というわけで、なぜそういう「混線」が起きるのかはわからないが、UKのトレンドを見てるはずなのに、ナイジェリアのトピックについて読んでいる、ということがある。

全然そうではなかった。確かにKen Saro-Wiwaはナイジェリアの人だった。しかし芸能人でも政治家でもない。名前をウェブ検索するとウィキペディアの日本語ページがあるような人で、「作家、テレビプロデューサー、環境活動家」で、「1995年11月10日、……サニ・アバチャ軍事政権により絞首刑で処刑された」。
つまり、今日はケン・サロ=ウィワが(同じ組織の人々8人と一緒に)殺されてから、ぴったり20年という日だ。彼の名前がUKでTrendsしていたのは、「ナイジェリアでの話題がなぜかUKのTrendsになっていた」のではなく、英国で彼の死を記念する集会などが行なわれるからだった。
Twitterでトレンドしていたときの画面は下記の通りだ。
※画像クリックで原寸表示。
What is the legacy of Ken Saro-Wiwa? 📻 https://t.co/GhOUuUNPdH
— BBC World Service (@bbcworldservice) November 10, 2015
Nigerians remember Ken Saro-Wiwa 20 years after his execution, but what's changed? https://t.co/1x0BaYjHHz pic.twitter.com/2aRPNtfwUD
— BBC Africa (@BBCAfrica) November 10, 2015
20 years since #KenSaroWiwa's execution, @Shell must get serious about cleaning up his homeland https://t.co/noq5sV8f0v
— Amnesty UK (@AmnestyUK) November 10, 2015
Obituaries of #KenSaroWiwa & the #Ogoni9 being read outside @Shell London HQ right now, 20 years on from executions pic.twitter.com/aT7vThUQLA
— Amnesty UK (@AmnestyUK) November 10, 2015
20 years after the murder of #KenSaroWiwa Shell have still not cleaned up devastation they've caused in Nigeria pic.twitter.com/2JlSeG2yeX
— Global Justice Now (@GlobalJusticeUK) November 10, 2015
見ているうちに思い出した。以前、調べものをしたときに、この人の活動について読んだことはあったのだ。ただ、「オゴニ」とか「ケン・サロ・ウィワ」とかいった固有名詞をまったく記憶していなかった。そんな漠然とした曖昧な記憶では、何にも使えない(無駄ではないにせよ)。
だから私は、バカみたいに、「検索可能な形で記録する」ことを続けているのだ(それ以上でもそれ以下でもない。私は「活動家」ではない)。自分のような無知な者でも記憶に残るような大雑把なキーワード、つまり「ナイジェリア シェル 石油 環境保護」といったキーワードだけ思い出せれば、「昔読んだことがある情報」(への糸口)にたどり着けるように。
‘In Remembrance’ a documentary which charts the history of #KenSaroWiwa’s life, activism & execution https://t.co/A9OEC7SRVb #Ogoni9
— BlackHistoryStudies (@BlkHistStudies) November 10, 2015
Twenty Years On, #KenSaroWiwa's Legacy Echoes from the Grassroots to the United Nations https://t.co/Ni5P6aqsOc pic.twitter.com/Ke6EW6fKi0
— Global Justice Now (@GlobalJusticeUK) November 10, 2015
On Nov 10, 1995, the #Nigeria|n govt executed #KenSaroWiwa & 8 other environmental activists from Ogoni. #Bus4Ogoni9 pic.twitter.com/IxoZBw5lx6
— RM Ajayi (@rmajayi) November 10, 2015
ケン・サロ・ウィワの息子でジャーナリストのケン・ウィワさんが、ガーディアンに寄稿している。このブログを投稿し終わったら、読んでみようと思う。
Finally it seems as if Ken Saro-Wiwa, my father, may not have not died in vain | Ken Wiwa https://t.co/FOhKvTCmSt
— The Guardian (@guardian) November 10, 2015
20 years ago today, they thought that they had killed Ken Saro Wiwa.
