kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2015年12月20日

アンドレイ・クルコフ『ウクライナ日記』(読書メモ)

ウクライナ日記 国民的作家が綴った祖国激動の155日 私はこの本をウクライナのために書いている。この本にはユーロマイダンの期間中の私の日記を載せる。分かりやすい言葉で、もしかすると少々単純化した形で、現在ウクライナで起きていることの原因の解説を試みたい。今日の状況がウクライナの遠い過去と近い過去とどう結びついているのかを主観的に説明してみせるための、国民の群像、国の肖像を描いていきたい。

――アンドレイ・クルコフ(吉岡ゆき訳)『ウクライナ日記 国民的作家が綴った祖国激動の155日』ホーム社、2015年、pp. 121-122


読んでいてかなり辛かったこの本を読了したので、読書メモとして。(「辛い」というのは「退屈だ」という意味ではない。ここで書かれていることが作家の空想ではなく現実であるということが堪えたのだ。)

アンドレイ・クルコフはウクライナの作家。使用言語はロシア語。1961年にロシアのレニングラード(当時)に生まれ、3歳のときに家族でキエフに移って、以来ウクライナに暮らしている。1991年のソ連崩壊のときは30歳になっていた計算だ。『ペンギンの憂鬱』(邦題)というたいへんに魅力的な小説が2004年に日本で翻訳紹介され、私はそれによってこの作家のことを知ったが、クルコフは英語圏を含む欧州でも広く知られた小説家で、『ウクライナ日記』にも出てくるとおり、2014年にはフランスのレジオンドヌール勲章をうけている。

4105900412ペンギンの憂鬱 (新潮クレスト・ブックス)
アンドレイ・クルコフ 沼野 恭子
新潮社 2004-09-29

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1860469450Death and the Penguin
Andrey Kurkov
Harvill Press 2003-05-29

by G-Tools


『ウクライナ日記』は、元々の企画としては、オーストリアの出版社からの依頼で「ヨーロッパの人々にウクライナを理解してもらうため」のエッセイ集だった(「訳者あとがき」より)。つまり、ウクライナがEUに接近することになっているという前提があった。2013年11月にそれが突然ひっくり返されたことで、企画は方向性を大きく変え、「エッセイ集」ではなく「日記」になった。

ニコライ・アザーロフ首相が、EUとの連合協定調印の準備作業を停止すると声明……ヨーロッパへの統合は棚上げ。我々は再びロシアを愛する。ヨーロッパは唖然とした様子。私とて同じだ。ヤヌコヴィッチはこの半年というもの、「我々はヨーロッパに行くのだ!」と言い続けてきた。

(p. 21)


この本の「日記」の始まりの日である2013年11月21日以降、「ウクライナとは何であるか(何でないか)」は、文筆家による外国人向けエッセイのテーマではなく、現実に武器や装甲車両・軍服といったものを伴った武力紛争のタネとなっていく。徐々にきな臭さと血の臭いを増していく情勢の中で心理的に翻弄されながら、妻と3人の子と一緒にキエフの中心部に暮らす作家は、日常生活を送っている。予定していた長編はなかなか執筆が進まないが、ウクライナ国内の大学に呼ばれて講演を行ない、国外のイベントに呼ばれて飛行機で出かけていく。子供の誕生日を祝い、家族で一緒にキエフから少し離れた村のセカンドハウスに行き、そこで畑仕事をする。政治家たちの煽動的な言葉を聞き、ロシアのプロパガンダに(きっと「またか」的なものであるだろうが)苛立ちをおぼえ、その日のことを日記に書き留める。その中に、自然、当初の企画にあったに違いないような「ウクライナ事情の解説」が地の文で、または原注で入る。よく考えられ、適度に添えられた訳注も、読者の理解を助けてくれる。

アンドレイ・クルコフの住まいは、「ユーロマイダン」の中心地、キエフの独立広場から歩いて5分のところにある集合住宅だ。その近く(独立広場から歩いて3分のところ)には仕事場として使っているアパートもある(p. 122)。クルコフがそういったことを書いている2014年1月24日の項は、この本にとって「中心」的なことが書かれた項である。その5日前、1月19日(日)は「主の洗礼の日」で、キエフ市内を流れるドニエプル川で冷たい水で沐浴をすることになっているそうだが、「10,000人以上の抗議行動参加者が集まっていた」グルシェフスキー通りでは、「警察が大型の放水車を送り込み、抗議行動参加者をバリケードから引き離すために放水を始めた。外気温は氷点下7度、抗議行動参加者たちはずぶぬれになりながら『洗礼だ! 洗礼だ!』と叫んだ」(p. 116)。

