活、人生、生命)」の意味で、英国に本社のあるこの日刊新聞は、ロンドン、ベイルート、ニューヨーク、リヤドで印刷されていて、在外アラブ人のコミュニティでよく読まれている(ロンドン拠点の汎アラブの新聞には、このほかに「アッシャルク・アル=アウサト」がある)。中東の各地に地域事務所を有しているが、特に創刊の地であるレバノンで広く読まれている。記者や編集者にもレバノン人が多い。1946年の創刊から30年後、レバノン内戦の勃発により1976年に一度閉鎖されたが、1988年に再建され、1990年にはサウジアラビアのハリド・ビン・スルタン王子の所有となった。このため、サウジアラビアの批判は紙面では行なわれないが(2007年にそれをしたときにかなり大変なことになっている)、傾向としては左派で、アラブ・ナショナリズムの観点を反映している。

文化欄の充実っぷりが有名な新聞であり、また保守派から進歩派まで、幅広い論説を掲載することでも知られている。エドワード・サイードが頻繁に寄稿していた新聞でもある。

……と、ISISとはまるで相容れないスタンスの新聞だが、名称の「アル=ハヤト」だけはISISのメディア部門と一致している。

このように、同じ単語を使っている全然別個のメディアが複数存在するということを認識していないと、「ISISのメディアは本拠がロンドンにある」といった珍説が生じているのを見ても、おかしいと思わないかもしれない。

(新聞の「朝日」とテレビ局の「朝日」につながりがあると聞いて、ビールの「アサヒ」にまで広げてしまうようなことだってあるのだ。「朝日出版社」と「朝日新聞社」の同一視だってよくある話。)

2. ISISの機関紙(英語版)をアップしているサイトについて
「ISISの英語機関紙」についてのウィキペディアのページからもリンクがはられているが、あの媒体をそのままアップロードしているサイトが米国にある。そのサイト自体は、ISISとはまったく無関係だ。

「機関紙」をアップしているサイトは、Clarion Projectといい、カナダ人でイスラエル国籍も有するラビ(ユダヤ教の聖職者)が「イスラミストの過激主義の危険性を白日の下にさらす」ことを目的として、ISISのプロパガンダをそのままの形で掲載している。
https://en.wikipedia.org/wiki/Clarion_Project

このサイトは、Whois検索すれば誰でも確認できるが、米国のホスティング業者、GoDaddyを使って開設されている。米国内のサーバにISISのプロパガンダが置いてあるわけだ。

これが違法行為にならないのは、米国の最も重要な原理原則である「言論の自由」ゆえだろう。(米国では、かなり過激なものでも、政治的な発言そのものを封じられるということはまずない。それが「言論の自由」だ。例えば、ネオナチの旗を掲げて人種主義のメッセージを訴えたければ、できる。人々から白眼視されたり、反対されたり、卵を投げられたりはするかもしれないが。一方で、ネオナチの旗を掲げていなくても直接的に暴力を呼びかければ、それはそれで違法行為となる。)

そして、アメリカのサイトに「機関紙」(のコピー)がアップされているからといって、米国政府がISISを作ったとかいうことにはならない。

その上で、私は個人的にはこのサイトには近づかないようにしている。理由は……ウィキペディアを読めばわかると思う。私は近寄りたくない。
https://en.wikipedia.org/wiki/Clarion_Project

※どうしてもイスイス団のプロパガンダを見る必要がある方は、Washington Institute for Near East Policyのアーロンのサイト(URL書かなくても調べられますよね)に資料としてアップされているものを参照したほうがいいと思います。



アーロンの論文(ガチの論文):
Picture Or It Didn’t Happen: A Snapshot of the Islamic State’s Official Media Output
http://www.terrorismanalysts.com/pt/index.php/pot/article/view/445/html
※全文は読んでないけど、役立つ論文であることは疑いなし。



※この記事は

2016年01月19日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 21:22 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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