https://t.co/LO1QV7UJqv pic.twitter.com/vSmJJTAzk9
— Ben Phillips (@benphillips76) November 10, 2015
英国は、こういう人を支援する活動の拠点となってきた。
For anyone writing about 20 years after #KenSaroWiwa's execution: archive footage from 1995 https://t.co/pG0lnYJdPi pic.twitter.com/3neyCfb5EV
— amnestypress (@amnestypress) November 6, 2015
一方で、ナイジェリアではこういうことになってたらしいよ。
#KenSaroWiwa memorial art bus denied entry to #Nigeria https://t.co/Wvmx5aaaXk… #freethebus #bus4ogoni9 pic.twitter.com/PeZQSNjpjf
— PEN International (@pen_int) November 5, 2015
Why has a memorial to Nigerian activist Ken Saro-Wiwa been impounded? 📻 https://t.co/ZuDLroENbd pic.twitter.com/nSYnYz5wKX
— BBC World Service (@bbcworldservice) November 7, 2015
これが現実(の一端)である。
「反植民地主義」を自認する一部の人々が前提としているような、「反植民地主義者たるもの、植民地主義の実践者であった英国のことは何が何でも批判し、否定しなければならない(現地政府を支持しよう!)」みたいなのが、いかに「お花畑」であることか。「○○に自由を」と叫び、英国をdisっていれば気持ちがよいのだろうけれど、それは何にもなりゃしないのだ。
Punkの時代を35年以上前に通過して、そんなこともわからないのだろうか、と思わせられることが頻発する今日この頃だ。

とかいうのを記録していると、まるで私が最初からその言葉を認識していたかのようだが、ここで初めて見た。字面から意味は推測できたが、ググって調べなければ確信は持てなかった。何、この汚い言葉……。最近、この手の阿呆みたいな「反英」が、ほかならぬこの日本語圏で、際立って目立つようになってきたと思うが、ほくそ笑んでるのは誰なのかね。
エジプトでモルシ政権が転覆されたとき、タハリール広場に「すべてはアメリカの陰謀、オバマは隠れムスリム」というダンマクが登場し、そのダンマクそのものに唖然とする以上に、そのダンマクの内容を信じている・支持しているエジプトの「大衆」に対し、2011年の「アラブの春」への精神的サポートをTwitter上で表明してきた人々は、唖然とし、幻滅し、ただひたすら固まっていたものだが(エジプトでのあの手の「陰謀論」の信じられやすさを知ってる人たちが、エジプト社会のそういう問題点を説明してくれていた)、ああいう「いかにも、なプロパガンダ」は、どの社会にとっても、決して笑い事ではない。
ケン・サロ・ウィワについてのウィキペディアからもう少し。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%AD%EF%BC%9D%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AF
サロ=ウィワは1950年代から原油の採掘が始まったニジェール・デルタの先住民の1つである少数民族オゴニの出身で、現在のリバーズ州南部オゴニランドのボリで生まれた。オゴニ民族生存運動 (Movement for the Survival of the Ogoni People, MOSOP) の創立者の一人で、当初は広報係を務め、のちに代表として、国際石油資本とりわけシェルの操業による環境汚染に、非暴力で反対した。
……
1990年、サロ=ウィワらはオゴニの人々の権利を守るためにMOSOPを結成した。MOSOPの提起により、オゴニの自治の拡大、原油採掘による利益の適正な配分、オゴニランドの破壊された環境の原状回復、連邦政府での代表権、オゴニ諸言語に係る権利などを内容とするオゴニ人権宣言を、8月26日にボリで開かれたオゴニ人会議で全会一致で採択……1992年にオゴニはUNPOに加盟した。サロ=ウィワはババンギダ軍事政権により裁判もなく数ヶ月にわたり投獄された。
1993年1月にMOSOPは世界に彼らの民族の苦境を訴えるために、オゴニ人口の半数以上に当たる30万人がオゴニの4つの中心地を巡るという平和的行進を組織した。それを受け、シェルはオゴニでの操業を一時停止した。1993年6月にサロ=ウィワは再び逮捕・投獄され、翌7月に解放された。
1994年5月、サロ=ウィワは、親軍的とみなされていたオゴニの長老4人の殺人を教唆したとの嫌疑で逮捕・起訴された。サロ=ウィワは嫌疑を否定したが、起訴もされずに1年以上収監された末、軍の特別法廷で死刑が言い渡された。この裁判は多くの人権団体から批判を受けた。
1995年11月10日、サロ=ウィワと他の8人のMOSOPの指導者が、サニ・アバチャ軍事政権により絞首刑で処刑された。
Ken Saro-Wiwa in one of his last recorded interviews: https://t.co/a9Z3tZNjTR
— The Stream (@AJStream) November 4, 2015
ナイジェリアのこれ、ほんとにひどいんですよね。。。
20 years after #KenSaroWiwa, oil spills still blight the Niger Delta. #AJStream tonight https://t.co/5so7z9yDVi pic.twitter.com/XB7pdczdo8
— Thomas Coombes (@T_Coombes) November 4, 2015
※この記事は
2015年11月10日
にアップロードしました。
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