この日のことを、私は東京で、TwitterやBBC Newsのサイトなどで見ていた。「誰が暴れているのか」について、非常にうさんくさく感じていた。「ユーロマイダン」の活動家たちがああいう暴れ方をするとは思えなかった。政権側であれ反政権側であれ、抗議行動を口実に何か暴力的な事態を引き起こそうとする攪乱要員が最前列に出てきた、と思った。実際、私が見ていたウェブ中継をしていたのは「極右」と位置づけられる政党、スヴォボダの人たちだった(そしてクルコフのこの本では、スヴォボダや右派セクターのような「極右」勢力に向けられる注意は、ある時点までは、本当にごくごくわずかだ)。
http://twilog.org/nofrills/date-140119/asc
http://twilog.org/nofrills/date-140120/asc




グルシェフスキー通りで最初の数名の死者が出たのは、1月22日だった(私はこの日、ウクライナにはほとんど注意を向けていない。ウクライナについては最初から「特に関心を持っていない」ということを努めて明示してきたが、それは、正直な話、ロシアが絡む事態についてわずかでも関心を持っていると誰かに判断されると、うっとうしいことになるからだ)。クルコフはこの日の日記でこう書いている。

なぜ私は驚いていないのか? 以前なら、ありえない、あるいは狂気の沙汰だと思ったことを、なぜ今は当然の帰結、そして「こんなものだ(ノルマ)」「あたりまえだ(ノルマ)」と受け止めているのか?! 私たち誰もが気が狂ってしまった。「こんなもの/あたりまえ」とは何なのか、私には分からない。

(p. 117)


以前なら「考えられなかったようなこと unthinkable」が、ふと気がつくと「あたりまえ normal」になっている。首都の中心部で抗議のデモ隊がバリケードを築いて座り込みを行ない、治安当局が暴力を行使しているという現実を前に、クルコフは驚いていない。ただそのことの異常性を自覚し、日記に書き留めている。そして、「あたりまえ」ではない大統領(ヤヌコヴィッチ)に関する嫌悪と拒否感をはっきりと示し、「ヤヌコヴィッチを憎悪し、受け入れないことこそがあたりまえなのだ」と書く(p. 118)。

抗議行動は、非受け入れ、非愛情のもっとも直截的な形だ。これもまた当然の帰結なのだ。権力が政治的に襲撃されるとき、権力は反応するか無視する。権力に、つまり警察に意思や火炎瓶が投げ込まれるとき、警察は棍棒で応える。これもあたりまえなのか? ギリシャではあたりまえだ。ドイツでもあたりまえだ。でもギリシャでもドイツでも刑事犯であった過去を持つ人間はなぜか大統領になれないのだ!


(ヤヌコヴィッチは刑事犯罪で有罪判決を受けている。)

この日(2014年1月22日)の、とても熱の高い記述に、クルコフさん、あなたの中では何も「あたりまえ」になんかなっていないじゃないですか、と思う。だから、あなたは書いているのではないですか?

1月22日の死者は2人。クルコフが「我が国の国内『インティファーダ』の最初の犠牲者はセルゲイ・ニゴヤン、20歳のアルメニア人、ウクライナ国民、ドニエプロペトロフスク州出身、バリケードでシェフチェンコの詩を朗読した」と書いている青年と、「今日殺された2人目はベラルーシ国民だった」と書いている青年。この文字量の差には、たぶん理由がある。
http://matome.naver.jp/odai/2139300461356543901



そしてクルコフは、1月22日の事態で憂慮されたようなこと(ネット上で情勢を見ていた人たちは当時「天安門事件の再来」がなければよいが、という言葉で語っていたはずだ)は起きず、翌23日は「あたりまえ」となっていること(暴力を行使した警察がお咎めなしとなること)への憤りを、言葉少なに綴っている。

