kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2015年11月20日

テロリズムと暴力の中で少年時代を送ったベルファストのバンドが、パリでのライヴをキャンセルしなかった理由。「普通」にしていることの価値。

……というわけで、U2が、「パリの混乱から、ベルファストの平和へと」やってきて、18日と19日に、かつて「紛争地」だったこの地でがっつりメッセージぶちかまして、心の白旗をぶん回していったことを1つ前のエントリに書いた。アリーナに来ていた人たちの多くがにやにやさせられただろう。決してパリをバカにするのではなく、ついにこのベルファストが「平和」の地になったか、という笑いを誘う一言だ。

1970年代、80年代と、西欧でも各都市で「テロ」は起きていた。ETAのような民族主義の組織も、極左組織も極右組織も活発だった。しかし、「普通の」都市であることを、「テロ、暴力、紛争」によって阻まれた都市は、西欧では(←重要。ここを無視して読んで、文句つけてきたりしないでください)北アイルランドの都市だけだっただろう。「紛争のとき、ベルファストにはバンドが来なかった」(SLFのジェイク・バーンズ)のだ。その時代を記録した貴重な資料としては、ドキュメンタリー映画、Shellshock Rockがある。

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この辺のことをあんまり詳しく書いてるとまた終わらなくなるので先を急ごう。

1977年10月、The Clashのベルファスト(アルスター・ホール)でのライヴが中止になったときのことが、2014年に社会学の研究テーマとしてシンポジウムで取り上げられた際のBBC記事に、次のような一節がある。
http://www.bbc.com/news/uk-northern-ireland-27864602
Street violence and bombings as the Troubles raged in Northern Ireland meant bands mostly shunned Belfast.

While punk was often cited by bands as a reaction to overwhelming boredom, in Belfast young people were starved of anything approaching normality.


ベルファストは、バンドがライヴをしに来てくれるような「普通の街」ではなかった。Stiff Little Fingers (SLF) は、そのことが人々にもたらす影響を、まさに自分の物語として知っている。彼らはその「異常性」の中を生きてきた。

週末から週明けにかけて、U2やFoo FightersやMotorhead(ウムラウト省略)といったバンドがパリでの公演を中止し、ジャイルズ・ピーターソンのクラブでのレジデンシーも取りやめとなったが、SLFは予定通りに火曜日のパリでのライヴを行なった。

もちろん、タイミング的に、事件を受けた当局の対応の度合い(規制の程度)も違っていたし、会場の規模も違えば動員する人数も違うので、SLFが火曜日の日程をキャンセルしなかったことを、週末の予定を変更したU2やFoo Fightersなどを非難する材料にすることはできないし、そうすべきではない。

SLFの声明(バンドのサイトより):


「パリでの悲劇に影響を受けたすべての方に、心からのお見舞い・お悔やみを申し上げます」で始まるこのメッセージで、ジェイク・バーンズは「SLFは、明日の晩、パリでライヴをする予定になっています。ほかのバンドのライヴが中止されたり延期されたりしているので、SLFの予定もどうなるんだという点で混乱が見られますが」と述べた上で、「私たちはベルファストで少年期を過ごしたわけですが、そのとき、政治的な状況が原因でバンドがベルファストでライヴをしに来てくれないという事実に、常に悲しい思いをさせられていました。普通の生活が自分には送れないというのが、こういう形でも現れていたわけです」と語り、「パリでの日程は予定通りです」と告知している(現地のコーディネーターも協力的である、ということもちゃんと書いてる)。

SLFにしてみれば、何よりも、「ベルファスト出身の俺らがキャンセルするわけにはいかないでしょう」という気持ちだったに違いない。それは「哀れみ、同情」ではなく、「自尊心、誇り」の問題だったんじゃないかなと思う。ただし「テロに屈さない」とかそういう肩肘は張らない。「だって、俺ら、ベルファストのバンドだよ」っていう意識。






ベルファスト・テレグラフなどが「SLFのパリでのライヴは予定通り」という記事を出していたというが、私はそれには気づかずにいて、このニュースを知ったのは、いつものフィードでアイルランドのアイリッシュ・エグザミナー(コーク)の下記のツイートを見たときだった。ライヴ後の記事で、観客の写真も入っている。客層は……かつてキッズだった人たち。来日公演のときよりさらに年齢層が高そう。1970年代末をリアルタイムで知ってるんではないか。




Addressing the crowd at Back Of The Mill next to the Moulin Rouge, frontman Jake Burns said: “Thank you so much for coming out. It’s an absolute pleasure to be in Paris this evening.

“We’re just going to play a normal show, it seems like the thing to do – I hope you agree.”

He added: “Obviously everybody in the world knows what happened in Paris on Friday night.

