kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2015年12月31日

英国の洪水のニュースを見て知ったのだが、戦渦のアフガニスタンを犬と歩いたあの人は、今は英国の閣外大臣だ。

先週後半、クリスマス・イヴ、クリスマス・デイ、ボクシング・デイの時期に、英国(イングランド南東部を除いてブリテン島ほぼ全域)が、Evaと名づけられた嵐(日本でいえば「台風」)に襲われた。イングランドでは特にカンブリア(湖水地方のほう)、ヨークシャーなど北部のあちこちで洪水が発生し、鉄道網は寸断、クリスマスの飾りつけをした町の商店街が水没している光景の写真が報道機関やTwitterなどでたくさん出回った。被害の拡大の背景には、保守党が「緊縮財政」を理由に、flood defence (洪水対策のフェンス。川沿いや、土地が低くなっているところの道路に可動式のフェンスが設置されていて、水位がまずいことになると水をせき止めるために稼動する)を削ってしまったからだ、ということもおおいに指摘されていた。

その水害の状況を、環境担当の閣外大臣(保守党の政治家)が視察しているということで、閣外大臣の名前(これが意外な人物なんですが、少し後で)がTrendsに入ってからほんの2日(だと思う。間にレミーの訃報が入ったが)。今また、英国は別の嵐(台風)に襲われている。今回のほうが先週より影響範囲が広く、西はアイルランドのコークから、キルケニー、北アイルランドのダウン州やアントリム州(ベルファスト)などからかなりひどい洪水の写真が出ている。

先週、クリスマスの時期の水害。「未曾有の降水量で」こうなったようだが、この時期、順当に寒くて降ったのが雨でなく雪だったら、「水害」にはなっていなかったのではないかと思う:





そして現在、英国とアイルランドを襲っているStorm Frankの被害。



これ↑↑、建造物が浮かんでますけど、大丈夫なんすかね。

そんなこんなでこういうジョーク画像が出回る。「ほれ、あそこ流れてくもの、見えます?」、「え、私の信用の隣に浮かんでるやつですかね」、「そうです。あれ、あなたの業績です」


















先日はイングランドで水仙が咲き乱れているという報告があったが、今日はドイツでポピーが咲いているという報告を見た。その写真、よく見るとぺんぺんぐさも咲いているようだ。NASAが「今年のエル・ニーニョは1998年以来のものとなるかも」と述べたとのことでUKでは「エル・ニーニョ El nino」がTrendsに入っていたし、「異常気象」が人々の関心を集めていることはありありとわかる。

で、そんなときに話題になっていた人名のひとつが、Rory Stewartだ。水害に見舞われているカンブリアの選挙区選出の議員(保守党)で、環境省の閣外大臣 (minister) である。
https://twitter.com/search?q=Rory%20Stewart&src=tren







特に珍しい名前ではないが、ひょっとしてあのローリー・スチュワートだろうかと思ったので個人アカウントのプロフィールを見てみると、 http://www.rorystewart.co.uk/ が個人サイトで……あれ。この人「あの」ローリー・スチュワートじゃん。

http://www.rorystewart.co.uk/about-rory/
He was briefly in the army, before serving in the diplomatic service, running a charity in Afghanistan, and teaching at Harvard University. He is the author of three books and walked 6000 miles across Asia between 2000 and 2002.


このローリー・スチュワート。
4560080623戦禍のアフガニスタンを犬と歩く
ローリー スチュワート Rory Stewart
白水社 2010-04

by G-Tools


この本について、2010年に書かれた書評:
http://supersymmetry.air-nifty.com/blog/2011/08/post-a06e.html
この徒歩旅行が行なわれたのは2002年ころ、著者は1973年生まれなので、その頃まだ二十代である。今だって、まだ37歳くらいなのだ。私のような凡人はびっくりするような経歴の持ち主なのだが、本書ではそのようなことはおくびにも出さない。現地の言葉を使いこなしている様子、歴史に関する知識、見識、どこをとっても優秀な外交官そのものだと思うのだが、旅の中では教師と一貫して自称している。確かに、在学中にヘンリー王子らの家庭教師を務めているのだからあながち嘘ともいえないが、学問的な好奇心は旅の主目的にはないようなのだ。では、その目的とは。

「はじめに」で彼はこう書いている。「なぜアフガニスタンを歩いて横断したのかと訊かれても、あまりうまく説明できない。たぶん、それが冒険だから、というのが理由だろう。」そう、冒険なのだ。……


ローリー・スチュワートはイートンからオクスフォードというガチのエリートの経歴を有する人だ。そういう階級のこういうバックグラウンドを持つ人が、「グランド・ツアー」よろしくインドからアフガニスタンの一帯(南アジア)を徒歩旅行し、見聞し、体験したことを本にまとめている。もう、すべてが20世紀初頭っぽくてくらくらするのだが、さらに、その彼が、2010年の総選挙で国会議員になっていた(私は知らなかった!)とのことで、まったく古典的じゃないか!と気絶したくなるほどだ。計算しすぎ、狙いすぎの感がありすぎた小説、『屍者の帝国』よりよほどエンターテイメント的なくらい。というか、2010年代の現実は、まともな人が考えたフィクションを軽く超えてしまうという事例がまたひとつ、というところかもしれない。

4309021263屍者の帝国
伊藤 計劃 円城 塔
河出書房新社 2012-08-24

by G-Tools


(しかしアマゾンのレビュー、悲惨だね。『シャーロック・ホームズ』のワトソン博士がアフガン帰りの軍医というサー・アーサー・コナン・ドイルの設定も共有されてないところにこのフィクションを投げても、通じないよ、そりゃ)



ロリー・スチュワートについて教えてくれたid:Gomadintimeさんのブログにトラバしたい。
http://d.hatena.ne.jp/Gomadintime/20070302/p2
往時の大英帝国が定期的に産出していた才能あるエキセントリックなオリエンタリストの風情。


その「才能あるエキセントリックなオリエンタリスト」は、2010年から、政治家になっていた(もちろん保守党で)。実に、ますます「往時の大英帝国」っぽい。

※この記事は

2015年12月31日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