kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2015年12月22日

で、「なぜパリばかり〜〜〜」って言ってた人たちは、その後、シリア情勢に注意を払ったりしてるんすか。民間の救急隊員がロシアの空爆で殺されたりしてるんですけどね。

1ヶ月と少し前、日本語圏で「なぜパリばかり〜〜〜〜〜〜」と狂乱の叫び声を上げていた人たちは、その後、「パリ以外」について少しでも知ろうとしたのだろうか。私は疑問に思う。

正直、こんなことに時間を割くのもばかばかしいが、「シリア内戦」とか「シリア情勢」というと「イスイス団」しか思いつかないくらい、何も知らない人たちの無知な言葉が、ネットをうっすらと覆っている。先ほども、「イスイス団のようなイスラム主義者のテロ」について、「クルド武装勢力」の戦闘員(一見してYPJとわかる上に、腕にオジャランの顔をモチーフにしたワッペンをつけているようなガチのクルド民族主義者)の写真を使っている頭が激しい下痢を起こすようなエントリを「はてブ」で流行っているということで見たばかりだ。まったく、心底、ばかばかしい。

そしてこういうのを「ばかばかしい」と述べると、「高飛車である」とか「知識自慢している」とか言われるのがネットだが、「中国と日本の区別がつかない欧米人」や「北アイルランドの7月12日の暴動を、反緊縮の暴動と区別しない怠惰な日本語圏の知識人」が批判されて当然なのと同じように、「イスラム主義過激派」と「クルド武装勢力」の区別がつかない・つけようともしないで「テロ」を語ろうとするような怠惰な者は、(どこの国の人であれ)批判されて当然である。「イスラムだから全部一緒」みたいなのは日本語圏のネットではうんざりするほどあふれかえっているが(日本語圏に限らないが)、そもそもシリアについて「イスラムだから」云々で決め付けるような知識しかない人は、自らの無知を自覚するところから始めるべきである。

Re: http://b.hatena.ne.jp/entry/www.continue-is-power.com/entry/2015/12/21/081249

……こんな話題で、なんでクルド武装勢力の写真使うの? 関係ないじゃん。あと、偉そうに一般論を語りくさすだけで、2004年3月11日のマドリードはスルーですかそうですか。2005年7月7日のロンドンは記憶されてんでしょうか

http://b.hatena.ne.jp/nofrills/20151222#bookmark-274297417


「2004年3月11日」や「2005年7月7日」を知らない? ggrks.

つうわけで、シリアから。

























私が見たその写真はRTしていない。Favもしていない。ジャーナリストやアナリストならともかく、Twitterを使っているだけのような人が、見ていい写真じゃないと思うからだ。

こんな写真が、流れてこなくなる日は、来るのかどうか。

ローズ・アル・ホムシさんはまた、直接知っている人を亡くした。今度は親戚だ。アリ・アル・クルディさん。アレッポのエリアで、FSAの一員として戦死した。詳細が私にはよくわからないのだが、イラクの民兵(シーア派民兵か)とアサド政権軍と、FSAの戦闘があったようだ。亡くなったアリさんのお父さんの息子たちはアサド政権に対抗してひどい目にあっている。アリさんは戦死し、16歳に満たない3人の息子たちは政権側の検問所で身柄を拘束された。親族の男子たちも殺されたり身柄拘束されたりしている。







そして、この人たちは、イスイス団とは関係ない。「イスイス団(をはじめとするイスラム主義武装勢力)とは関係のないシリア人」について、説明必要っすか? ブログ書くほど関心があるんなら、後藤健二さんの報告など、YouTubeでも探して見ればいいんじゃないすかね? それとも、それを見るほどの時間もかけられないのに、ブログで語りたいですか?

たいした「言論の自由」じゃありませんか。

それでも私はそれをサポートしますよ。「言論の自由」はselectiveなものではないので。私だって何も知識がないくせにいっちょまえに発言しているという分野はあるし。



あと、「サポートすること」イコール「批判しないこと」ではないので。念のため。

※この記事は

2015年12月22日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 06:00 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