「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2015年11月24日

繰り返します。「アノニマスがテロ計画を入手」という説は、「デマ」です。

下記、画像がうまくキャプチャされていないけど、現在のBBC Newsのトップページ。



米国が、米国人に対し、全世界を対象として注意を呼びかける渡航情報を出した、というのがトップニュース。

このニュースは今日(24日。日本時間)のもの。

で、このニュースが来る前(23日まで)に、ネットを多少騒がせていたのが、「アノニマスがテロ計画情報を入手した」というデマ(「デマ」です)。それは「米国が米国人に対し渡航情報を出した」のとは全然別の話。

それについて、既に書いてたんだけど、改めて今朝も書いたので再掲しておきます。
















現在、「アノニマス」は名乗れば誰でも「アノニマス」になれます。会員登録しなければならないわけでもないし、何らかのスキルチェックがあるわけでもない。ネットで何らかのアカウントが作れて、投稿ができて、アバターを設置できる程度のスキルがある人が、映画『V・フォー・ヴェンデッタ』のグッズのお面の画像や、「アノニマス」の記号となっているモノクロのスーツの人物の顔なしの画像を使い、"We are legion" とか "Expect us" とか言ってれば「アノニマス」っぽく見える。

けど、「アノニマス」という「集団」には、実態らしい実態はありません。ただの「個人」です。「組織」などでは全然ない。

「アノニマス」の匿名性は、何も担保しません(始まったときは、今とはちょっと違う感じで「匿名」を貫いていたのだけれど)。誰かが「アノニマス」を名乗っていれば、他の人はそれに嫌疑をさしはさむことは、原理上できない。賛同してそうなのれば誰もが「アノニマス」なのだから。

「アノニマス」に関する(往々にしていいかげんな)ニュースを読んだり見たりするとき、それを踏まえておけるかどうかは、どれだけ煽られずにいるか、どれだけ踊らされずにいられるかという点で、重要だと思います。

あと、「NAVERまとめ」のようなクリック数最優先の場で、編集部がピックアップしているもの(トップページや、各ページ下部に示されているもの)は、残念なことですが、マユツバで見ておくべきです。クリック数が稼げるものが大きく取り上げられます。中身は重視されてません(編集部がプッシュするものには、トンデモがいろいろありますね。「アイルランド人奴隷」とか「フクシマの奇形植物」とか)。


※この記事は

2015年11月24日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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