“And everyone in the world has their hearts with you.”

...

Tonight’s gig saw the band walk onstage with black tape around their left arms, while guitarist Ian McCallum wore a shirt emblazoned with the city’s name.

They launched into opener Nobody’s Hero, prompting a moshpit comprising veteran gig-goers.

http://www.irishexaminer.com/examviral/celeb-life/punk-band-stiff-little-fingers-defy-safety-fears-for-paris-gig-365599.html


ライヴ会場はムーラン・ルージュの隣のライヴハウスで、ステージからジェイクは「今日は来てくれてどうもありがとう。今晩、パリでできることは本当に嬉しいことです。いつも通りのライヴです。そうすべきだと思えるので……それでいいですよね」と語り、「世界の誰もが、金曜日の夜にパリで起きたことを知っていると思います。世界の誰もが、みなさんのことを思っています」と述べた。バンドは、Nobody's Heroで始まり、いつものあの曲で終わるセットを演奏した。アンコールの2曲も「いつも通り」だ。

SLFはこのとき、アイルランドからスコットランドを回って大陸へというツアーの最中で、事件のあった13日(金)はダブリン、14日(土)はベルファスト、15日(日)はエディンバラでライヴをしていた。16日(月)は移動日で、17日(火)がパリ。続いて欧州各都市を回る日程だ。ちなみに、襲撃されたときバタクランで演奏していたThe Eagles of Death Metalは欧州ツアー中で、事件前日(12日)にダブリンで演って、13日のパリから欧州大陸での日程が予定されていたようだ。





パリからジェイクがインタビューに答えたBBCの記事:
Paris attacks: Stiff Little Fingers to go ahead with gig
By Laura McDaid, BBC News NI, 17 November 2015
http://www.bbc.com/news/uk-northern-ireland-34843608

Band leader Jake Burns said their experience of musicians avoiding Belfast because of the Troubles made them more determined to take to the stage in Paris.

He said: "Having grown up in Northern Ireland in the 70s, I remember bands not coming to play because of the conflict.

"As a youngster, it was frustrating to be deprived of such a normal part of life.
"For us as a band, our performances were sometimes delayed because of disturbances and road blocks, nothing serious. But we do have an appreciation of just how difficult these situations can be.

"Obviously, in Northern Ireland, conflict became very much the normal state of affairs. Here, it isn't.

"It's a huge shock to the system for people here. Unfortunately, we can't do a lot to help, we're just here to do our job."


「1970年代に北アイルランドで育った立場として、紛争(この人、the Troublesと言わず、the conflictと言ってる)が原因でバンドが来ないということを経験していて、そういう普通の生活が、ベルファストではあらかじめできないということになっていたのが不満でした。バンド活動をしていて、トラブル(※disturbances: ボムスケアや所持品検査などで予定通りに進まない状態)があったり道路封鎖があったりしてライヴが遅れたりしたことはありました。何も深刻なことはなかったんですけどね。それでも、そういう状況がどの程度難しくなりうるかということについては、認識はしています。北アイルランドでは、紛争が物事の通常モードになってしまっていた。ここ(パリ)ではそうではありません。パリの人々にとってはシステムへの大打撃です。残念ながら、私たちにはたいしたことはできません。ただ自分たちの仕事をする。それだけです」

"We were driving in last night and the city was much quieter than normal, but it wasn't a ghost town. I didn't see evidence of heightened security."

Expressing condolences for the families of the victims, he said: "It's such a tragedy. I can't even begin to imagine how horrific it must have been for those involved.

"For us, we're musicians, we've just come to do what we do. Hopefully the people who come tonight can manage to forget about their troubles for an hour and a half.

"That would be our job done as we see it."

http://www.bbc.com/news/uk-northern-ireland-34843608


「昨晩、夜の街を車で走ったんですが、普段より全然静かではあったにせよ、無人ではありませんでした。警備が強化されているというのも見た目ではわかりませんでした。(事件の犠牲者に弔意を示して)実にひどいことでした。巻き込まれた人々にとっていかに恐ろしいことだったか、思いをめぐらそうとしてもうまくできません。私たちはミュージシャンですから、ここに来たらただここですべきことをするのみです。今晩、会場に足を運んでくれる人たちには、1時間半の間は、厄介な現実を忘れていただけるんじゃないでしょうか。そうしてもらえれば、ミュージシャンとしては仕事ができたことになります」

このほかにデイリー・メイルの記事もあるそうだが、SLFのTwitterアカウント(FBからのフィード)は、無言でURLだけ貼ってる。すばらしい。




こうして行なわれた2015年11月17日(火)のパリでのSLFのライヴ、セットリストは:
http://www.setlist.fm/setlist/stiff-little-fingers/2015/backstage-by-the-mill-paris-france-1bf5619c.html

