「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2015年11月10日

私の知らない名前がTrendsに入っていたので調べてみたら、ナイジェリアで20年前に起きたことを知ることになった。

前にも書いたのだが(リンクしてもどうせ誰もクリックしないからリンクは探さないが、過去ログにあるはず)、TwitterではUKのTrendsに、なぜかナイジェリアのTrendsが紛れ込んでいることがよくある。知らない名前がTrendsにあるので見てみたら、UKのアカウントは誰もツイートしておらず、ツイートしているアカウントは「ボゴダ」や「ラゴス」を居場所として設定している、というようなことがある。Trendsしている名前をウェブ検索してみればナイジェリアの芸能人だった、ということもある。UKには「移民」が多いし、UKでは数百人が一度に同じ語句をツイートした程度でもTrendsに入ってくるので「移民」が一斉にツイートするなどすればそういうこともあるのだろうが、それならばパキスタンやバングラデシュについても同様の現象が確認されてもおかしくないのに、なぜか私が気づくのはナイジェリアのことがほとんどだ(パキスタンについてTrendsに入ってる場合は、「BBCが記事にしているので」といったケースが多い。ナイジェリアでは英メディアが記事にしていようがしていまいがあまり関係がないように見える)。

というわけで、なぜそういう「混線」が起きるのかはわからないが、UKのトレンドを見てるはずなのに、ナイジェリアのトピックについて読んでいる、ということがある。

twttrt10nov2015.pngだから、今日(11月10日)の日本時間午後6時台(英国では午前9時台)に、Ken Saro Wiwaという、いかにも「アフリカっぽい」(←無知でバカな私の貧困な認識ではこの大雑把さが現実なので取り繕わずに書いてます)文字列がTrendsに表示されているのを見たときも、「たぶんまた、ナイジェリアのトレンドが紛れ込んでいるのだろう」と思っただけだった。「今度は俳優だろうか、あるいは歌手か、それとも政治家か」と。

全然そうではなかった。確かにKen Saro-Wiwaはナイジェリアの人だった。しかし芸能人でも政治家でもない。名前をウェブ検索するとウィキペディアの日本語ページがあるような人で、「作家、テレビプロデューサー、環境活動家」で、「1995年11月10日、……サニ・アバチャ軍事政権により絞首刑で処刑された」。

つまり、今日はケン・サロ=ウィワが(同じ組織の人々8人と一緒に)殺されてから、ぴったり20年という日だ。彼の名前がUKでTrendsしていたのは、「ナイジェリアでの話題がなぜかUKのTrendsになっていた」のではなく、英国で彼の死を記念する集会などが行なわれるからだった。

Twitterでトレンドしていたときの画面は下記の通りだ。


※画像クリックで原寸表示。











見ているうちに思い出した。以前、調べものをしたときに、この人の活動について読んだことはあったのだ。ただ、「オゴニ」とか「ケン・サロ・ウィワ」とかいった固有名詞をまったく記憶していなかった。そんな漠然とした曖昧な記憶では、何にも使えない(無駄ではないにせよ)。

だから私は、バカみたいに、「検索可能な形で記録する」ことを続けているのだ(それ以上でもそれ以下でもない。私は「活動家」ではない)。自分のような無知な者でも記憶に残るような大雑把なキーワード、つまり「ナイジェリア シェル 石油 環境保護」といったキーワードだけ思い出せれば、「昔読んだことがある情報」(への糸口)にたどり着けるように。








ケン・サロ・ウィワの息子でジャーナリストのケン・ウィワさんが、ガーディアンに寄稿している。このブログを投稿し終わったら、読んでみようと思う。






英国は、こういう人を支援する活動の拠点となってきた。




一方で、ナイジェリアではこういうことになってたらしいよ。






これが現実(の一端)である。

「反植民地主義」を自認する一部の人々が前提としているような、「反植民地主義者たるもの、植民地主義の実践者であった英国のことは何が何でも批判し、否定しなければならない(現地政府を支持しよう!)」みたいなのが、いかに「お花畑」であることか。「○○に自由を」と叫び、英国をdisっていれば気持ちがよいのだろうけれど、それは何にもなりゃしないのだ。

