「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2015年11月25日

「ベルファスト・ボーイ」として社会をまとめたジョージ・ベスト、没後10年

もう10年か……と、過去ログをあさる。

2005年10月27日には一時生命維持装置につながれ、「死期が近い」と本人も考えているという報道について書いている。11月20日には再度生命維持装置につながれたことについて。そして「24日に主治医が『もうあと24時間もたない』と発表していたジョージ・ベストは、たぶんそれから24時間くらいして、他界した」

ジョージ・ベストは、一般的には「マンチェスター・ユナイテッドの往年の名選手のひとり」かもしれないが、北アイルランド、ベルファストにとっては「郷土の偉人(スーパーヒーロー)」である。本人も「俺のようになっちゃだめだ」と語り残していったが、酒に飲まれて身を滅ぼしたたわけ者とはいえ、ベルファストで生まれ育って学校に通い、少年サッカーをして、イングランドのクラブにスカウトされ、やがては大成し、北アイルランド代表チームでもプレイした「この街出身のスーパースター」である。

彼が生まれ育ったのは東ベルファストの労働者階級の住宅街。両親は、イアン・ペイズリーの創設したフリー・プレスビテリアン教会の信徒で、お父さんのディッキー・ベストはオレンジ・オーダーのメンバー。少年時代にジョージ・ベストもオレンジ・オーダーのパレードに参加していた。「オレンジ」の伝統は彼の一部だった(が、のちの放埓なライフスタイルから判断するに、信仰はそれほどでもなかったのかもしれない)。

けれど、彼は「プロテスタントだけ」のヒーローではなかった。ジョージ・ベストが他界してすぐ、2005年11月27日のオブザーヴァー(ガーディアンの日曜)に、アーマー出身でベストより少し年下のショーン・オヘイガン(オハガン)が次のように書いている。

His first autobiography, Best of Both Worlds, appeared in the immediate wake of Manchester United's European Cup Final win against the mighty Benfica. At Drumarg United, we passed a single copy around, marvelling not at the words, which were ghost-written and oddly unexciting, but at the photographs: George having his hair trimmed by a dolly bird (the caption: 'Long back and sides!'); George mobbed by girls at the opening of his first boutique; George modelling shirts with a sexy fashion model; George attending a party in a suede jacket and a Batman mask (caption: 'The suede crusader!'); George hanging out with Ray Davies of the Kinks.

The back cover blurb said it all: 'A white Jaguar, a boutique, and his own extrovert style of dress make him a walking success symbol - a symbol of dynamic, talented and adventurous youth... the talk of world football and Britain's most eligible bachelor.'

And yet, for all his difference, he was somehow one of us: Northern Irish, working class, troubled. 'Our George'. Bestie. The Belfast boy. Inimitably, definably Northern Irish, from his youthful shyness - he ran home to his mum, inconsolably homesick, during his first trial with Manchester United - to his chancer's cheek - that ball poked right out of Gordon Banks's hands and into the back of the net. (Disallowed, though more for the sheer audacity of the act than for any transgression of the rules.)

Even though he advertised Cookstown pork sausages - 'the Best family sausages' - I realise now that he was from our world, but not of it. He gave us an all too rare chance to celebrate ourselves, our sense of place and, at his flamboyant best, posited some notion of the transcendent. Indeed, so swift and self-determining was his trajectory that he transcended even the taut tribal loyalties of his birthplace. It mattered not that he was Protestant, or from a loyalist neighbourhood, only that he was Northern Irish. This is a freedom accorded only the very few, though, in truth, he bestowed it on himself by virtue of his singularity.

http://www.theguardian.com/football/2005/nov/27/sport.features


(かつての過激な「アルスター・ナショナリズム」とは別の文脈で)「自分は "Northern Irish" である」という意識が語られだしたのは、2000年代以降のことだと言われている。マスメディアや行政などの言葉としてはそうかもしれないが、実際には、「アルスター・イズ・ブリティッシュ」「ア・ネイション・ワンス・アゲイン」の対立の時代にも、「北アイルランドの人」、つまり「私たちの郷土の人」として見られていた「ヒーロー」が何人かいる。ジョージ・ベストはその筆頭だった。「区分にこだわるなよ、俺たちみんな、ノーザン・アイリッシュだ」というときのシンボル。