その翌日の24日は、日記の作者は読者を作者の内面へと連れていく。

晴れた寒い日。こんな天気の日は、過ぎた幸せな日々の思い出と、不安に満ちた現在の想いが容易に混ざり合う。安定している国では、10年前あるいは20年前に自分と国に何が起きていたのかを思い出すのは難しい。いまだに払い続けている住宅ローンをいつ借りたのかは思い出せる。とっくに買い替え時になっている現在のマイカーをいつ買ったのかは思い出せる。……しかしウクライナでは個人の思い出も国家をめぐる思い出も、より容易だ。私の実感では、時はより速く、はるかにドラマチックに過ぎていく。私たちが巻き込まれるストーリーは、時にはアメリカ製の大ヒット映画よりもはるかに波瀾万丈の展開になる。……

(p. 120)


このセクションで、クルコフは「でもこの本はとても私的なものだ。ということは主観的な本なのだ」と述べ、「私的」なイメージの中の「中心(ツェントル)」を語る。その「ツェントル」という語は、ロシア語では「渦」をも意味するということも言語的な重なりで語られ(日本語ではもちろん訳し分けられ、ルビで説明されている)、読者はこの作家と向かい合って、ウォッカ、あるいは温かいお茶を飲みながら、話を聞かせてもらっているような気分になる。

そして「残酷なソ連の過去」が一瞬イメージとして通り過ぎたあと、本稿の冒頭の引用の言葉が出てくる。

……これはこんなふうな本だ。30年にわたって日記をつけてきたという文筆家の、感情に流されはしないが感情を否定しない、とても人間的な日々の文章の集積だ。

一貫しているのは、「日常」という、あたりまえだが、それゆえに貴重なものへの愛着。

めりめりと音を立てるようにもぎ取られてしまったクリミアでは、家族で新年の休みを過ごすのが常だったが(2014年の新年はクルコフは家族を連れてクリミアを訪れていることが日記に綴られている)、それができる「日常」は、2015年の新年には、もう過去のものになってしまった。

「日本語版序文(あるいはあとがき)」として書かれた文章で、クルコフはこう書いている。分離主義者(親ロシアの人たち)からウクライナ軍が「解放」(p. 11) した地域の大学で、文学者3人が講演を行なうくだり。

会場には学生も一般市民もいた。入場は無料で、巨大なホールは満員御礼に見えた。平和なキエフやリヴォフでは、社会派の詩であれ、ロマンチックな詩であれ、そもそも現代文学全般がそうであるように、選ばれし者に喜びをもたらすにすぎない。大方の人は、「ルーティン」という味気ない言葉で呼ばれることの多い、日々の雑事に囲まれて暮らしている。だが、「反テロ作戦」が展開されている地域には「ルーティン」は存在しない。「ルーティン」は懐かしく思い出されるものなのだ。……

(p. 12)


この「序文(あるいはあとがき)」はこう結ばれている。

続いているのは戦争だけではない。命も、日々も続いているのだ。

(p. 16)


私も東京で、2011年3月11日のすぐあと、スーパーやコンビニの棚から商品が消えていたころに、うちの駅前の惣菜屋のおばちゃんとお客さんの「あら、筑前煮、終わっちゃった?」、「ごめんねー、明日また作るから」といったようなやり取りを小耳に挟んで、「日常」の力を思い知らされた。そういった経験はひとりひとり、私的に持っているだろう。

クルコフの「私的」な本は、「遠い国で、わけのわからないくらい複雑な事情で起きている武力紛争・戦争」のことを、読者ひとりひとりの「私的」な何かに引き寄せる。

すぐれた文筆家の立派な仕事だ。

なお、本書の「日記」は、2013年11月21日から2014年4月24日。クルコフは出先でも、ほぼ毎日書いている。キエフと距離がある場所で書かれている日も少なくない。そして、キエフとクルコフの距離もこの5ヶ月間の日々の中で変化に富んでいるが、「戦争の可能性」への(心理的な)距離も、それに負けず劣らず変化している。それを「おそれ」と感じさせない筆致は、「冷静」と呼べるものかもしれない。しかし私は、クルコフが「冷静」だったとは思えない。こんなときに「冷静」でいられる人は、いない。それを描写した貴重な本ではないか。

巻頭に池上彰さんによる「ウクライナ情勢入門」という短い文章があり、扉と目次に続いてウクライナ全土の地図と、キエフ中心部の地図があり、効率的な読書ができるよう丁寧に編集されている。

※以上、引用に際し、縦書き用の漢数字を横書き用のアラビア数字に改める、傍点による強調を太字に置き換えるといった表記上の変更を加えた箇所があることをお断りしておく。

