「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

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2015年11月10日

今日はどういうわけか「ビアフラ」もトレンドしていて……

twttrt10nov2015.png1つ前の、Ken Saro Wiwaについてのエントリに入れてあるUKのTrendsに、もうひとつ、UKとは関係のないワードがあることにお気づきの方も少なくなかっただろう。

現地朝9時ごろ(日本時間で18時ごろ)のTrendsだ。私は朝のBBC Radioの番組(Today)で、それについての話があったのかなと思った。「歴史秘話」が語られているとか、あるいはあの戦争を取材したジャーナリストか誰かが本を出したとか亡くなったとかいったことでニュースになっていて、人々がその名前をツイートしているとか……。

ビアフラ共和国。

"1967年にナイジェリアの南東部に置かれていた東部州が独立宣言したことに伴い樹立されたイボ族を主体とした政権・国家。1967年5月30日から1970年1月15日まで存続した。

"ナイジェリア政府は直ちにビアフラを経済封鎖し、(67年)7月6日にビアフラ戦争へと突入した。……

戦争末期に内陸部へ封じ込められたビアフラでは200万人といわれる餓死者を出し……"


だが、実際にページを見てみると、そうではなかった。これこそが、ケン・サロ=ウィワについて私が思ったような、「ナイジェリアでの話題がなぜかUKでのトレンドになっている」ケースだったのだ。

Twitterでトレンドしていたときの画面は下記の通り。


※画像はクリックで原寸表示。

上の方の「画像の一覧」のところにある「仏頂面のリアーナ」は、おそらく、ミームとして使われているだけで、話題とは無関係だろう。

詳しく見てみないとわからないが、どうやら「ビアフラ再興運動」のような動きが、現地にあるということだと思う。

それを細かく見てみようか……と思っていたときに、とてつもないビッグニュースが入ってきたので、それどころではなくなってしまった。また機会があれば。

この次のエントリは、そのとてつもないビッグニュースについて。




※ツイートして済ませる、ということをやめたので、いちいち時間がかかっています。ブログ記事のタイトルを考えるのも面倒だし時間もかかる。

……と、ここで終わるのも「ビアフラ」に失礼にすぎるので少し。




というわけで、現地では継続的な「ビアフラ支持デモ」が起きている。スペインのカタルーニャのニュース(議会の動きの件)も同時に流れてきているのだが、両者にはたぶん共通点は多いだろう(自分たちの土地で得られるお金が、中央政府に吸い上げられてしまうという問題など)。しかし、同じであろうはずがないので、妙な単純化はしてはならない。たぶん、ビアフラで実際に起きていることは、議会制民主主義の手続きで事を進めているカタルーニャとは違う。それでも、写真で伝えられてくるのは「大人数の平和的デモ」の光景だ。

一方で、「ビアフラ」というと「戦争」と短絡する人は大勢いるようで、「バカげたことを言うな」とか「戦争したければボコハラムとやってろ」とかいうのも多い。




一度「内戦」が起きた国のトラウマは深い。こういう過剰とさえ思えるような反応が起きなくなるまでには、30年(1世代)どころか、もっと長い時間がかかるようだ。ビアフラ戦争からは、45年以上が経過している。

たまたまだが、アイルランド共和国(北アイルランドではない)からは、「プロテスタント」が1916年のイースター蜂起についてとんでもない発言をしているというニュースが入っている。
http://www.irishnews.com/news/2015/11/10/news/dublin-orangemen-criticised-over-easter-rising-remarks-319886/

これも「内戦」のトラウマ……というかアイルランドの「プロテスタント」の場合は、自分たちが安住していた特権が剥奪されたこと、社会の中の「少数者」の立場(「少数の支配者」ではなく)に追いやられたことなど「被害」意識と関わる問題だ。そもそもオレンジ・オーダーの場合は(白人優越主義者の間での「黒人による白人のジェノサイド」言説と同様の)「カトリックに迫害されるわたしたち」というナラティヴがあるわけで、「頭を冷やせ」としか言いようがないのだが。

※この記事は

2015年11月10日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 22:08 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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