ただしそれは「プロテスタント」が「カトリック」に対して言うことのほうが、「カトリック」から「プロテスタント」に言うことよりも、多かった(多い)だろう。「北アイルランド」は、「アイルランド」とは別、というのが、ユニオニスト/ロイヤリストの前提だ(だからこそ彼らは「南」との分断を望んだ)。

その微妙さはあれど、ジョージ・ベストがcross-communityな存在だったこと、社会全体が共有する「アイドル」、「スター」だったことは事実で、それがはっきりと示されたのが12月3日にストーモントの自治議会議事堂で営まれた葬儀のときだった。葬儀のことは当時の報道に基づいて当時のブログに書いてもいるが、ベストの死後数年してから出版された、ウィリアム・モリスやジョージ・オーウェルに関する著作で知られる英文学者の川端康雄さんの『ジョージ・ベストがいた』(2010年、平凡社)から引用する。

……(葬儀の進行をつとめたエイモン・)ホームズは、つぎのように語った。
ご遺族が悲しみ、サッカー界が悲しみ、また国全体も悲しんでいます。

……いかに天才であるとはいえ、自分には欠点もあるのだということが、ジョージには常々わかっていました。そうした不完全さがあるからこそ、私たちには彼のことがよりいっそう愛おしく思えたのかもしれません。

政治と宗教の問題を乗り越えることがなかなかできない国にあって、ジョージ・ベストは、私たちをひとつにまとめあげるために大いに力になってくれました。分かたれているよりも、一体になるほうが、大切なのだということを、私たちに気づかせてくれたのです。……

……

(ロンドンのクロムウェル病院でベストの治療にあたった)ドクター・アリサはこう述べた。「彼が生きていたとき、彼はベルファストをひとつにまとめあげたのです。宗教上の障壁はなにもありませんでした。すべての人が彼に声援を送ったのです。そして今日、ベルファストの街路を通るときに、彼はそれをふたたびなしとげたように思えるのです」。妹のバーバラも「ジョージは人びとをまとめあげました。世界中の人びとをひとつに……北アイルランドの人びとをひとつにしました」と述べた。

――川端康夫『ジョージ・ベストがいた』平凡社、2010年、pp. 15-16
4582855245


ここで語られている「ひとつにまとめあげる力」は、よく、「フットボール(サッカー)の力」として言及される。つまり、普段はどのチームをサポートしているかで対立し合っている間柄でも、何か大きなことがあれば「サッカー界全体にとっての出来事」としてともに並び、感情を共有し合える、ということ。直近でそれが示されたのが、先日のウェンブリーでのイングランド対フランスの親善試合だった。








2005年になったころ、北アイルランドの政治は(例によって)膠着状態だった。2002年に「ストーモントにIRAのスパイがいる」という疑惑が生じて自治議会が停止され(のちにその事実はなかったことがわかったが、これがまた、sinisterな話でしたね……)、2003年の自治議会選挙で「グッドフライデー合意 (GFA) に反対、シン・フェインとのパワーシェアリングなど言語道断」とするDUPが、GFAを推進したUUPをしのいで第一党となり、イアン・ペイズリーの「NO!」の声が「和平プロセス」の上に轟いていた。ユニオニストはIRAがもう二度と息を吹き返さない状態にあることを証明しろと迫っていたが、2004年12月にノーザン・バンクの現金強奪事件があり(IRAは関係ないとIRAは言っているが、誰も信じてない)、「和平プロセス」をひっくり返して「紛争」の状態に戻ろうとする勢力もうごめいていた。

