kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2015年12月03日

「テロリストを爆撃すると言っているのに、それに反対するとは、お前はテロリストのシンパだな!」という感情(英国)

「世界とはアメリカのことだ」とか「国際政治・安全保障とはアメリカが出てきて初めて話になる」とかいったお考えの方にはまるで関心の対象外だろうが、今回の英国の動きで「テロとの戦い・第2章」が大々的に宣言されたのだと思う。

英国会下院が、圧倒的多数で、シリア国内の「イスラム国」を自称する勢力(ネットスラングで「イスイス団」、本稿では「ISIS」と表記)を標的とした空爆を支持し、数時間後にはもう最初の爆撃が行われていた。

日本時間で正午ごろのBBC Newsトップページのキャプチャ(減色加工済み、クリックで原寸):
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同じく、午後2時前のキャプチャ:


今どき、「テロとの戦い」などという言葉を使う間抜けはいないが、内容的にブッシュ政権のあれと同じような主張が首相によってなされていたのが今回の英国だ。デイヴィッド・キャメロンは、「空爆などしても意味がない」と反対の論陣を張ったジェレミー・コービンをはじめとする反対論の人々について、「テロリストに共感を抱いている(テロリストのシンパである)」というレッテル貼りを行った。恥ずかしくないのだろうかと思うが、英国においては「IRAのシンパ」というコービンらの過去のレッテルのリサイクルでもあり、何とでも言い訳はできるという卑劣なレッテル貼りである。



キャメロンがこの論法をとったという事実が示しているのは、「我々を支持しない者は、テロのシンパである」というdivisiveな物言いが、英国の社会・英国の政治において有効な物言いとなっている(と首相・与党が判断した)ということである。

そのことに、正直、私は深い失望と絶望を感じている。

2000年代、アメリカ合衆国が「テロとの戦い」を始めたとき、英国では「そんなに単純明快なものじゃない」という反応が主だった。

とはいえ、当時は今と異なり、「一般人が感情で『つぶやく』言葉が、世界中のネットにつながっている端末に表示され、途方もなく多くの人々に共有される」という環境ではなかったので、実際にはアメリカのブッシュ流の「あれか、これか」の単純明快さが英国の人々の間でも実はウケていたのかもしれない。ただ、ネットという「媒体」に乗っかって英国から世界中に届けられる言葉は、そのような単純な世界観を建設的に批判するもの、拒否するもの、おちょくるものがほとんどで、イラクに行った軍人たちの中からでさえ「米軍の無定見で、やたらと撃ちまくるような態度」への批判や疑問の声が出ていた。当時、ブラックウォッチ連隊(英陸軍)を取材した「保守系」メディア(ザ・サンかテレグラフ)の記事を日本語で紹介したことがある(検索すれば、過去ログや過去やっていたブログの中に見つかるだろう)。

「テロとの戦い」を米国が叫びだしたころに書かれた文章のひとつが、テリー・ジョーンズ(モンティ・パイソン)のこの文章である。

Voices for PeaceWHAT really alarms me about President Bush's "war on terrorism" is the grammar. How do you wage war on an abstract noun? It's rather like bombing murder.

Imagine if Bush had said: "We're going to bomb murder wherever it lurks. We are going to seek out the murderers and the would-be murderers, and bomb any government that harbours murderers."

The other thing that worries me about Bush and Blair's "war on terrorism" is: how will they know when they've won it? With most wars, you can say you've won when the other side is either all dead or surrenders. But how is terrorism going to surrender?

It's hard for abstract nouns to surrender. In fact it's very hard for abstract nouns to do anything at all of their own volition - even trained philologists can't negotiate with them. It's difficult to find their hide-outs, useless to try to cut off their supplies.

The bitter semantic truth is that you can't win against these sort of words - unless, I suppose, you get them thrown out of the Oxford English Dictionary. That would show 'em. Admittedly, the Second World War was fought against fascism.

But that particular abstract noun was cunningly hiding behind the very real Nazi government. We simply had to defeat Germany to win. In President Bush's war, there is no such solution. Saying "We will destroy terrorism" is about as meaningful as saying: "We shall annihilate mockery."

...

Why grammar is the first casualty of war
By Terry Jones, Monty Python member, writer and performer
12:01AM GMT 01 Dec 2001
http://www.telegraph.co.uk/news/uknews/1364012/Why-grammar-is-the-first-casualty-of-war.html


14年経過し、当時このように「批判された」恐ろしいほど単純で言語をバカにしているとしか思えないような二元論は、過去のものになるどころか、ますます有効な言論となってきた。きっと、ひとりひとりの生きている現場ではそうではないことが多いだろう。しかし人々が集まり、「政治」の出番となると、意思決定のためにそのような単純な二元論が有効な装置として頼られる。ひとりひとりの心の中に「そんなに単純なものではない」という認識が築かれているときに、単純な二元論はますます過激にふるまう。「テロリストの爆撃に反対するだって? じゃあおまえはテロリストの支持者だ!」










下院での討論(10時間が予定されていた)と採決を前に、#terroristsympathiser というハッシュタグがUKでトレンドしていた。ほんの少し、RTした。


















新聞一面より。







やはり2度見ても3度見ても、DTとガーディアン、逆じゃないのかと思う。「保守」系のメディアの「反戦」が目立つと私ははてブに印象を書いたが、そのことを以て「保守党支持であれも労働党支持であれ、誰もが戦争に反対している」と読み解くのは、誤誘導的(ミスリーディング)だ。




詳しく分析したわけじゃないから断言はできないが、この事例は、新聞がいかに「読者の感情」を左右しようとするか、ということでしかないと思う(これらの新聞が紹介しているいろいろな人々の意見は、それぞれ有益なものが多いにせよ)。

そして今回のような「採決直前」の場合、そのときそのときの「感情」がいかに左右されたところで、議場には直結しない。直結しているのは、新聞の売り上げだ。「そう書いたほうが売れる」のだ。

この件については、1本のエントリにまとめようと思っていたが、どうも私の力量ではそれは無理っぽいので、分割することにする。

ともあれ、今の日本語圏の「コービン推し」のムード、真に受けるといろいろと読みそこないますよ。

(ちなみに私はジェレミー・コービンは深くレスペクトしています。無条件に支持はしないけど。)

※この記事は

2015年12月03日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 15:00 | TrackBack(1) | todays news from uk | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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ジェレミー・コービンに対し、ものすごくえげつない攻撃を行なっているのは、「保守党」ではないですよ。
Excerpt: 表題の件、もちろん保守党もえげつない攻撃をすることもあります。自分たちのやろうとしていることにとって、ジェレミー・コービンやその賛同者が現実的にジャマくさくなったときなど(「英国政府による爆撃に反対す..
Weblog: tnfuk [today's news from uk+]
Tracked: 2015-12-18 01:00





【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