「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2015年12月15日

カレーの「ジャングル」難民キャンプ。「溺れる者」がすがりつく「藁」さえ、ここにはない。

12日に書いた「フランスのカレーの『ジャングル』難民キャンプに、Banksyが新作を描いた」件について、「NAVERまとめ」を利用して作成しているページに追記した(下記の7ページ以降)。

バンクシーが「シリア移民の子、スティーヴ・ジョブズ」を描いた英仏海峡の街で、何が起きているのか。
http://matome.naver.jp/odai/2143833336178143801


このページは元々、7月末に英メディアで「カレーから移民 (migrants) が押し寄せてくる」というパニック報道が展開されていたときに個人的備忘録としてニュースのフィードなどのツイートを書き留めておいたものの冒頭に、12月の「バンクシーの新作」という新たな要素を加えて公開したものだ。

この「バンクシーの新作」、描かれた故人(スティーヴ・ジョブズ)が主役であるかのように取りざたされるし、実際作家自身もそれを狙っていることは明白なのだが、「主役」はこのキャンプ自体である。

12日に「NAVERまとめ」のページをアップした段階では、そこがまだ書き終わっていなかったのだが、さっき、その部分の大半を書いてアップした。

そこが読まれるかどうかは知らない。人目を引く派手な要素は何もない。ただ、シリアだけでなく、世界のいろいろなところからさまざまな抑圧と暴力を逃れてきて、フランスの北端でゴミと糞尿と泥の中で日々を過ごすことを余儀なくされている人々がいるということ、「溺れる者」がすがりつく「藁」さえ、ここにはない(国連さえここにはいない)ということを、何もせずにはいられなくなってボランティアの炊き出し隊を組んで現地に行った英国人の手記を通じて、日本語で伝えようとしただけだ。



I went to help at Calais’s Jungle refugee camp – and what I saw haunts me
http://www.theguardian.com/commentisfree/2015/dec/10/calais-jungle-refugee-camp-volunteer-conditions


この手記を書いたデイヴィッド・クラフトさんは「支援の経験もないしその技量もない」一般人で、「家で自炊はするので、たまねぎを刻むくらいはできる」ということで、思い立ってFBで呼びかけて、難民支援の炊き出しのボランティア隊を組織し、既に現地で活動を行なっている「アシュラム・キッチン」という支援団体に参加した。その活動には、ロンドン近郊のお金持ちエリアに住んでいる上品な紳士から、映画Children of Menに出てきてそうなドレッド・ヘアのお兄ちゃん、1週間休暇を取って自転車で駆けつけたというロンドンの調理師など、多様な人々が参加して、暖かい食べ物・飲み物を人々に提供するという活動を行なった。上流階級を描いた人気連続ドラマで執事役をしている著名な俳優が、奇術や音楽で人々に「喜び」を回復してもらうという(バンクシーのDismalandと微妙に接点のありそうなコンセプトの)団体を主宰しており、彼自身もこのキッチンの活動に姿を見せていたという。

ここでは、希望する全員にいきわたるほどの食事・飲み物はない。長く続いた行列の途中のどこかで、「この後の方は、お並びいただいても、お配りすることができません」という場所がくる。その「切り捨て」を体験したボランティアの男性は、泣いてしまったという。

そういったミクロな視点での支援活動を綴りながら、筆者のクラフトさんは根本的な問題点を指摘する。

I can’t make sense of the situation in Calais – an obscene level of suffering on our doorstep, and in one of the world’s most prosperous countries, and yet no one accepts responsibility. The UN is not in the Jungle and so therefore neither are the main aid agencies. And yet conditions fall short of basic UN humanitarian standards. The French and the British governments each claim it is not their problem, and so refuse to provide the most basic infrastructure and safe, legal means for refugees to seek asylum in the UK. It is a grotesque abdication of responsibility.

http://www.theguardian.com/commentisfree/2015/dec/10/calais-jungle-refugee-camp-volunteer-conditions


「ジャングル」と呼ばれる場所(かその近く)にはかつて、赤十字がかかわるような公的な「難民キャンプ」があった。サンガットの難民収容施設だ。その施設を、ポピュリストがたたきつぶした。FN(国民戦線)じゃない。当時内務大臣だったニコラ・サルコジだ。(ちなみにサンガットの閉鎖から3年後、2005年にサルコジは「社会のクズ」発言をする。)

2002/12/15付け(ちょうど13年前)のOVNIの記事がある。
http://www.ilyfunet.com/ovni/actualites/a-propos/513_apropo.html

サルコジ内相の着任以来、カレー市近郊サンガット町にある、密入国者収容所の閉鎖賛否論争が高まっていた。

 11月5日、官憲によって同収容所から排除された約1600人の密入国者のうち約百人がカレーの教会を占拠したがそこからも強制排除された。以来、街をさまよう者、海岸にある旧トーチカに籠る者と、サンガットは中東からたどりついた密入国者の英国への脱出口となっていた。