北アイルランドでは、葬儀が象徴となり、社会的に大きなうねりを作っていくことがたびたびある。1981年のロングケッシュのハンガーストライキのリーダー、ボビー・サンズの葬儀には10万人が集まった。「テロリストとは交渉しない」という英国政府の姿勢を前に、このハンストでは10人が相次いで餓死したが、結局のところはハンガー・ストライカーの要求は実現することになった。

グッドフライデー合意後の1998年7月12日、ドラムクリー紛争のさなか、プロテスタントの住宅街に暮らすカトリックの母子の家にUVFが火炎瓶を投げ込んだ。逃げ遅れた7歳、9歳、11歳の兄弟が焼き殺された。母親はカトリックだったが、ボーイフレンドはプロテスタントで、殺された3人の子をわが子のようにかわいがっていた。3兄弟の葬儀には、カトリックもプロテスタントもなく、数千人の人々が参列した。メディアもこの葬儀を大きく取り上げ、無差別的で無意味な暴力への拒絶の気持ちは人々の間で高まった。とほうもない悲劇が、宗派(教派)の別なく、人々をひとつにした。
http://news.bbc.co.uk/onthisday/hi/dates/stories/july/12/newsid_2500000/2500503.stm

2006年5月、バリミナで「カトリック」のマイケル・マッカルヴィーン少年が、ロイヤリストのモブに襲撃されて撲殺された。彼の葬儀では、「分断」の双方を象徴する2色のサッカーのユニフォーム(セルティックの緑、レンジャーズの青)にそれぞれ身を包んだ同年代の少年たちが棺を担った。この葬儀のときに、Slugger O'Toole(←サイト名)で、人々の間での衝撃の広がり方を見た。当時はネット上で定着し出したソーシャル・ネットで、過激さを競い合うかのように、中学生くらいの子供たちが過激派のグループに加わっては古臭いスローガンを鸚鵡返しにしていた。
http://nofrills.seesaa.net/article/22305830.html

マイケル・マッカルヴィーンの葬儀のときのBBC Newsのキャプチャ。取っておいてよかった。



ジョージ・ベストの死の4ヶ月前、2005年7月29日にはProvisional IRAが武装活動を終結するとの宣言が出されていた。その2ヵ月後の9月26日には、PIRAの武器のデコミッション(廃棄)が確認されていた。そのように着実に動いているものを妨害したり、無化しようとしたりする勢力はあった(Real IRAなど……なぜか日本語圏の一部では「活動停止した」ことになってるらしいんですが、一時的・短期的な休止はあったかもしれないけど、RIRAの活動停止の事実はないです。今は改組して名称も変わってますが)。「紛争」時の分断と対立を再燃させようという動きもあった。

ジョージ・ベストの葬儀は、そういった企てを、完全にシャットアウトするものだった。

上掲の川端先生の本で参照されている2005年12月4日付けのショーン・オヘイガン(オハガン)の記事。
Tears and rain mingle as Belfast's beloved son makes his final journey
http://www.theguardian.com/uk/2005/dec/04/football.theobserver
Later still on Friday, in the opulent Victorian decor of Belfast's most famous bar, the Crown, the locals are almost outnumbered by outsiders, Southerners mainly, lads from Dundalk, Cork, Kildare, Mayo, and beyond. Frank 'Dusty' Flanagan from Drogheda actually saw Best play, albeit in decline, when the legend turned out for Cork Celtic against Drogheda United back in the mid-Seventies. 'Just a few touches, really', he says, smiling now at the memory, 'That's all that was left of the genius, but the place was packed to the rafters. He was a pop star, really, he had the charisma'. Dusty's mate, Michael Murphy, from Dundalk, finally asks the question that has been nagging at them all day, 'Will we be safe enough up in east Belfast?' Someone else says: 'Maybe we should change our accents, eh?'.