  1. Nobody's Hero

  2. At the Edge

  3. Roots, Radicals, Rockers & Reggae

  4. Trail of Tears

  5. Just Fade Away

  6. Strummerville

  7. Guilty as Sin

  8. Harp

  9. Doesn't Make It Alright (The Specials cover)

  10. My Dark Places

  11. Bits of Kids

  12. When We Were Young

  13. Barbed Wire Love

  14. Fly the Flag

  15. Tin Soldier

  16. Suspect Device


  17. Encore:
  18. Wasted Life

  19. Alternative Ulster


"Trail of Tears" と "My Dark Places" は、2014年にクラウドファンディングを募ってリリースした最新アルバムからの曲。2曲とも、とてもいい。


http://www.slf.rocks/lyrics#trailoftears
I will meet you when things are better
In a world without any fear
We’ll be facing our bright tomorrow
At the end of this trail of tears



http://www.slf.rocks/lyrics#mydarkplaces
All you want to do is cry
Nothing makes sense nothing has a reason
And the world is not the same
And you’re the one to blame
Before too long you feel just like a prisoner
Some days you really feel like screaming
Some days you swear you’ll never smile anymore


B00JIVVKDSNo Going Back
Stiff Little Fingers
Imports 2014-08-19

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Inflammable MaterialInflammable Material
Stiff Little Fingers

Nobody's Hero No Sleep Til Belfast The Undertones

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フランスでの日程のあと、SLFはドイツやデンマークへとツアーを進めていく。行く先々で、今回のパリでのことを称えられるだろう。でもきっとそれは「ヒーロー」としてではない。「やるべき仕事を淡々とこなせる人たち」としてだ。

SLFのツイッターの最新のフィード:



WHY STIFF LITTLE FINGERS’ PARIS GIG HAD TO GO AHEAD – BY JAKE BURNS
FEATURES / JAKES BURNS / 19 NOV 2015
http://classicrock.teamrock.com/features/2015-11-19/why-stiff-little-fingers-paris-gig-had-to-go-ahead-by-jake-burns

ジェイクが単に語っている(書いている)文面。いわく「パリでの事件が起きたのは、ダブリンでライヴをした日だった。当初は、単にショックで呆然としていて、今回のツアーのスケジュールではあと2度プレイしたら、次がパリだ、ということは思い出せなかった。が、悲劇の全容が伝えられ、フランス政府が公共の場で人が集まることを禁止したということを聞いて、状況が把握できてきた。とりあえずは様子を見ようか、ということにした。ライヴができるならやろう、と」。

そのあと、既にバンドのFBの文やBBCのインタビュー、ステージでのMCで語られている「普通のことができなかったベルファストでの少年期」のことが語られ、次のように続いている。

That word "normal" became key to my thinking regarding our situation and whether or not we played Paris. Ironically, the show after Dublin for us was Belfast. It suddenly seemed very safe compared with other cities.


やっぱりそう言ってたんだ(笑)。

バンドはベルファストのあとエディンバラでライヴをして、ドーヴァーに向かう車中でもまだ火曜日のパリの日程がどうなるかはわかっていなかったという。最終的にプロモーターから、ライヴをやる許可が出たと連絡があったのは大陸へ渡るフェリーに乗り込もうとしていた港でのことだったと。

この時点でメディアがSLFのことを騒ぎ出したので、ジェイクはライヴをやるのが少し不安になったというのが正直なところだと語っている(何と誠実な人だろう)。随分長いこと、SLFのことをメディアが騒ぐということはなく、対応に追われてしまったようだ(何をどう書かれるか、わかったもんじゃないからね)。今度は自分が「普通に」していられるよう努力しなければならなくなった。

Things had to get back to "normal" as soon as possible – that was why we were playing. I had to be very careful in what I said. The absolute last thing we wanted was for people to think we were doing this for some form of ghoulish publicity. We had to be respectful of the dead and injured and at the same time present a hopeful face for a quick return to "normality".


