「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2015年11月11日

今日は11月11日で、第一次世界大戦の休戦記念日で、英国では11時に黙祷が捧げられる。今年はテレビに出る外国人にまで赤いポピー着用が求められたようだ。

既に“「レッド・ポピー」フィーバーのメモ(1)”をアップしてあるが、(1) と銘打っているということは、おわかりの通り、(2) を予定しているということである。だが本稿はその (2) ではない。ちなみに、(2) として予定しているのは、アイルランドであるが、ブラウザを乗り換えるとかTwitterを使わなくするとかいった環境の大きな変更の最中なので(何もこんなに忙しいときにしなくてもよかったのだとあとから思ったが、ブラウザは不可抗力だし、例えば「福島」について書けば「福島に興味がある」と思われ、「フクシマ」と書けば「福島をバカにしている」と思われ、誰かの発言をRTすれば「支持者である」と思われるような、「知りもしない他人について何かを判断してやろう」と待ち構えているTwitter日本語圏の瘴気渦巻く異常な界隈には、私はもう近寄りたくない。気持ち悪くなるから)、(1) を書いただけで力尽きている。正直、書けること(コービン)は、自分にとってどうでもいいから書けるのであり、思い入れの強いトピックである (2) は、書くための体力すら見つからず、一文字も書けずにいるのだが。ともあれ、そうこうしているうちに、(北)アイルランドでは、またよりによってこんなタイミングで(1週間ずらしてもいいんじゃないかと思うのだが)、ものすごいことになった。ので、(2) はまた後回しだ。いつまでたっても終わらない。それにつけ加えて、「レッド・ポピー・デー」までに完成させたかった10月からの積み残しもある。

が、ともあれ、今日は11月11日、第一次世界大戦の休戦記念日である。現地11時(日本時間20時)に黙祷が捧げられる。
https://en.wikipedia.org/wiki/Armistice_Day

英国での「11月11日」とそれに最も近い日曜日(リメンブランス・サンデー。今年は8日)については、昨年「まとめ」を作成したのでそちらをご参照いただきたい。と書いておいても閲覧などされない。わかってる。

戦没者追悼のかたち〜英国の例〜 ("Lest we forget")
http://matome.naver.jp/odai/2139023621178867301


で、昨年(2014年)のリメンブランス・サンデーと休戦記念日の週に向けては、ロンドン塔の外周部に、第一次世界大戦での戦没者の数だけ、セラミックで作った赤いポピー(英国での「戦没者」のシンボル)が植えられた(イベント終了後は1本ずつ希望者に頒布)。リメンブランス・サンデーまでの数週間に街頭などで行なわれる「レッド・ポピーのための寄付」(日本の「赤い羽根」などと同じく、寄付金箱にお金を入れると赤いポピーの造花がもらえる)を含め、この時期のレッド・ポピーを介した収入が軍人会の活動を支えるのだが、その「レッド・ポピー」の活動が、特に2012年のエリザベス女王のダイヤモンド・ジュビリーとロンドン五輪以降、目に見えて派手になっている(ことは前にも書いた)。既に英軍はイラクからは2009年に撤収しており、13年間も駐留と戦闘を続けたアフガニスタンからも2014年におおかた引き上げている(「現地関係当局の支援」を目的とする顧問的な形では残っている)。自分たちの身の回りが戦場になっていなくても、生活・人生は戦争と隣り合わせだ、というのは、社会から(今のところ)消えつつあるが、それが「平和を祈念する」という方向に行くかどうかは別問題で、というか「平和を祈念」云々が通常のルートとしてあらかじめそこにあった「戦後日本」の環境は、とても恵まれた、すばらしいものだったのだと私は思う。

英国では、「平和を祈念する」傾向を隠していない政治家がものすごい勢いであら捜しをされ、大手メディアによってdisられている。「平和を祈念」するシンボルであるホワイト・ポピーは完全に黙殺され(あるいは徹底的に叩かれ)、「平和主義 pacifism」は「戦闘意欲がない」、「臆病者」という扱いを受ける(あの人たちは、Shot at Dawnから何も学んでおらず、学んだのは「臆病者は処刑されるので臆病は悪いことだ」という単純な教訓だけかもしれない)。

