kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2015年11月17日

'Pray for Paris' と 'Meme pas peur' とピース・シンボル、そしてSave a Prayer

書きたいことがたくさんありすぎて、どこから書いていいのかわからずにいるあいだに、その「書きたいこと」が消えてしまっている(しかも変換がバカになっていて「可着たいこと」などという変換結果をしれっと出してくる。IMEリセットしないといけないのか……)。

Twitterでは先週土曜日(日本時間)以降、#PrayFor... が大ブームである。なぜか日本もお祈りされちゃったりしていて、私は「全世界で報じられた地震なら何ともないです」と英語で書いたりしていたのだが(その点はごばるちょKOさんという方の「まとめ」に事情が説明されている)、パリの事件のあとすぐに #PrayForParis が(見ればわかるように)英語圏から出てきて、それから、「パリで何かが起きたからってみなさん大騒ぎしてますけどー」的な反発が出て、#PrayForSyria などが出てきた。(パリの事件の前日に起きていたベイルートの爆弾テロは、もはや #PrayFor... するタイミングではなかったが、いくつか見かけたような気はする。そもそもベイルートの住宅街がISISのボムにやられたのは何度目だろうか。また、心配するならベイルートだけではなくシリアから逃げてきた人たちの難民キャンプでのあれとかこれとか……なんて書いてるとますます先にいけなくなるので切り上げる)

だけど、個人的には、私はパリからの言葉や写真を見て、うちら外野がPray For ...するというセンチメンタルな欲求(私、信仰持ってないんで、何か失礼なことを言っているかもしれませんが、どうかスルーしてください。私の正直な認識がこうだということに過ぎません)など、この人たちのエネルギーで吹き飛んでしまうな、と思った。それは、私個人がまったく賛同しなかった今年1月の "Je suis Charlie" ブームのときと同じだ。パリは強い。

パリは誇り高く、そして強い。"Meme pas peur" と人々は言う。"I'm in no way afraid" という決意表明。「街」そのものが、「人々の暮らし」そのものがカラシニコフと爆発物の標的にされたときに、このような意思表示をすることが、流された血と奪われた生命へのはなむけ。




jean-julliens-eiffel-tower-sketch-becomes-paris-peace-symbol.jpgさて、Twitterなどソーシャル・メディアで、事件収束直後から、ロンドンを拠点とするフランス人画家の描いたピース・シンボル feat. エッフェル塔のイラストが人々によって何度も何度も言及・参照され、この絵が「事件後の気持ちを表すシンボル」として静かに広まっていることは既に書いた。この絵の作者、ジャン・ジュリアンさんのかなりしっかりしたインタビューが、Slate.comで14日付で出ていたことに今日気がついた。

(パリでの事件後、とにかく書かれる文字量がすさまじいことになっていて、何一つまともに読めていないような気がする。気づかずにいる大事な文章もきっとたくさんあるだろう。)

そのインタビューについては、また余裕があるときに何か日本語で書くかもしれない。

ジャン・ジュリアンさんはアーティストで、このピース・シンボルはまさに正統派の「アート」として私に働きかけるものだった(きっと他の多くの人に対してもそう働きかけているだろう)。

ああ、あたし、この都市に行ったこと、あるんだよなあ。あんなものやこんなものを買ったなあ。もう割れてしまったマグカップとか、ピカソ美術館で買った絵皿とか、クリニャンクールで買った綿のコートとか。アンティーク(といってもさほど古くはない)のポストカードも買ったことがある。北駅近くに泊まっていたのだけど、真昼間に、駅を出たところから「君ならいい仕事があるよ」と英語でささやきながらついてきたおじさんがいて、穏便に退散していただくため、ガン無視して、自分の泊まっているホテルをそのまま通り過ぎて、まだ歩いて、歩いて、歩いて、そして……通りすがりの見知らぬ人が友達のふりをして声をかけてくれたのでおじさんが退散したんだったか、とにかく事なきをえた(「北駅は危険」というのはこういうことがよくあるから)。私のフランス語はへたくそで、T/Cの現金化のときにdeuxの発音が悪くて通じなかったレベルで、そういう場合の窓口の人の表情が、ロンドンではちょっと微笑んで "Excuse me?" という感じなのに、パリではつんつんしていたなあ。ペールラシェーズ墓地に行って、帰りは大通りを歩いてきて、おなかすいたところで入ってみた、いかにも地元の人しかいないようなカフェのオムレツが、最高に美味しかったなあ。