4834253058ウクライナ日記 国民的作家が綴った祖国激動の155日
アンドレイ・クルコフ 吉岡 ゆき
ホーム社 2015-07-24

by G-Tools



世界は今日、たしかに気が狂れた(ふれた)ようだ。




書評:
沼野充義・評 『ウクライナ日記−国民的作家が綴った祖国激動の155日』=アンドレイ・クルコフ著
毎日新聞2015年8月23日 東京朝刊
http://mainichi.jp/articles/20150823/ddm/015/070/014000c
実はクルコフは、この八月に千葉・幕張で行われた国際学会に招かれて初来日し、「スラヴ文学は国境を越えて−−大砲がうなりをあげるときでも、ミューズは沈黙しない」というシンポジウムでパネリストを務めたばかりである。その後、強烈な好奇心を発揮しながら精力的に東京や京都を歩き回って、市井の日本人と触れ合う彼の姿を見て私は感激した。そう、彼自身が序文で宣言しているように、「続いているのは戦争だけではない。命も、日々も続いているのだ」。


クルコフの新刊 『ウクライナ日記』
沼野恭子研究室(※東京外国語大学)
http://www.tufs.ac.jp/blog/ts/p/nukyoko/2015/07/post_294.html
クルコフはこのマイダンのすぐそばに住んでいて、マイダン革命の様子をつぶさに日記に記していた。だから原題は 『マイダン日記』だ。


ウクライナ日記
アンドレイ・クルコフ著
評 亀山郁夫 名古屋外国語大学長
http://dd.hokkaido-np.co.jp/cont/books/2-0032178.html?page=2015-11-08
全編にわたって、ヤヌコビッチ前政権と彼を操るプーチン・ロシアに対する怒りが炸裂(さくれつ)した感があるが、日常生活の私的な営みを綴る文章の魅力も見逃せない(「続いているのは戦争だけではない。命も日々も続いているのだ」)。ただし日常生活のどの描写にも、点景として死者がさりげなく寄り添う。これこそは、「ペンギンの憂鬱」の作者の心を捉えてやまない「部外者の死」の原風景だろう。


アンドレイ・クルコフ「ウクライナ日記」
英国アート生活(※個人ブログ。英語版で読んだ方のレビュー)
http://loki-art.jugem.jp/?eid=1515
『Ukraine Diaries』、キエフからの特報、というサブタイトルがついている。……
ロシア語でも読もうと思ったら、ロシア語版は存在しないようだ。最初に出たのがドイツ語版。でもこの英語版はフランス語版から翻訳したもの。ややこしい。


ウクライナ日記 国民的作家が綴った祖国激動の155日
雑記+ブックレビュー(※個人ブログ)
http://mietzsche.blog.fc2.com/blog-entry-732.html
もともとはロシアよりの立場をとる大統領と、ヨーロッパと統合するべきだと考える市民たちとの争いでしたが、それ以外の勢力もデモの現場に現れることで、ますます状況が複雑化しました。
その勢力の一つが、ウクライナ民族主義的な極右勢力であり、もう一つの勢力がロシア民族主義的な極右勢力です。
……
著者はヨーロッパ統合派の活動には共感を示すものの、民族主義的な主張には冷ややかな目を向けます。


民族主義者(スヴォボダ)のメンバーの中で「一番気が狂れて(ふれて)いる人物」とクルコフが評しているイリーナ・ファリオンは、「誰もがソ連共産党を脱退した1980年代の末にその共産党に入党したのだが、在籍していた事実そのものを否定し続けていた」とか。挙句、クルコフがこの日記を書いている次に行なわれる党大会で、党費未納で除名になるとか(p. 24)。

『ペンギンの憂鬱』で「ブラック・ユーモア」と評されたものは、フィクションではなくてノンフィクションがベースにあり、ノンフィクションっぽい部分(ペンギンとの生活)はフィクションだったことを改めて思い起こすなど。





なお、アマゾンに現時点でアップされているレビュー(2件)は読むだけ時間の無駄だと私は感じました。レビューは最低限、本を読んでから書きましょう、という感じ。







(本稿は、その吹き飛ばされたものの瓦礫を拾い集めて形にしようとした記録。いったん吹き飛ばされたものは二度と再生しないし、瓦礫を拾っても何にもならないのだが、「メモ」は残しておきたい本なので。)









追記:








※この記事は

2015年12月20日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:59 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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