 赤十字が運営するサンガット収容所はもともとはユーロスター建設のために設けられた倉庫で、その後、コソボからの難民を収容した。3年前から密入国手引き人(1人4千〜1万ドル)を介して、毎日350〜400人のトルコ系クルド人やアフガン人が押し寄せていた。常時約1600人を収容、3年間で約6万人にのぼる。ほとんどが独身男性で、彼らはトラックの荷物の中に隠れ英国にわたることを目指す。大半は学歴があり、75%は紛争や政治的弾圧を逃れてきたという。

 ……英仏海峡を挟んで責任のなすり合いをしてきた両国内相は12月2日、予定より3カ月早い12月30日にサンガットを閉鎖することに同意した。その条件として、英国は約1600人のうち約1200人のクルド・アラブ系イラク人と英国に親族のいるアフガン人に最低4年の労働許可証を出し、フランス側は残る約400人に滞在許可証を出すことを決定。この決断の快挙にサルコジ内相は意気揚々と、凱旋気分。……


そして、誰も「責任を取らない」。つまり、誰もこの事態を何とかしようとはしない。活動家がよくいう「根本原因への対処」どころか、「(難民という)症状に対する対症療法」さえろくになされていない。国連さえ、ここにはいないのだ。

バンクシーは劣悪な環境の難民キャンプに、自分の屋外展覧会の企画で用いた建材などをリサイクルして、住居や子供の遊び場、コミュニティ・エリア(共有スペース)を建築している。

When Dismaland closed its doors it was decided that instead of chucking all the leftover crew in the bin they should be recycled into aid workers. They've since travelled to the Calais migrant camp and so far have completed 12 dwellings, a community area and a children's play park.

http://www.dismaland.co.uk/


ドーヴァーから、資材を積んだ車が海を渡ってカレーに入り、建築を進める様子が、現地で人々と交わした言葉なども交えつつ、スライドショーとして提供されている。
http://www.dismaland.co.uk/1903-2/

今年はバンクシーはガザでねこちゃんを描いたり、ディズマランドをやったりと非常に大きなインパクトの活動を続けていたが、これは、彼が「口だけ」ではないことを決定付ける仕事だ。

以下、「NAVERまとめ」に今日書き足した部分から、7月(バンクシーがディズマランドをやる前)のガーディアンの映像報告についての説明を転記しようと思う。ただし「NAVERまとめ」で見てもらったほうが、写真(ロイターなどの報道写真)が多いので、わかりやすいと思う。

(「NAVERまとめ」では映像のエンベッドができないので、ここではそれをすることが目的。少しずつ形式が違うページを作ってみたい)


http://www.theguardian.com/uk-news/video/2015/jul/27/calais-migrants-jungle-camp-video

映像では13分間、「ジャングル」で人々がどう暮らしているのか、なぜ彼らはここにいるのか、といったことが語られる。

冒頭で話をしている子供はシリア人。アラビア語で、自分はなぜここにいるのかを説明する。

「シリアでは人がいっぱい、死んでいます。ぼくがここに来たのは、お母さんが連れてきたからです。脚を治療しないといけないから」と彼が見せる足首は、ひどく変形している。その理由を、少年は淡々と説明する。「外で遊んでいたら、軍隊が来て、お菓子を買ってあげるから一緒においでと言われました。無理やり連れて行かれて、車でひかれました」

シリアでこういうことがアサド政権によって行なわれているいう報告を日本語で書くと「デマをまいている」と糾弾してかかってくる人たちが日本語圏にもいるが、この子供は明らかに、標的とされた。

一般論だが、国にいてもらってはジャマな人が国から出て行くよう仕向けるときに、子供を死なせない程度に痛めつけるというのはありがちだ(殺そうと思えば殺せるときに、そうしないことは、恐怖を最大化する手口。「ひょっとしたら、この子は殺されていたのでは」、「この次は……」と親に思わせることが目的)。

取材時点で、この子供は、お母さんとは、はぐれてしまっている。

こういうふうに、自国政府からの攻撃によって自分の国を追われた人たちが、シリア人のほかにもジャングルにはいる。スーダンで迫害を受けているキリスト教徒(映像報告のなかで、礼拝堂を手作りしています)など。大工仕事をするデイヴィッド青年は、「前は牧師さんがいたんですが、行ってしまいました」と語る。「でも、神様はどこにでもいらっしゃる」と言い、明るい表情で礼拝堂の建設を進めている。

