kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2015年12月17日

補足: 「紛争地」だった都市が、今は「普通の街」であることについて、チャペックの旅行記を読みながら。

1つ前のエントリへの補足。

英国政府が受け入れを決定したシリア難民の最初の一団の受け入れ先となるなど、完全に「普通の街」という扱いを受けるようになったベルファストだが、それがいかに「特別なこと」であるかを少し書き留めておこうと思う。こういうことは書き留めておかないと、即座に忘れ去られるだろう。ロンドンについて、1991年とか92年版の『地球の歩き方』で「街頭にホームレスがあふれ……」と書かれていたことが、90年代後半の「ITバブル」以降はまったく忘れ去られているように(90年代前半を知っていた人たちは、「久しぶりにロンドンに行ったら、ウエストエンドにホームレスがいなかった」と驚いていたものだ)。

下記は現行のLonely Planetのベルファストについての記事の書き出しの部分。

Belfast is in many ways a brand-new city. Once lumped with Beirut, Baghdad and Bosnia as one of the four 'Bs' for travellers to avoid, in recent years it has pulled off a remarkable transformation from bombs-and-bullets pariah to a hip-hotels-and-hedonism party town.

http://www.lonelyplanet.com/ireland/northern-ireland/belfast


このような「旅行ガイド」の「都市の特徴」のような文言は、厳密な《事実》とは限りなく関係ない「キャッチコピー」のようなものだし、ベルファスト、ベイルート、バグダード、ボスニアと列挙するのは「Bで頭韻を踏んでいる」に過ぎない(そもそも「ボスニア」は都市名ですらない)。

それでも、ベルファストはこういう扱いを受ける都市だった。

でも、ずーっと以前には、アイルランド全体がそうだった。

1920年代、アングロ・アイリッシュ条約で「アイリッシュ・フリー・ステート」(と「北アイルランド」)が成立して何年もしないうちに(正確に書けば1924年である)、チェコの作家、カレル・チャペックが英国を旅行した。そのときの旅行記が『イギリスだより』で、ちくま文庫から日本語訳が出ている。

4480422919イギリスだより―カレル・チャペック旅行記コレクション (ちくま文庫)
カレル チャペック Karel Capek
筑摩書房 2007-01

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チャペックはロンドンを皮切りに、イングランドを旅し、スコットランドを訪れ、ウェールズに足を運んでいる。そして:

問「わたしは、アイルランドをちょっと見たいと思っています。ご意見はいかがですか」
答「アー・エー・エー・エー・オー・オー。エー?」
問「何ですか」
答「あそこは、まったく形勢不穏だということです」
問「そんなに悪いのですか」
答「うーん、それにあそこでは、よく橋が風にもっていかれて、列車が通ると――」
問「どの列車も空中に舞いあがるのですか」
答「(いくぶん不確かに)いえ、どの列車もというわけではありません。おわかりですか。ベルファストへおいでなさい。あそこはだいたい、ここと同じようなところです……」

(pp. 174-175)


だが結局チャペックは、この本の中でベルファストへは行っていない。

1924年だと、まだアングロ・アイリッシュ条約後の内戦(1922〜23年)の残り火があったのかもしれないが、誰に聞いても「行くな」ということをいわれ(バーナード・ショーからも!)、チャペックは仕方がないからアイルランドの案内書を買おうとする。しかし、これが見つからない。

しかし、本屋の人は、あぶない、あぶないというように、頭をふる。――いや、アイルランドの案内書はない。コーンウォールとダッカリー、スノードンとウェンブリーの博覧会の案内書はあるが、たまたまアイルランドについては、まったくなにも。ソーリー、お気の毒だが、まったくない。
「わたしたちは、あそこへは行かないのです」

(p. 176)


1924年はこんなふうだった。

一方、2015年は……






追記:






The island of Ireland may be seen as a "safe haven" destination for overseas visitors this year due to security concerns about other parts of Europe, a tourism chief has predicted.

Tourism Ireland's chief executive Niall Gibbons said volatility elsewhere in the world is not a basis upon which to market the Irish brand, but he said it is nevertheless a factor that has to be considered.

http://www.belfasttelegraph.co.uk/news/northern-ireland/ireland-could-be-safe-haven-for-overseas-tourists-34385625.html


「世界各地で政情不安、観光地として選ばれるのはアイルランド」って、ベルファストで観光当局の人が国会議員にブリーフィングしたそうだけど、そのベルファストでは「紛争観光」が盛況なんだから、何ともいえない。(笑)

※この記事は

2015年12月17日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