kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2015年12月18日

ジェレミー・コービンに対し、ものすごくえげつない攻撃を行なっているのは、「保守党」ではないですよ。

表題の件、もちろん保守党もえげつない攻撃をすることもあります。自分たちのやろうとしていることにとって、ジェレミー・コービンやその賛同者が現実的にジャマくさくなったときなど(「英国政府による爆撃に反対するのは、テロの支援者」とデイヴィッド・キャメロンは言った)。でも、基本的には、保守党は労働党が下院で過半数の議席を獲得しそうにない状態でいてくれたほうがよいので、労働党が「極左」にふれたり、中身がばらばらということが露呈していたりする状況は、けっこう歓迎しているでしょう。実際、今の労働党が、スコットランドで獲得できなかった議席をイングランド(元々イングランドは保守党のほうが強い)で挽回する、というようなことにでもならない限りは保守党にとってはぜんぜん危険な存在ではありません。ただ、政治的にポイントを得るために、労働党指導部の「極左」性を利用することは今後もあるでしょう。

一方、「議席を十分に獲得できない労働党」に最もいらだっているのは、労働党で、コービンを推していなかった人たちです(Twitterの英国政治ニュース系の人たちの間でよく話題になるのは、なんといってもトリストラム・ハント)。そして、「コービンでは勝てない」と主張してきた労働党の人々は、今もそう主張し、オールダム・ウェストという労働党の安全区で、現職の死去に伴う補選で、労働党が議席を獲得したという何でもないことについて「ショッキング」だと述べるというツラの皮が2メートルはありそうなことを平気でやってのけたうえで、トニー・ブレアまで引っ張り出してきている(ブレアを引っ張り出すことにメリットがあると考えているのは、英国では、「ニュー・レイバー旋風よ、もう一度」ということを思っている、ニュー・レイバーで甘い汁を吸った人たちくらいだと思うけど)。

そして、スター・ウォーズ新作の封切迫る中、ついに……

The Third Man: Life at the Heart of New Labour - (テーマ音楽)
でーでーでーでっででーでっででー










追記(22日)







※この記事は

2015年12月18日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