「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

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2015年11月05日

エジプトでの航空機墜落は「事故」ではないのではないかという雲行きに。

エジプトのシナイ半島の南端にあるリゾート地、シャルム・エル・シェイクは、4年前には、大統領の座を明け渡したあとのホスニ・ムバラクの滞在地としてニュースに出てきたものだが、それ以前に(それ以上に)、「欧州から飛行機で数時間で行ける南国のリゾート」として知られている。今年の2月、スティーヴ・ストレンジが亡くなったのもこのリゾート都市でのことだった(亡くなる前、彼は寒い冬の英国から脱出して、陽光降り注ぐ海岸に来てますよー、と写真入りでSNSで報告していた)。日本での感覚でいえば、グアムのような旅行先だろう。

そのシャルム・エル・シェイクから、飛行機の墜落のニュースが伝えられたのは、10月31日のことだった。Kogalymavia(コガリムアヴィア)という、私は聞いたことがないロシアの航空会社の便で、サンクト・ペテルブルクに向かってシャルム・エル・シェイク空港を飛び立って20分かそこら、シナイ半島から出ないうちに墜落したという。乗客だけでも200人以上。



「全員絶望」、「現地は悪天候で捜索難航」といった厳しい状況が、英語の速報ニュースで伝えられていたが、基本的にこういう「事故」に関するニュースはもう書き留めないでおこうと思うようになっていたので、最初に見たのがどの報道機関のどんな速報だったのかはわからない(たぶんAFPかロイターだ)。季節の変わり目で、急な気流の変化があったのだろうか、などと思っていた。また、当初は、上記NHKの記事にもあるように「エジプトの国営メディアによりますと、この旅客機のパイロットは離陸後に『技術的な問題が発生したため近くの空港に着陸したい』とエジプトの航空当局に連絡してきたということです」と報じられており、航空機事故として一般人が特に注目すべきものではないのではないかと思っていた。

そのころにも既に、「イスラム国」を自称する勢力(ネットスラングで「イスイス団」、本稿では「ISIS」と表記)につながっている現地武装勢力は、「われわれがやった」と述べていた。確かにISISはMANPADSと呼ばれる地対空ミサイルを持っているということが知られている。が、機体が急に下降し始めたときの高度が高く、仮にそれで攻撃したところで届かないということが指摘され、「また、あの連中はやってもいないことをやった、手柄だとフカしているのか」と冷笑的に扱われていた。私も無条件に、そう思っていた。彼らのような勢力の大げさな発言は、「フカし」と扱うのがデフォだからだ。

しかし、墜落から3、4日が経過するうちに、何か怪しいな、という感じになってきた。比較的早い段階で「ブラックボックスをエジプト当局が回収した」と伝えられていたのに、その解析結果がニュースにならない。ただ、通常ではない音が記録されていたとロシアのメディアが報じたとか、副操縦士は当該機のテクニカル・コンディションについて不満をもらしていたと妻がロシアのメディアに語った(←いろいろフラグ立ってると私は思うんですが、冷戦期のスパイ小説の読みすぎかもしれません)などという話が聞こえてくるばかりだ。そもそも、墜落から12時間ほどの段階で、エールフランスやルフトハンザが「シナイ半島の空域を避ける」という決定を下していた。旅行業界には大きな影響を及ぼすにも関わらず、段階的にではなく一気に大きな決定がなされたことは意外なように思われた。







このBBC Breaking Newsのツイートは、下記のようなスレッドになっている。



……という流れでの、5日未明(日本時間)の英国のこの決定&声明である。
























そしてこれ。




旅行会社・エアラインがこの動き(を取るしかない)。








そんな中でこんな話が流れてきて、これはもう「慌てている」という印象しか与えないよね。




たまたまだが、エジプトのシーシー大統領は英国を訪問中で、日程を切り上げて帰国することもなく、予定をこなしている。

一方で、ロシア機墜落についての英国政府の声明の文言は、徐々にアンダーステートメントが消えて、ストレートなものになりつつある。






その後、ロシアは「英国がまたとんでもない言いがかりをつけている」というトーンの報道を行なっているようだ。エジプトも。

なら、とっととブラックボックスの解析結果を、まともに発表すればいいのに。





で、ブログでこういうことを書いているとまた、「西側メディアの言うことなら何でも正しいと思っているバカ」とかいう罵倒が、知らない人から飛んでくるんだよね。(罵倒したければどうぞご勝手に。でも罵倒してるヒマがあったら、考えられる事故原因についてのまともな発言をエジプト当局に求めたほうが生産的ですよ。)

一方のISISの声明については、WSJのターメル・エル・ゴバシーさんが書いた記事が日本語で読めるので、そちらをどうぞ。
http://jp.wsj.com/articles/SB12055383950015144394104581336251422708160



最新の状況は、ガーディアンのライヴ・ブログによると、ロシアが逆ギレしたらしい。
http://www.theguardian.com/world/live/2015/nov/05/egypt-bomb-fears-leave-thousands-stranded-in-sharm-el-sheikh-live-updates






※この記事は

2015年11月05日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 23:45 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















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