「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2015年12月12日

「ベルファストの日常」(グレン・パターソンの文章)

21時にアップしようと準備していた記事があったのだが、グレン・パターソンによる新しい文章を読んで、少し寝かせることにしたいと思った。

Welcome to Belfast, where bomb scares are part of daily life
Saturday 12 December 2015 11.00 GMT
http://www.theguardian.com/uk-news/2015/dec/12/belfast-bomb-scares-daily-life

「ボムスケア」が日常生活の一部である街、ベルファスト。生まれたときは「北アイルランド紛争」は始まっておらず、子供のころにその「紛争」が激化して終わりのない状態に入っていった世代の(ちょうど映画『ミキボーと僕』の主人公男子2人と同世代だろう)パターソンは、「セキュリティ・アラート」というい今風の言い方よりも「ボムスケア」というあの時代の言い方で語ることで、何かを描き、伝えようとしている。より直接的な言葉の時代。ちなみにこの文で言及されているFelixとはこのマンガのことだ。爆発物処理の専門家たちのマスコット。

パターソンの文の最初のほうで描かれているのは、「やけにセキュリティ・アラートが出まくってるなあ」と、Twitterの「NIのリスト」を見ながら思った日のことだ。ベルファストとデリーとオマーで、アラートが同時進行していた。警察の新人募集のイベントが行なわれていた。今調べてみたら10月9日のことだ。(そんなに前だったか。)その後のセクションで、「東ベルファストの水曜日」の出来事として描かれている日がいつなのか、調べられそうな気がしない。

そして、パターソンの文はそのことについての文である。「日常」という、書き残されたり語られたりしないような凡庸さについての。

The majority of these incidents have been away from the commercial centres, often in residential areas – a cul-de-sac off a slip road off the M5 motorway springs to mind – and, even in the local media, often passing without much in the way of comment outside the traffic bulletins. It is hard to know, living here, what they all add up to: the long tail of a past conflict, or the longer lead-in to a new one – or merely the promise, threat, that there is a level of terrorist activity, however low, that no amount of political change will see off, occasionally deadly and headline-grabbing, in the main as mundanely frustrating as roadworks.


この「日常」は、観光でベルファストに来る人には「非日常」になる。

I can tell you that the tanker had been left on almost the same spot, outside HMV, from which today buses belonging to City Sightseeing (the largest of the several tour bus companies in the city) depart for, among other destinations, the Titanic Quarter. Turns out only a couple of the buses didn’t make it that far on Friday.

“The alert down there was over in an hour,” Mark Kelly tells me the next day as he stands on the pavement collecting fares; an hour, presumably, being the time it took for the bomb-scarers to come back with the precise information that their warning referred to the Millfield campus (accuracy of information has never been a terrorist strong suit). Anyway, Mark says, theirs is a hop on, hop off service, so he told passengers if they wanted, they could get out and walk across into the Titanic Quarter (there were footpaths still open that skirted the alert) and pick up the bus again later. Quite a few did.

They weren’t a bit freaked out? I asked.

Nah, Mark says. “I said it was likely to be nothing more than a cardboard box, and anyway, some of them like the idea that they are part of something.


イマドキの日本語で言うなら「コンテンツ化」っていうものだろう。その中で生きている人にはそれは「日常」。しかしそこに単に立ち寄っただけの外部の人間には、それが「その土地ならでは」のものとして、「ブログやフェイスブックに書くネタ」になる。(「コンテンツ化」というと否定的なニュアンスが伴うようだが、それ自体は個人にとっては、その体験を自分のものとして消化するために必要なプロセスだと思う。そこで他者への最低限の敬意・礼儀、他者を「人間」として扱うという前提があるかどうかということは、とても重要なことだが、このような「コンテンツ化」それ自体は責められるものではなかろう。)

His friend and colleague Ed McCann tells me he was driving a wedding party on Friday the short distance from City Hall to Sixty6 cocktail bar, further down High Street: 75 of them, some from Dromore, County Down, the rest from England. He mimics himself smiling at them, jazz hands: “Welcome to Belfast: two bomb scares!”

And what was the reaction? Bemused, he says, though not at him and his ta-da greeting: at the two decade-long peace we’re supposed to have had. By strange coincidence, Adam Patterson (no relation) who took the pictures for this article, was on that bus: it was his sister’s wedding. And, yes, he says the English passengers were a bit bemused, but, he added, they loved it.


このセクションに出てくる「ベルファストに来て、ボムスケアに遭遇したイングランド人」は、20年以上前に「ロンドンに行って、ボムスケアに遭遇した日本人」である私の姿だ。

そして「ここでは、それが当たり前、それが普通」ということにある種の感銘を受けてしまう「外部の者」の姿だ。

と、神妙な面持ちで読み進めると……

They may already have heard about, and been undeterred by, the crisis in the Northern Ireland assembly. As a rule of thumb, the assembly is either in crisis or inviting congratulations from the rest of the world for having got itself out of crisis.



(・_・)


21時にアップしようとしていた話というのは、ピーター・ロビンソンの最後のクロス・ボーダーのお仕事についてだ。今年の、「IRAがまだ存在しているなんて、恐ろしい」というなんだかよくわからないことで顕在化した「ザ・ストーモントの危機2015」を乗り切って、年明けに政界引退することを表明したピーター・ロビンソンが、数年前の、一番すごかった時期に戻ったかのようにいきいきとしている、という話題。

「数年前の、一番すごかった時期」というのは、DUPの党大会で、「IRAのハンガーストライカー」のボビー・サンズの言葉を引用した時期だ。

そして、今、ピーターは……いや、その話は改めて書こう。リンクだけ置いて。それ、引用するか。。。(^^;)

グレン・パターソンは2012年のロンドン五輪前の聖火リレーのときに、こんなことを書いてた。

A fortnight ago, the plans were unveiled at a photocall on the Girdwood site to which, perversely, media access was restricted. The single photograph that was released, though, clearly shows two separate areas of housing: one at the Protestant lower Oldpark end; the other, a quarter of a mile distant, at the Catholic New Lodge. To many here, it looks like an old-style sectarian carve-up – "gerrymandering", we used to call it – only now with two parties colluding.

Actually, to be truly symbolic of Belfast 2012, the Olympic relay ought to have included a three-legged pairing of Sinn Féin and DUP ministers, by turns bickering and whispering in one another's ears. And if by chance the going got too tough, they could always hop on a bus – or give my brother Paul a call.

http://www.theguardian.com/sport/2012/jun/03/olympic-torch-route-belfast


そして2015年。ピーター・ロビンソンが「あの言葉」を使う。アイルランド共和国首相のいる場で。

かつてアイルランド共和国に対する「軍事侵攻」のパフォーマンスをして有罪判決を受けたピーター・ロビンソンが。

グレン・パターソンはそれをどう見るだろう。

※この記事は

2015年12月12日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 21:50 | TrackBack(0) | todays news from uk/northern ireland | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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