kafranbel-aug2011.jpgシリア緊急募金、およびそのための情報源
UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)
WFP (国連・世界食糧計画)
MSF (国境なき医師団)
認定NPO法人 難民支援協会

……ほか、sskjzさん作成の「まとめ」も参照

お読みください:
「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2015年11月16日

「ことば」の余地などない、この現実の中にそっと投げ込まれた1枚の絵について

1月のシャルリーエブド編集部襲撃事件は、絶対に許容されえないことではあったが、それでも、その背景にある感情や襲撃者の側の理由付けを、外部の者が考えてみる余地は、ごくわずかとはいえどもあった(と書くと、「CH襲撃を支持するアポロジストめ」という事実無根の罵倒が飛んでくるかもしれないが気にしない)。あの攻撃を支持する人々の意見を聞いたうえで、「なるほど、お前らの言い分はわかった。しかしそれは間違っている」という《対話》が可能なのではないか、という希望は、そこでは殺されていなかった。英国政府が行なっている「脱過激化」のプログラム(←リンク先に貴重な事例報告)は、そういった《対話》可能性を前提としたものだ。

CH編集部襲撃とほぼ同時に起きたコーシャ・フード店立てこもり事件は、それもまた典型的に「凝り固まった思想」に根ざしたもので、それゆえ、共感者との《対話》の糸口について過去の事例は蓄積されているだろう。

また、CH編集部集積の事例では、攻撃者の側を離れても、「表現の自由に対する攻撃」であると主張される以前に「挑発的な発言を続けて他人をいやがらせること」の是非を考えてみてはどうかという議論になったし(そうするとあの連中は「挑発的になる権利」の話に摩り替えるので厄介なのだが、あの反論は「こういえば論敵は動揺する」といったマニュアル的テンプレでしかない。影響されそうになったら、人間のcivilisedな態度というものについて2秒程度考えてみればいい)、とにかく1月のあの事件のあとは、《対話》や《議論》がたくさん起きていた。

今回は全然そうではない。《対話》や《議論》はおろか、「ことば」そのものの余地がほとんどない。フランス大統領が今回記憶されるのは、立派な言葉を出し理念を示したことではなく、非常事態を宣言し、国境を閉ざし、パリ一帯の夜間外出禁止令を出したことだ。ブレイヴィクの事件のあとのノルウェー首相や、2005年7月7日のあとのロンドン市長とは違う。今年1月の彼自身とさえ違う。

実際、私は日本時間で朝の6時から9時ごろまで(占拠されたライヴハウスを治安当局が制圧するまで)、Twitterの英語圏で何が起きているかをフォローしていたのだが(フランス語圏とは少しは時差があっただろうが、そのおかげで混乱をダイレクトにこうむらずに済んではいるはずだ)、そうしながら思い出されたのは、Twitterで英語を使うジャーナリストたちによってカブール(アフガニスタン)の現場から伝えられてくる「タリバンの組織的な攻撃」だった。

ただし、終わってみれば、「これがカブールからのニュースでも驚く規模」と言わざるをえないようなことだった。

「ことば」の余地などなかった。個人的に、(ブラウン管なり液晶なり)画面の向こうで起きているであろうことを、こんなに「ぽかん」とした状態で、ただ見続けていたのは、2001年9月11日のニューヨーク(それを伝えるNHKのテレビニュース)以来だ。誰かのことばの伝言はできても、自分から出てくることばは、ほとんどなかった。

そこに、1枚の絵が流れ着いた(Twitterでは、文字通り「流れ着いた」感覚を抱く)。

jean-julliens-eiffel-tower-sketch-becomes-paris-peace-symbol.jpg見慣れた「CNDのピース・シンボル」と、エッフェル塔が組み合わさっている。いや、この図案を「エッフェル塔」と即座に読み解けたのも、今の文脈があるからなのだが。

この迷いのない、力強い線に、私は勇気付けられた。この絵に「勇気付けられた」ことに気づいて、自分が傷ついていたことをさとった。単に画面を見ていただけなのに。

パリ同時多発テロのあと、追悼と連帯のシンボルとなっているあの絵……。
http://matome.naver.jp/odai/
2144754222607812301



絵の作者は、ロンドンを拠点とするフランス人イラストレーターで、あたたかみがあって親しみやすい、それでいて甘すぎない絵を描く人だ。本も出ていて、Amazonでも買えるものがある。

Hoot Owl, Master of Disguise -
Hoot Owl, Master of Disguise -
Ralf -
Ralf -

現地14日の夜、エッフェル塔は毎晩行なっているイルミネーションを取りやめ、消灯したままとなった(毎晩、24時か1時になると消灯されるが、点灯しなかったことはほとんどないという。ただこの話も、明らかに「デマ」だろというのがたくさん流れてて、わけがわからない。この塔は1889年のパリ万博で建てられたものなんだけど、「1881年以来初めてturn offする」とかいうのもあったくらい)。


















なお、個人的には、「フランス当局グダグダ伝説」にまた新たなページが……ということではないかと思ってます。そしてそのグダグダっぷりを隠蔽するためにまた情報が混乱させられ、グダグダっぷりを政治的に利用する勢力の声が大きくなり、何が何やら (@_@) ということになるのではないかと。

いや、わたしが「何が何やら (@_@)」となるのは、根本的に、わたしの頭が悪いからなんでしょうけれども。

とかいってたら来たわ。しかしなぜイラクから……(イランからの間接的な話かな)。





※この記事は

2015年11月16日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 03:00 | TrackBack(1) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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'Pray for Paris' と 'Meme pas peur' とピース・シンボル、そしてSave a Prayer
Excerpt: 書きたいことがたくさんありすぎて、どこから書いていいのかわからずにいるあいだに、その「書きたいこと」が消えてしまっている(しかも変換がバカになっていて「可着たいこと」などという変換結果をしれっと出して..
Weblog: tnfuk [today's news from uk+]
Tracked: 2015-11-17 17:35





【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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