Punkの時代を35年以上前に通過して、そんなこともわからないのだろうか、と思わせられることが頻発する今日この頃だ。



とかいうのを記録していると、まるで私が最初からその言葉を認識していたかのようだが、ここで初めて見た。字面から意味は推測できたが、ググって調べなければ確信は持てなかった。何、この汚い言葉……。最近、この手の阿呆みたいな「反英」が、ほかならぬこの日本語圏で、際立って目立つようになってきたと思うが、ほくそ笑んでるのは誰なのかね。

エジプトでモルシ政権が転覆されたとき、タハリール広場に「すべてはアメリカの陰謀、オバマは隠れムスリム」というダンマクが登場し、そのダンマクそのものに唖然とする以上に、そのダンマクの内容を信じている・支持しているエジプトの「大衆」に対し、2011年の「アラブの春」への精神的サポートをTwitter上で表明してきた人々は、唖然とし、幻滅し、ただひたすら固まっていたものだが(エジプトでのあの手の「陰謀論」の信じられやすさを知ってる人たちが、エジプト社会のそういう問題点を説明してくれていた)、ああいう「いかにも、なプロパガンダ」は、どの社会にとっても、決して笑い事ではない。

ケン・サロ・ウィワについてのウィキペディアからもう少し。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%AD%EF%BC%9D%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AF
サロ=ウィワは1950年代から原油の採掘が始まったニジェール・デルタの先住民の1つである少数民族オゴニの出身で、現在のリバーズ州南部オゴニランドのボリで生まれた。オゴニ民族生存運動 (Movement for the Survival of the Ogoni People, MOSOP) の創立者の一人で、当初は広報係を務め、のちに代表として、国際石油資本とりわけシェルの操業による環境汚染に、非暴力で反対した。

……

1990年、サロ=ウィワらはオゴニの人々の権利を守るためにMOSOPを結成した。MOSOPの提起により、オゴニの自治の拡大、原油採掘による利益の適正な配分、オゴニランドの破壊された環境の原状回復、連邦政府での代表権、オゴニ諸言語に係る権利などを内容とするオゴニ人権宣言を、8月26日にボリで開かれたオゴニ人会議で全会一致で採択……1992年にオゴニはUNPOに加盟した。サロ=ウィワはババンギダ軍事政権により裁判もなく数ヶ月にわたり投獄された。

1993年1月にMOSOPは世界に彼らの民族の苦境を訴えるために、オゴニ人口の半数以上に当たる30万人がオゴニの4つの中心地を巡るという平和的行進を組織した。それを受け、シェルはオゴニでの操業を一時停止した。1993年6月にサロ=ウィワは再び逮捕・投獄され、翌7月に解放された。

1994年5月、サロ=ウィワは、親軍的とみなされていたオゴニの長老4人の殺人を教唆したとの嫌疑で逮捕・起訴された。サロ=ウィワは嫌疑を否定したが、起訴もされずに1年以上収監された末、軍の特別法廷で死刑が言い渡された。この裁判は多くの人権団体から批判を受けた。

1995年11月10日、サロ=ウィワと他の8人のMOSOPの指導者が、サニ・アバチャ軍事政権により絞首刑で処刑された。





ナイジェリアのこれ、ほんとにひどいんですよね。。。


※この記事は

2015年11月10日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 20:30 | TrackBack(1) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

この記事へのトラックバック

今日はどういうわけか「ビアフラ」もトレンドしていて……
Excerpt: 1つ前の、Ken Saro Wiwaについてのエントリに入れてあるUKのTrendsに、もうひとつ、UKとは関係のないワードがあることにお気づきの方も少なくなかっただろう。 現地朝9時ごろ(日本時間..
Weblog: tnfuk [today's news from uk+]
Tracked: 2015-11-10 22:08

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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