そういうカフェやビストロ、レストラン、バーが、標的にされた。

政府の建物じゃない。ビジネス街でもない。観光名所でもない。IRA用語でいう「経済標的」ではない。

普通の「食堂」みたいなところ。それと、キャバ1500人のライヴハウス。そのライヴハウスの床が血の海になっていて、やけに黒い服装の人たちが倒れていた(検索結果でうっかり写真を見てしまった)。「The Eagle of Death Metalを見に行った人たち」の1人は、「わたしの友人」であったかもしれない。「わたし」ですらありえた。

その距離感。

それは、すぐそこだ。

そのときに、Pray for Parisとか言っていられるかどうか。

いや、そこはやはり、Meme pas peurだろう。自分的には。

……と、ぴったりその通りではないが、ジャン・ジュリアンさんの絵を見て、私はそんなようなことを思っていたのではないかと思う。あるいはもっと別の、言語化されえぬ思い(「語りえぬもの」)。

最初にその絵を見たときに、私はしばらくじっと見たあと、「アバターにしたい」と素直に思った。

この局面で、「ピース・シンボル」を自分の「代理」とすることは、自分のやりたいことと一致するように思った。

しかし、そうはしなかった。フランスという国がその次に何をするか、あまりにわかりきっていた。この「ピース・シンボル」を掲げることが「フランスへの連帯」を示すものであるとすれば、それを掲げながら爆弾を落とすことになる。

無理無理。

ジャン・ジュリアンさんの絵は、手元にダウンロードするだけになっていた。

それを加工して、いつも使ってるBanksyの「風船を持った不機嫌な子供」の絵に貼り付けてアバターにしたのは、「まとめ」を作るという作業(この過程で、私は「NAVERまとめ」で使えるようになっているGettyとロイターの報道写真で、世界各地のたくさんの「祈り」の光景を見た)を通じて、再度ジャンさんの絵に向き合ったあとのことだった。11月15日、11:32:40

avatarbf-m.png


くたびれて惰性で浮かんでいる HOPE の O の文字を、ピース・シンボル に置き換える。

The band were performing the song "Kiss the Devil" at the Bataclan on 13 November 2015 when an attack killed dozens of fans.

https://en.wikipedia.org/wiki/Peace,_Love,_Death_Metal












































服喪期間の3日間は、ラッカの反アサド・反ISIS活動家の集団「ラッカは静かに殺されつつある」のアカウント @Raqqa_SL も、アバターにフランスのトリコロールを重ねていた。



その声が、聞こえていますか。

パリ、レピュブリック広場の北東での一連の銃撃が行なわれた最初の場所であるバーの前から、@Raqqa_SL への「連帯」のメッセージを送る青年たち。そこには明確な言葉も、シンボルもない。ただ、その文脈を示すその場所に、2人が立っている。彼らの声が、聞こえますか。












The Eagles of Death Metalは、出たばかりのアルバム(その新譜をひっさげての欧州ツアーの最中だった)でDuran DuranのSave a Prayerのカバーをしている。それをUKのシングルチャートの1位にしようという運動がFBを拠点に始まっているそうだ(収益は、事件被害者のために寄付される)。




So far, the track has reached No 1 in the Amazon rock charts, No 1 on the iTunes Rock chart already and No 35 on the iTunes’ main chart. The official charts company will announce the UK official No 1 on Friday 20 November.

http://www.theguardian.com/music/2015/nov/16/campaign-eagles-of-death-metal-top-of-uk-singles-chart-save-a-prayer




パリに入る前日は、EODMはダブリン(アイルランド)でライヴをしていた。パリでの負傷者の中にはアイルランド人もいる(病院で治療中)。

EODMのフロントマンのジェシー・ヒューズは、「デヴィル」を名乗っているが、実際には熱心なキリスト教徒で、Universal Life Churchという教会で聖職者(司祭)として任命されている。政治的には保守主義で、共和党員だそうだ。
https://www.facebook.com/UniversalLifeChurchHQ/posts/504252406276226


※この記事は

2015年11月17日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 17:20 | TrackBack(1) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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「We are one. わたしたちは、ひとつである」
Excerpt: 本稿は、元々、10日ほど前にアップしようとしていたのだが、肝心の絵が見つからず、またほかにいろいろ起きたので、後回しになってしまった。これを今更アップすることで、ネット上で赤の他人が「今更」などと書き..
Weblog: tnfuk [today's news from uk+]
Tracked: 2015-11-27 16:01





【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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