それどころか、今年は、「わが国のテレビに出演する人は外国人であってもレッド・ポピーを身につけていただきましょう」といわんばかりだ。




マイケル・ファスベンダーは、俳優としての拠点はロンドンかもしれないが(あとアメリカにも拠点を置いてる)、生まれたのはドイツ(両親のどちらか、たぶん父親がドイツ人、もう一方がアイルランド人)で、物心がつかないうちにアイルランド共和国に引っ越して、アイルランドで育った人だ。少しさかのぼると、マイケル・コリンズが親戚にいるような家だそうだ(アイルランドは狭いので、そういうことは案外よくあるらしい)。

つまり、「英国人」ではまったくない。

だが、グレイアム・ノートン・ショーに出演した彼は、左のラペルに赤い花のバッジをつけている。他の出演者(英国人の芸能人たち)のような、The Royal Britieh Legionの「レッド・ポピー」そのものではないことが、「差別化」(彼は違う)ということを物語っているのだが、そこまでしてあの「赤いお花ちゃん」の着用が求められるのかというのは、私はちょっと引いた。今まで、こんなふうだっただろうか。

また、ジャーナリストのニコラ・エナンさん。シリアで誘拐され「イスラム国」を自称する勢力(ネットスラングで「イスイス団」、本稿では「ISIS」と表記)に人質として拘束されていて、最終的には解放された「西洋のジャーナリストたち」の一人で、フランス人だ。

そのエナンさんが10日のBBC Hard TalkでISISについて語っていたのだが、彼も「赤い花」をつけている。アップの写真を見ると、The Royal British Legionの「レッド・ポピー」そのものだ。






フランスは、第一次大戦でも第二次大戦でも英国と同じ側だったが(第二次大戦ではドイツに占領されていたが)、フランスは英国(英連邦)ではない。

これまでも、リメンブランス・サンデーから休戦記念日にかけてのこの時期に英国のテレビ(特にBBC)に出るフランス人は、こういうふうに「レッド・ポピー」を着用していたのだろうか。

私は個人的に「この時期にBBCに出ているフランス人」を他に見たことがないので、単に私が知らないだけで、他の例があるのかもしれない。

だが、ニコラ・エナンさんがこうということは、では、BBCのインタビューに答えていたのが、エナンさんと同じ時期にISISに拘束されていたハビエル・エスピノサさんだったらどうだったのだろう。エスピノサさんはスペイン人だ。

あるいは日本人のジャーナリストだったら? 日本は、第一次大戦は「日英同盟」の時代だったが、第二次大戦では周知の通りである。

疑問は尽きない。

そんな中だからこそ、あえて「ホワイト・ポピー」についての報道を探してみたりもするのだが、大手はどこもかしこもシカトを決め込んでいる。報道機関の記事で私に見つけられたのは、アイルランドのシン・フェインの機関紙だけだ。




探し方が、悪いのかもしれない。

以下は、「ホワイト・ポピー」の運動をやっているVeterans for Peace UKや、その代表者のベン・グリフィンさんのTL、関連の検索結果より。






↓↓このArtist Taxi Driver(タクシー運転しながら乗客にインタビューした映像を公開しているアーティスト)のベンさんとジョーさんのインタビュー、まだ聞いていない人はぜひ。ジョーさんもベンさんもアフガニスタン派兵経験者。







まあ、要はこういうこと↓ですよね。




「ブリティッシュ・ミリタリズム」はたぶん、ポスト植民地主義、ポスト石油利権の時代の(つまり「21世紀の」)「パックス・ブリタニカ&アメリカーナ」の主要な柱で、日本語ではその「ミリタリズム」は「積極的平和主義」と呼ばれてると思うんですよね。違いますかね。

「戦争」が国と国とのものでなくなった時代、その「ミリタリズム」が「敵」(というか「対象」、「ターゲット」)としているのは、「アルカイダのような」多くの場合リゾーム型の武装勢力で、それと「戦う」のは「銃剣を持った兵士」ではなく、「テクノロジー」だという宣伝の中で、「戦没者追悼の赤いポピー」と軍産複合体がべったりと貼り合わせられているというこの現実。

※この記事は

2015年11月11日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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