「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2016年01月01日

暖かな冬、2月、3月の草花も咲き、1月らしい花も咲いている。

年が改まってもやはり目に入ってくるのは、「世界のどこかにこれだけの血溜まりができていますよ」といった話で、アイルランド島とブリテン島は「フランク」と呼ばれている嵐(「台風」に相当)のために大きな水溜りがそこかしこにできているのだが、最初の投稿くらいは、のんきな話にしたい。

でも、そんなにのんきでもないか。これは「フランク」と呼ばれている嵐(や、その前の「エヴァ」と呼ばれた嵐)につながってることなのかもしれない。

大晦日(といっても昨日だが)の夕刻、都内の住宅街を歩いていたら沈丁花のつぼみが膨らんでいたのは大晦日に投稿した通りだ。

今日(元日)、同じような環境の住宅街の路地で、ノゲシとかカタバミも見た。日当たりや水はけがよいのか、ツタバウンランが枯れずに茂って花を咲かせている一角もあった。Flickrに写真をアップしてある。

Being cute.

と同時に、「いつものこの時期」の光景も見られる。

ロウバイが咲いていた。

Happy New Year 2016

ところで、大晦日に撮影してアップした沈丁花のつぼみの写真が、FlickrでExploreに入っていた。久々のことで素直に嬉しいが、何も考えてない写真で(ピントを合わせただけ)、あれでいいんだろうかと思っている。
https://www.flickr.com/photos/nofrills/23786294850/in/explore-2015-12-31/



Flickr、やっぱり楽しいなあ。クリックするだけでニューヨークにもサンパウロにも飛べる。そこには適度な「言葉」がある。「言葉だけ」に頼らない場だし、「言葉」が暴走することもほとんどない。Flickrは「ソーシャル・ネット」のさきがけだけど、このサービスの現在の運営者である Yahoo! を嘲笑するんじゃなくて、Flickrがスタート時のポジティヴなムードを保っていることについて、分析してみてもいいんじゃないかと常々思っている(価値観も価値基準もさまざまな人たちがごちゃっと一緒に使っている場なので、接触すれば軋轢は生じることがあるけれど)。「写真」というものをコアにしたユーザーの態度が(年齢にかかわらず精神的に)「大人」だから、というのが一番大きいかもしれない。

※この記事は

2016年01月01日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:00 | TrackBack(0) | 雑多に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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