「なぜ、イスラム教徒は、イスラム過激派のテロを非難しないのか」という問いは、なぜ「差別」なのか。(2014年12月)

「陰謀論」と、「陰謀」について。そして人が死傷させられていることへのシニシズムについて。(2014年11月)

◆知らない人に気軽に話しかけることのできる場で、知らない人から話しかけられたときに応答することをやめました。また、知らない人から話しかけられているかもしれない場所をチェックすることもやめました。あなたの主張は、私を巻き込まずに、あなたがやってください。

【お知らせ】本ブログは、はてなブックマークの「ブ コメ一覧」とやらについては、こういう経緯で非表示にしています。(こういうエントリをアップしてあってもなお「ブ コメ非表示」についてうるさいので、ちょい目立つようにしておきますが、当方のことは「揉め事」に巻き込まないでください。また、言うまでもないことですが、当方がブ コメ一覧を非表示に設定することは、あなたの言論の自由をおかすものではありません。)

=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=


2015年11月01日

「ネットでの盗用」について、ブクマ&ツイートしたら、かなり拡散した件。

10月30日のブクマのページを見ると、最後にブクマ&ツイートしたページの閲覧数がすごいことになっている。

bkm-clicks1.png


はてブして同時にツイートしたときの「閲覧数」を表示させるように設定してあるので、私のはてブのページでは、それぞれのコメントの末尾のTwitterの鳥ちゃんマークの横に、「閲覧数」が表示されている。ただしこれはどの程度あてになるのか私にはわからない。Twitterでの「分析」の数値と1桁離れていることが多い。このケースでは、はてブでは「2300件」を超えているが、Twitterで見ると「1470件」だ。



いずれにせよ、ブクマ&ツイートした記事は広く人目に触れてほしいと思うし、まだ読んでいない方はぜひお読みいただきたいと思う。

写真無断盗用の経緯とその後|小澤太一の『ホントはUNHAPPY DAYS 』
http://ameblo.jp/kozawataichi/entry-12089485590.html


さて、これだけ「拡散」されるのは自分にしては珍しいので、記録をとっておこうと思った。

Twitterでの「拡散」具合を視覚化してくれるUserLocalさんの「URLの拡散を調べる」のサービスを利用すると、こんな感じだ。



確認するには:
http://rt.nakanohito.jp/tweets/buzz/660104257975160832

また、Favstarではこちら:
https://favstar.fm/users/nofrills/status/660104257975160832

さらに、このブクマ&ツイートをしたときはアプリの連携をしていなかったので途中からの記録だが、wdmtg.comでは:
https://app.wdmtg.com/tweet/660104257975160832/5635035d1b9ea

それにしても、ブクマ&ツイートした写真家の小澤さんのブログの記事を読んでいると、気分がヘコむ。私も、10年以上前からFlickrを使っていて、ほとんどの写真をCreative Commonsのライセンスで「非商用なら、著作者クレジットを残した上で、好きに使ってもらっていいです」という条件で公開しているのだが、(実際には「著作者クレジット」などなくてもいいくらいの適当な写真とはいえ)ごくまれに、自分のFlickr写真がクレジットもなく流用されているのを見つけて「ほへー」となることがある(何の変哲もない、わかりやすく漢字の看板のあるような、東京の街角の写真などだが)。私の場合は、そこらへんを歩いているときに適当に撮ってる写真なので、無断流用・盗用されても何ら害はないのだが、そういう感覚でプロの写真家の作品が勝手に使われていたりするのは、深刻なことだと思う。

しかも、小澤さんが被害にあわれたケースでは、勝手に盗んでいった者が完全に「自分の作品」として扱ってTwitterにアップするなどしており、非常に悪質だ。

ネットにアップされている写真を、撮影者のクレジットや出典なしで再利用することと、「自分の作品」と偽って再アップすることとは、どちらも悪質なことではあるが、たちの悪さのレベルが違う。

(-_-;)

※この記事は

2015年11月01日

にアップロードしました。
1年も経ったころには、書いた本人の記憶から消えているかもしれません。


posted by nofrills at 03:00 | TrackBack(0) | 雑多に | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

この記事へのトラックバック

【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

……全文を読む
▼当ブログで参照・言及するなどした書籍・映画などから▼















×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。