I'm thinking the same thing as I head off to meet Winston 'Winky' Churchill Rea, the treasurer and self-appointed 'head honcho' of the 'First Shankill Northern Ireland Supporters Club'. This is one of the social hubs of the Protestant heartlands, where martial murals to the fallen heroes of the UVF adorn every gable wall. There is a steel door and security intercom at the entrance to the bar. Old familiars from another time. The clientele are working class loyalist, true and true, old faces and young faces looking equally hard-bitten. Winky makes us welcome, shows us the hundreds of red roses he has ordered for the local children to throw on the funeral route on the big day. 'Around the death of George Best, what has gripped me most is the sense of unity', says Winky over a pint of Guinness in a corner of the bar, beneath a framed photo of George and the great Northern Irish goalkeeper, Pat Jennings, 'It's over 10 years since the ceasefire and the progress has been painfully slow, but, since last Friday when the news broke, it's like the two communities have united in his memory. Who else could do that? You have to cling to moments like this, you have to build on them.'

On the nearby Falls Road, where the flags are green, the murals mainly provo, the sentiment was the same. Three Manchester United obsessives from Cork compare tattoos with two locals, all a bit the worse for wear from drink. 'It's a wake, isn't it', says one, 'a wake for Georgie. We'll show the world tomorrow what Ireland can do when it honours one of its own.' One of the Belfast lads claims it will be 'the biggest funeral since Bobby Sands'. How do they feel about going up to Stormont to pay their respects. 'It's our place too, now,' says one. 'It's Georgie's place now,' says another.


"It's our place too, now." ストーモントの議事堂を、コークの人がそう呼んだのだ。

2012年、エリザベス女王が「外国の国家元首」としてアイルランドを訪問した。コークはかつて、英国によって焼き払われた「抵抗の街」だ。そのコークは、英国の女王を歓迎した。

リパブリカンの間には、今も、「サッカー」への嫌悪感とまでは行かずとも距離感のようなものはあるようだ。「あれは俺たちのスポーツではない」という感覚。それは「俺たちのスポーツは、GAAのゲーリック・フットボールだ」という高度に政治化されたスポーツのありようと表裏一体である。愉快なツイートで私たちを混乱のドツボに叩き込んでいるジェリー・アダムズは、Twitterを使い始めてからずっと、ゲーリック・フットボールやハーリングについては発言するが、サッカーはほとんど無視している。単にスポーツとしてあまり楽しめないらしい(GAAの方がおもしろいらしい)。しかしこの10月に北アイルランド代表がEURO 2016の出場権を獲得し、アイルランド共和国代表がドイツに勝ったときには、次のようなツイートをしている。






10年目のジョージ・ベストに関するツイートから。(2005年にはTwitterはまだ存在すらしていなかった。)





















See also:
Belfast Boy: 北アイルランドにあるジョージ・ベストの壁画(ミュラル)
http://matome.naver.jp/odai/2133767841428499001

via http://nofrills.seesaa.net/article/271086602.html

Banksy:


ジョージ・ベストがいた マンチェスター・ユナイテッドの伝説 (平凡社新書)ジョージ・ベストがいた マンチェスター・ユナイテッドの伝説 (平凡社新書)
川端 康雄

マンU フットボールのない週末なんて ヘンリー・ウィンターが案内するイングランドの日常 夢想するサッカー狂の書斎 ぼくの採点表から 背番号10−−サッカーに魔法をかけた名選手たち 赤と青 ふたつのマンチェスター ---ユナイテッドとシティ プレミアリーグ宿命のライバル伝説

by G-Tools

Maradona Good, Pele Better, George Best Tシャツ (Green)
Maradona Good, Pele Better, George Best Tシャツ (Green)

ジョージが亡くなったときはご健在だったお父さんのディッキー・ベストさんは、2008年に亡くなった。
http://www.belfasttelegraph.co.uk/news/george-bests-father-dickie-dies-in-hospital-28386803.html

最後までディッキーさんが住んでいた東ベルファストの住宅は、その後、往時を再現するように改めて整えられ、宿泊できるようになっている。
http://www.georgebesthouse.com
https://www.airbnb.co.uk/rooms/3699345

※この記事は

2015年11月25日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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