だがその心配も杞憂だった、とジェイクは述べている。「ステージに上がった瞬間に、『いつも通りの』ライヴだという感触があった。ただし客席から来てくれてありがとうという声が上がっていた」。バンドはいつも通りにプレイしようとしたが、ジェイクは歌いながらこみ上げる感情を抑えられない場面もあったと書いている。Wasted Lifeで "Killing isn't my idea of fun" という歌詞のところで、声に感情のゆれが出ていたのではないか、と。



MCでは事件については1度だけしか口にせず、それもライヴの最後になってからだったという。アイリッシュ・エグザミナー記事にあったジェイクのMCの引用は、ライヴの最初や途中ではなく、最後の言葉だったのだ。

何とあたたかい。

(T_T)

終演後、物販担当のスタッフ(バタクランで殺されたバンドのクルーも物販担当だった……)が、ライヴを見に来ていた若いレバノン人女性からのメモをジェイクに手渡した。そこには、「ここに来てくれたみなさんの勇気に感謝します」というメッセージがあった。が、ジェイクは「勇気があったのは私たちだったのかというとそういう気はしない。勇気があったのは、むしろ見に来てくれた観客のみなさんだろうと思った」と述べ、この日のことは一生忘れられないだろう、とこの記事を締めくくっている。

この記事をフィードしたFBの投稿に、現時点で99件のコメントがついている(シェア数は680件を超えている)。
https://www.facebook.com/StiffLittleFingers/posts/10153086123862096



Derek Davidsonさんの次の言葉が、強い力を持って目に飛び込んでくる。

The way to defeat terror is not by accepting a new "normal" but by returning to "normal".

「(テロ警戒という)新しい『通常の状態』を受け入れるのではなく、(今までどおりの)『通常の状態』に戻ること。それがテロを打ち負かす」




「音楽」の文脈でIsisっていう表記見ると、一瞬、バンドのIsis(残念ながら解散)のことと読んでしまうね。一般のニュースでは、ISISだろうがIsisだろうが、「イスイス団」と読むことが習慣化しているのだが(なので女神の「イシス」の出てくるニュースがあったら、一瞬話が読めなくて混乱するんじゃないかと思う)。

PanopticonPanopticon
Isis

Oceanic -Digi/Remast- Wavering Radiant In The Absence Of Truth New Bermuda Celestial

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元々検索しづらかったこのバンドがますます検索しづらくなった今日このごろ。



バタクランの中でまだ攻撃者が銃撃を加えていたころ、私は東京でTwitterの画面の中で状況の進展を追っていて、「レアールで発砲」などの不確実情報にも翻弄されつつ、このBataclanというハコについてググったりしていた。ふだんの内部の写真などを見て、「こういう感じの、規模大き目(1000人は余裕)のライヴハウスって、けっこうたくさんあるよね」と思っていた。The Eagles of Death Metalも、微妙なところで「好き」とは言えないにせよ、バンド名を見ただけでおどろおどろしいものを想像してしまう人に「要するにイーグルスですよ、ホテル・カリフォルニアの。つまりド演歌です」と意味不明の説明をできる程度には「知ってる」名前だ。そういうバンドがライヴをやるハコが、標的にされた。私という一個人にとっては、あそこでテロリストの暴力にさらされていたのが「どこか遠くの他人」とは思えない。




検索すれば、「その瞬間」の映像もある。オーディエンスが "普通に" ライヴを撮影していたはずなのに、「その瞬間」の映像になってしまっている。(その映像は、わたしはここにリンクもしないし貼りこみもしないけど、見たい人は検索すれば見つけられるはず。)

その無防備な様子に、ジェイムズ・ホームズによるコロラド州の映画館での銃撃事件を思い出した。新作映画の特別上映を見にきて襲撃された人々の中には、一瞬、何が起きているのかわからなかったというか、「正常化バイアス」で「これは自分が見に来たショーの一部で、演出だ」と考えた人すらいた。そのくらい無防備な人たちを、銃を持った殺人者は襲った。

パリの彼らも無防備だった。一切、何らの疑いも抱いていなかった。この日、家を出るときに「もしかしたら交通事故にあうかもしれない」と考えた人がいたとしても、「もしかしたらテロリストに銃撃されるかもしれない」と考えた人はいなかっただろう。いたとしたら相当の心配性だ。

そういうのを多分変えてしまった。それが2015年11月13日のパリでの出来事だ。あれが起きてしまった後は、「今日、テロの被害者になるかもしれない」と考えて、朝、家を出ることは、もう珍しくなくなっているだろう。

その中で「普通にしている」ことは、脅えて行動を控えることより難しいかもしれない。けれど結局は、安全を確保しながら「普通にしている」ことが、テロリズムへのカウンターとして最も有効なのではないか。

1990年代前半、IRAの(ほとんどは小規模な)爆弾がしょっちゅう混乱を引き起こしていたころ、ロンドンでもイングランドの他の都市でも、人々は普通に生活していた。映画館に行き、ライヴを見、美術館に行って、地下鉄やバスに乗っていた。2005年7月7日の直後のロンドン市長のスピーチでも、そういうことを言っていた。

パリは強い。パリは誇り高い。今のショックが過ぎたあとのパリが「通常モード」を失わずにいてくれることを強く願う。




※この記事は

2015年11月20日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 13:45 | TrackBack(0) | todays news from uk/northern ireland | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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