「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2015年11月24日

Tweetボタンから直接、Twitterでの言及が確認できなくなっても、Topsyがあるじゃない……と思ったが(私は「脅されている」のであり「邪魔にされてる」のではないです)

21日、ブログなどに表示されている「ツイート・ボタン」の仕様が変更され、「ツイートする」の横にあった「件数表示」が消えた。

tweetbuttonm.png


tweetbuttonn.png


件数は別に気にしていなくても、この件数をクリックするとTwitterでの言及が一覧できるので便利だったのだが、件数表示が消えたあとはその便利なリンクもなくなった。

いちいちTwitterでURLを検索すれば言及は確認できるのだが、それをするのもめんどくさいので、自分は見なくなるだろうなと思っていた。しかし、たまたまのタイミングだが、この「ツイート・ボタン」の仕様変更の時期に、なるべく言及を確認したほうがいいと思われる性質の記事(「NAVERまとめ」を使ったものを含む)を書いたので、実際には、Twitterで検索してはいる。

で、このように「言及を確認する」場合、Twitter検索以外にTopsy.comを使うという方法があるので、先ほどそれを試してみたのだが、どうにも変だ。ページ上部ではTwitterで100件以上の言及があると表示されているのに、本文のエリアでは "No results found." と言われる。

というわけで、Topsyにログインしてみたら何か変わるのかな、と思ってチェックしてみたのである。そしたら……




「野蛮 barbarity」という言説がいかに「問題含み」であるかは、20世紀後半から現在までの時間をそれなりに「反植民地主義」の視座から過ごしてきた人文科学系・社会科学系の人はよく知っていると思う。政治的には便利な言葉であるらしく、首脳の談話や演説でよく見かけるが、他者を「野蛮」と位置づけ、自身は「法の支配 rule of law」の担い手であると自負するその人物が政治指導者として率いる国が、法の支配の埒外で殺害 (extrajudicial killing) を行なっていたり、「誤爆」と称して医療施設を爆撃したりしているわけで、そんな環境の中で「野蛮」という便利な言説にくみすることはなかなか難しいものがある。

「野蛮」、「蛮行」ではなく「非道な行ない」「不法・違法な行ない」といった認識をすべきであるというのが自分の考えだし、ICC(国際刑事裁判所)はその理念で設立された尊いシステムであると思っている(機能してるかどうかは別)。ただし、誰か他者の発言を引用・参照しているときは、元の発言に「野蛮」の概念が採用されていれば、そのまま参照する。同一性保持の原則に照らして、当たり前のことである(が、どうやら日本では「元の発言が問題発言である場合は、引用者・翻訳者が適当に勘案すべき」という考え方が、やはり根強いようだ。翻訳に関わる者としては「それはしてはならない」ということを第一にしているはずだが)。

ここらへん、微妙な問題だが、私が「野蛮」言説にくみしているかのように書かれることは、私に取っては不利益である。

また:




何度もいいますが、証拠を示してブログにしている通り、私は「脅されている」んです。しかも、翻訳という作業、元のテクストをそのまま意味をたがえずに日本語にするという作業をしたら、脅されたんです。これは、先方に不利益と見なされる翻訳を封じようとする不当な圧力です。

それを「邪魔にされている」などと、たかがヲチャ(外野からおもしろがって見ているだけ)の分際で、デマを撒くんじゃないよ。

以上、どうでもいいことなんだけど(言いたい奴は言ってればいいです)、「Topsyの表示がおかしいからログインしてみるか」とログインしたらこんなのを見せられたわけで、見た以上は黙っているわけにはいかない。

本来は、下記の「表示がおかしいこと」を確認したかっただけなのに。。。







というわけで、Topsyを使うのもやはりいろいろめんどくさいだけなので、見ないことにします。

Twitterでの言及を確認したければ、見たいものだけ、一手間余分にかけてチェックすればいいだけだしね。

なお、Twitterのボタンを、「件数」の代わりに「リスト」など適当な文字列を入れて、1クリックで言及を確認できるようにしている方もいらっしゃいます。
http://nelog.jp/twitter-vertical-balloon-bottun

※この記事は

2015年11月24日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 11:30 | TrackBack(0) | 雑多に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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