同時に、イスラム教徒の人たちもここにはいて、礼拝の場(モスク)を設営し、ラマダン(取材がおこなわれた7月はちょうどラマダンの時期)の断食をしている。

人々は、自力で、テント村の中に穴を掘り、板を渡して布でかこったトイレを設営するなどしているが、排水・下水の設備はありそうにない(あればカメラが必ず紹介するはず)。「ジャングル」のテント村は、それでも、既に「人々が定住する社会」のように機能してきており、カフェもあれば自転車屋もある。それらはすべて、ここにいる人々が自発的に始めたものだ。

英国で「ジャングル」のことが大ニュースになったのは、フランスから英国に渡るトラックなどに人々が乗り込もうとしてカオスになっている、ということでだったが、ここにいる人々の全員が英国に渡ろうとしているわけではない。記者が会って話を聞いた人の中には、フランスで難民申請(政治的庇護申請)をして、その結果が出るのを待つ間、ほかに行くところがないのでここにいるという人もいる。

「モスク」として設営された小屋の中で何人かの男性たちと一緒に取材に応じた20代と思われるアラビア語話者の男性は、4月に難民申請をしたがまだ結果が出ていないと言う。さらに、仮に申請が通ったとしても、フランスで生活していけるかどうか不安であるとも。「イギリスに渡れれば、少なくとも、言語の習得はできると思うんですよね。フランスでは、それも難しい。フランス語は難しいです」

取材は、「なぜ彼らは英国に来たがるのか」(キャメロン首相のいうように、「migrantsがswarmとなって押し寄せている」のかどうか)ということをテーマとして行なわれているので、「欧州の難民/移民問題」(日本でも「騒がれた」もの)の全体像を描くものではまったくない。

それでも、これはその一端をはっきりと見せてくれる報告である。「大量の移民たち a swarm of migrants」を「モノ」扱いするのではなく、「集団」扱いするのでもなく、ひとりひとりに接近して、ひとりひとりの《物語》を伝えようとする。

冒頭に出てきた足首が変形してしまっているシリア人の少年、カリドは、その後お母さんと再会し、英国に向かうため、キャンプから移動を開始する(映像で10分ごろから)。母子はアレッポから脱出してきた。お父さんは死んでしまった……

ここまでの取材ではアラビア語をしゃべっていたカリドは、お母さんと一緒に歩きながら、片言の英語で、記者の質問にこたえている(お母さんも少し英語ができる)。"My school and my passport and my nationality, and to make my leg... I love so much, UK."

どこで習ったんだろう。「単語を並べる」レベルの英語を口にするカリドは、嬉しそうな顔だ。ようやくテント村を脱出できることも嬉しいだろうし、これから憧れの「UK」に行けるという希望も輝かしいものだ。その「UK」という土地で使われている、僕にとっては新しい言語、「英語」!

象徴的にも現実的にも、英語という言語を獲得することは、彼にとって「もうひとつの(可能な)世界」への入り口に到達することにほかならない。(とかいうことを書くと「英語万能論者」、「英語帝国主義者」呼ばわりされる可能性があるんだけど、気にしない。)

「この子に普通の生活をしてもらいたい。教育を受けてもらいたい。普通に歩けるようになってほしい」。だから母子は英国に渡ろうとしている。動いているトラックに乗りこむなり、動いている列車に飛び乗るなりして……。

カリドとお母さんと一緒に歩いていた取材陣は、ある地点で取材を終え、母子と別れる。「母子と同行している人たちがナーヴァスになってきたから」と記者は説明する。

「フランス語は難しくて」と言っていた青年は、「ジャングル」の掘っ立て小屋の語学教室に通っている。教師は地元のボランティアの人。「道に迷ってしまいました」といった実用フレーズを教えている。感触は悪くないようだ。

2週間前の取材時には建設中だったキリスト教の礼拝堂の建設は着々と進められている。でも中心的な役割を果たしていたデイヴィッド青年の姿はない。人々は「彼は行ってしまった」のだという。

毎日毎日、新たに人が到着する「ジャングル」には、3000人ほどが暮らしている。「暮らしている」といっても、まともな「暮らし」はここにはない。「溺れる者」がすがりつく「藁」さえ、ここにはない。国連の支援すら、ここにはない。

映像の最後で、海岸に近いところのテント村で、取材陣はカレド母子に再会する。もう歩けなくなってしまったというカレドの脚は腫れ上がっている。英国では難民申請が受けられる見込みがあるが、英国にたどり着く術がない。「女王様に苦情を申し立てようかと(笑)」と、ユーモアで受け流してみせるお母さんは、「『難民を歓迎します』と言いつつ、道路はすべて封鎖。たどり着くことを不可能にしておいて『歓迎』と言われても」と言う。

映像の最後で、カレド母子がこのテント村に隣接するフェリー・センター(女性と子供のための避難所となっている)に入っているということが文字で伝えられる。

この報告がなされたあと、8月に英国は難民の受け入れ策を出しているので、シリアのアレッポから逃れてきたこの母子は英国で難民申請をすることができていると思いたい。

※この記事は

2015年12月15日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:58 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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