「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2015年11月29日

「アート」の力。プロパガンダの画像に、言葉を添えることで別の文脈を与えるという形での。

1つ前のエントリで音楽について書いた。本エントリでは視覚芸術(ヴィジュアル・アート)について、もう少し書く(視覚芸術については、既にピース・シンボルのことや、レバノンとパリのことを書いている)。

本稿は下記の画像についてのちょっとしたメモだ。

propaganda2-c.jpg


「アート art」とは、(神の手ではなく)人の手の技術によるもののことを言う。神の手が作る「自然」は「アート」ではないが、人の手が描いた「風景画」は「アート」だ。自然の雨音は「癒されるサウンド」ではあるかもしれないが「アート」ではなく、雨音にインスピレーションを得て作曲されたピアノ曲は「アート」であり、人間が口で雨音を真似て音を出すのも「アート」である。それら「アート」は、既に見てきたように、人々の心に働きかける。

そういう「アート」は、「イスラム国」を自称する勢力(ネットスラングで「イスイス団」、本稿では「ISIS」と表記)をめぐる情報空間にもあふれかえっている。ISIS自身が製作しているものもあるし、ISISを批判する立場から製作されたものもある。ISIS自身が製作したものの見た目の「かっこよさ」は、日本語のネットスラングで言えばかなり「厨二」っぽいと私は思うのだが、確実に、ある種の人々にアピールする。「あんなおどろおどろしいもの、気持ち悪い」と思う人もいるに違いないが、どうしても見てしまう、どうしても目が離せなくなってしまう人もいる。

そんなふうにばら撒かれている「アート」のひとつが、下記である。



これはパリ攻撃(同時多発テロ)から24時間もしないうちにSITEのリタさんが「ISISがパリ攻撃を祝福する発言でTwitterをあふれかえらせている」と報告していたツイートに添えられているキャプチャ画像のひとつだ。

これはISISの「世界に対する宣戦布告」的な一連の画像(コンピューター・グラフィックス)のひとつで、「われわれがパリをこのように破壊してやる」という意味である。

おそろしい「脅し」だ。

しかし、これに短い言葉を添えることによって、全然逆の文脈を与えている「アート」の例がある。

私はそれを、Twitterで「One Directionのファン」のような「普通のティーンエイジャー」たちがシェアしているのを見て知った。下記に一例を埋め込むが、これは1Dのハリー・スタイルズの顔写真をアバターにしている(ハリーのファンの)アカウントのツイートだ。




ISISが世界の各都市を脅すつもりで作った「終末」の画像に、"If it's not happening in your country, that doesn't mean it's not happening. Think about Syria" という言葉が乗せられている。つまり、「あなたの国でこういうことが起きていないからといって、こういうことが(どこでも)起きていないとは言えないのです。シリアのことを考えましょう」。

この言葉を乗せただけで、元の「ISISのプロパガンダの画像」は、「シリア内戦についての啓発の画像」に変わる。

改変後の画像の片隅にある署名から、アーティスト名がわかる。DAALIという「反戦」アーティストの作品だ。このシリーズのほかの作品も(単にISISのプロパガンダに文字を載せただけでないものも含め)、FBやサイトにアップされている。
https://www.facebook.com/DAALI-829202993843229/
http://daali.co

I’m a anonymous anti-war artist. I live somewhere on this planet, I don’t belong to a certain nationality because I don’t believe in geographical borders.

I got the idea of this project when I saw how ignorant people are towards the wars happening around the world, and how they just watched and never reacted like if this doesn’t even concern them, just like they are just watching a movie or scenes being acted on television. All this is only because it is not happening in their countries, because the dead people are not their families, because the destroyed houses are not theirs, because the women raped are not their wives, simply because they are just not living there. It was necessary that I bring war into their lives through creating accurately and realistically high images using photo-montage. It was to help people see their own cities in a state of war and destruction, to help them imagine how bad it is and to make him feel it, hoping that these photos would help those people interact with what is going on of violations against humanity. ...

http://daali.co/daali/


「なぜパリでだけ騒ぐのかー」と、わざわざ「騒ぐ」というネガティヴな用語を使ってきぃきぃわめいているのはまったく生産的ではないということを発言したら、何かいくらか反発を買ったみたいなんだけど、反発する前に、その「疑問」を出発点にしてどのようなことが可能であるかを、このDAALIさんの作品などから見て、知って、感じればいいのにと思う。つか、それを可能にするのがインターネットであり、「なぜパリだけ」云々の幼稚な見解を垂れ流すことにしか使わないのは、ネットの使い方を間違えているのではないかと思う。

さて、このDAALIさんの作品は、「こういうことがここで起きていないからといって、世界のどこでも起きていないとは言えないのです」ということを怖いほど直接的に訴えてきた、2014年春のSave the Childrenの「シリアのことを考えましょう」というキャンペーン(下記)と同じ系列だと思う。(「戦争なんて、70年前に過去の話になったと思っていました」的な《平和ボケ》の日本人は、この映像を見て、それからヴェトナム戦争についての映画を1本見るといいんじゃないかと思う。『地獄の黙示録』でも『プラトーン』でも『フルメタル・ジャケット』でもいい。あるいは、ヴェトナムじゃないけど『ブラック・ホーク・ダウン』でもいい。)





「アート」の有するこういった力について、もう少し考えてみたいと思うが、私の頭の中には材料が充分にはないので、ドキュメンタリー映画『マンガで世界を変えようとした男 ラルフ・ステッドマン』を見てからにしようと思う。



ラルフ・ステッドマンは、Withnail and Iの公開時のポスターなども手がけている。今はブルーレイのパッケージになっている。

Withnail and I [Blu-ray]


※この記事は

2015年11月29日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:59 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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